「デッドプール」感想。


(公式HPより引用)

[story]
全身赤いコスチュームに身を包んだ男“デッドプール”。その正体は、かつて特殊部隊の有能な傭兵として活躍したウェイド・ウィルソン(ライアン・レイノルズ)で、今はヒーロー気取りで悪い奴らをこらしめ、金を稼ぐ気ままな日々を送っていた。ヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)と運命的な出会いをはたし、プロポーズをした矢先、末期ガンで余命わずかと宣告されてしまう。治療する手段があると言ってきた男の誘いに乗り、怪しげな治療に身を任せるのだが・・・。

マーヴェル・コミックスの中でも極めて異彩なヒーロー、いやむしろアンチ・ヒーローと言った方が良い存在でもあるデッドプールの姿を描く痛快アクションエンターテイメント。

アメコミヒーローといえば、スーパーマン、バッドマン、スパイダーマンなどなどたくさんいますが、いろいろ共通項が多い気がします。

1. 普段は周りからあまり評価されていない。
スーパーマンのクラーク・ケント、スパイダーマンのピーター・パーカーなどがそうですね。
黒ぶちメガネのオタクキャラといったイメージが強いです。

2. トラウマになるレベルの暗い過去を抱えている。
これもクラーク・ケントはかつての星は崩壊し、地球での育ての親も亡くなっているし、ピーター・パーカーも育ててくれたおじが殺されています。キャプテンアメリカも眠っている間に時代が過ぎ去ってしまっているという究極のジェネレーションギャップがあったりします。
ヒーロー大集合のX-MENやアヴェンジャーズの中でも、ちょいちょい葛藤や仲間割れがおこっています。

3. 自分の恐ろしい力をコントロールできない。
ハルクあたりが代表ですが、自分のあまりにも絶大な力をコントロールできずに周囲を傷つけては葛藤します。

とまあ、これぐらいにしておきますが、今回のデッドプールはほぼほぼ該当しません!
1についてはとにかくよく喋りチャラいです。
2は人体実験の手術により醜くなった見た目を多少は気にしています。
3はむしろ抑える気があまりないですね。

というわけで異色なアメコミヒーローここに爆誕!と言いたいところなのですが、実は「X-MEN ZERO:ウルヴァリン」にも出演していたのですねー、しかも敵役。
ただ、デッドプールという名前は出ていなく、それ以上にキャラも前面には出ていなかったので、本作は満を持してのお披露目と言えるでしょう。

というわけで、アメコミ史上最大の問題児、デッドプールですが、本人もずっとふざけていますが、映画自体もかなりふざけています。

冒頭から、「バカ映画の始まりだよ~」と自ら言っています。
他その後キャスト・スタッフの紹介も悪ふざけ&適当に終始しています。なぜか脚本家だけは褒め称えているのですが、これは自ら書いたんでしょうな。

どんなすごい映画が始まるんだ!と思っていたらアメコミヒーローなのにタクシーで移動します(しかもお金は持ってないからハイタッチでごまかす)。これはセコい!

と思ったらいきなりアクション全開!
華麗なアクションの数々!を展開する間にも誰彼問わず話しかけています。そう、観ている我々にさえも!

これは第4の壁という劇中の世界と現実の世界との境界を乗り越える行為で、最近では「マネー・ショート 華麗なる大逆転」でも登場人物の一人のライアン・ゴズリングが経済用語を解説するために観客に語りかける、ということがありましたが、本作はその比じゃないぐらい普通に話しかけてきます。最後の最後まで話しかけてきます!

さらには、自分が映画の1キャラクターだと自覚しているようなセリフも頻繁に吐きます。
復讐のためにX-MENの力を借りようとするデッドプールですが、「恵まれし子らの学園」に行ったら全身金属で覆われているコロッサスと炎を操るネガソニック・ティーンエイジ・ウォーヘッドしかいなかったので、「2人だけかよ?予算ないのかよ!」とツッコんでいます。
そして、プロフェッサーXの元に連れて行かれそうになった時、「マカヴォイなの?スチュアートなの?時系列がこんがらがってるよ~!」とツッコミます。
これは若かりし日と現在の姿を演じたジェームズ・マカヴォイとパトリック・スチュワートの名前を出しているだけでなく、「X-MEN:フューチャー&パスト」の存在そのものもいじっています。

他にも映画いじりは多く、「127時間」(これは本人も「ネタバレだよ~」とこれまた第4の壁を乗り越えて喋りかけてきます)、「48時間」(このいじりには同意してしまいます)などネタバレもあれば、「緑色のスーツにだけはしないでくれよ~」と悲痛の叫びを漏らすシーンもあって、これはライアン・レイノルズ自身の出演作(にしてあまり評判の良くない失敗作、個人的には結構面白かった)「グリーン・ランタン」をいじっています。

さらにはライアン・レイノルズ自身もいじります。
オープニングのタイトルからしてそうだったのですが、人体実験によって醜い顔になってしまったことを盲目の同居人に「見た目が全てじゃないよ」と慰められた時も、「見た目が全てだよ!ベッカムはヘリウム吸っているみたいな声だけどイケメンだからいいんだ、ライアン・レイノルズだって演技は大したことないけどイケメンだから!」と言い切っています。
ちなみに当の本人はピープル誌の最もセクシーな男性に選ばれたことがあります。

とまあちょっと列挙しただけでも、コレほどまでのセルフパロディ、アメコミいじり、映画ネタ、メタ的ないじりとツッコミに溢れかえっております。
このあたりを楽しいと思えるかどうかで本作の評価は分かれるかもしれません。
だって、アクションシーンはオープニングとラストぐらいしかないですし。

とはいえ、「キック・アス」や「スーパー!」みたいな2010年台ヒーロー映画が好きな人にはそうとうハマると思います。

最後のスタッフロール後も絶対に席を立たないようにしてくださいね。予算的に続編はないかもしれませんが、次に共演するのは・・・おっと、これはぜひ劇場でお確かめ下さい!
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「高台家の人々」から考えるバーナム効果




「高台家の人々」では、主人公の木絵が恋に落ちる相手である光正を始め、高台家の兄弟たちは、人の心が読めるテレパスという能力を持っているという設定になっています。

テレパスと言われて思い浮かぶのが筒井康隆原作のSF小説で映像化もされている「七瀬ふたたび」や、豊川悦司、武田真治主演で映像化されている「NIGHT HEAD」あたりが思い浮かぶのですが、いずれも超能力の一種として描かれており、その能力による恩恵というよりは、持たざる能力を持ってしまったももの苦悩を描くという目線に立っています。

「高台家の人々」でも相手の本音がドンドン流れ込んできてしまうので、心を閉ざしていたり、人と距離をおいていたりしています。

完全に人の心が読める、というと超能力の世界になってしまいますが、心理学を学んでいるとよく人から言われるのが、「人の心読めるの?」という素朴な疑問です。
厳密には、人の表情、目線、しぐさなど(非言語コミュニケーションと呼ばれています)には傾向があって、そこから相手の発言の背後にあるものを読み取ろうとしたり、嘘をついているか否かを見破ろうとしたりすることに応用しようということは言われています。
マインドリーディングとかコールドリーディングなどのように、FBIが聞き取り調査や尋問などで用いている手法の一種です。
日本でも、メンタリストという言葉を一般化した(ウィッシュじゃない方の)DaIGoみたいに、この手法をうまく利用して話題になった人もいます。
ただこれらの手法はトレーニングが必要で、ちょっとかじっただけで使えるものではありませんし、どれだけ鍛錬を重ねたとしても100%相手の考えが分かるというものでもありません。
心理学界における表情研究の第一人者、Ekmanは、長年の研究の成果から、表情や声、話し方、ジェスチャーなどを分析すれば、90%近くの精度で嘘を見抜けるとのことですが、それでも嘘を言っているかどうかが判別できるのであって、どの部分が嘘なのか、真実はどうなのかといったところまでは言及できません。

それでも世の中には読心術だったり、予言だったり、的中する占いだったりが溢れかえっております。

Forer(1946)は、大学生に対して心理検査を実施し、その分析結果を各学生に伝えました。その1例が以下の様なものでした。

・あなたは他人から好かれたい、賞賛してほしいと思っている一方で、自己を批判する傾向にあります。
・あなたは弱みを持っているときでも、それを普段は克服することができます。
・あなたは生かしきれていない才能をかなり持っています。
・外見的には規律正しく自制的ですが、内心ではくよくよしたり不安になる傾向があります。
・正しい判断や正しい行動をしたのかどうか真剣な疑問を持つときがあります。
・あなたはある程度の変化や多様性を好み、制約や限界に直面したときには不満を抱きます。
・あなたは独自の考えを持っていることを誇りに思い、十分な根拠もない他人の意見を聞き入れることはありません。
・あなたは他人に自分のことをさらけ出しすぎるのも賢明でないことにも気付いています。
・あなたは外向的・社交的で愛想がよいときもありますが、その一方で内向的で用心深く遠慮がちなときもあります。
・あなたの願望にはやや非現実的な傾向のものもあります。

このような分析結果についてどれぐらい当てはまっているかを0(全く当てはまっていない)~5(非常に当てはまっている)で回答させたところ、平均4.26と、当てはまっていると回答した学生の割合が大きくなっていました。

しかし、先ほど1例と書いた分析結果ですが、実は全員に同じ内容のものが送られていました。つまり、個別の分析などはおこなっていなかったのです。
それにも関わらず多くの人が自分に当てはまると回答していたということになります。

このとき伝えられた分析結果の内容は、往々にして多くの人に当てはまる一般的な内容のものでした。このように、誰にでも該当するような一般的な内容を自分だけに当てはまると思い込んでしまうことを、バーナム効果(またはフォアラー効果)と呼んでいます。

この実験では、先生が"あなたの"性格を分析した結果・・・というように、個別性、独自性を強調したこと、また分析した対象が大学の先生という信頼性の高い人物であったことが、よりその効果を助長していると言えます。

よく当たる占い師などでもそうです。
占いの前にいくつかプロフィールなどを聞かれると思うのですが、その時に、

「あなたは最近悩み事がありますね?」
「あなたは仕事でトラブルがありましたね?」
「あなたは人間関係でうまくいっていないことがありますね?」

などと言われると、おそらくほとんどの人が多かれ少なかれ該当しているはずです。
悩み事は、そもそも占いに行く人ほとんど全てに当てはまりそうですし、悩み事と一口に言っても、恋愛の悩み、仕事の悩み、いろいろあります。
「悩み事がありますね?」と言われた時に、あとは言われた側が勝手に自分の中で検索して、該当するものを見つけてしまい、結果として、「なんでわかるんですか?」となってしまいます。
たまには全く該当しないこともあるかもしれませんが、その場合はうまく言い逃れをするすべを用意しているはずです。

言われたことをそのまま鵜呑みにしないで、客観的に捉える視点が必要になりそうです。

[引用]
Forer, B. R.(1949). The fallacy of personal validation: A classroom demonstration of gullibility. Journal of Abnormal and Social Psychology, 44, 118-123.

「高台家の人々」感想。


(公式HPより引用)

[story]
平野木絵(綾瀬はるか)は、“妄想”が趣味のさえないOL。そんな彼女が勤める会社に、ある日、名家“高台家”の長男・光正(斎藤工)が転勤してくる。長身でイケメン、祖母がイギリス人のクォーターで、東大卒、オックスフォードに留学経験もある光正と木絵にはまるで接点がない。決して交わるはずのないふたりだったが、光正が木絵をいきなり食事に誘い、その関係は次第に深くなっていく。順調に交際する二人だったが、光正の母、由布子(大地真央)には結婚を反対されてしまう・・・。

「ごくせん」「デカワンコ」などのヒット作で知られる森本梢子による同名コミックの実写映画化です。
監督は「映画 謎解きはディナーのあとで」の土方政人。

原作のコミックは未読の状態での鑑賞ですが、予告編を見る限りなんとなく悪い予感が渦巻いてはいたのですが、案の定、的中してしまいました。

妄想女子と相手の考えが読めるテレパスという能力のある男性とのラブストーリーという設定は面白いと思うんですよね。
否が応でも相手の考えが頭のなかに入り込んできてしまうテレパスにとって、本音と建前があからさまに違う人たちに接してきてうんざりしている中に、ファンタジーの世界のような妄想が飛び込んできたのに感動するというのもうなずける感じがします。
ただ、それを表現するのに様々な問題があったので、映画としての魅力を欠く結果になってしまったのだと思います。
以下、本作の問題点について挙げていきたいと思います。

1. 妄想の世界が魅力的でない。

これがシンプルにして最大の問題点だった気がします。
木絵の妄想の世界が安い紙芝居風な世界観で描かれていて、そこで登場人物がベタ、というか棒読みな演技を繰り広げているというのが、ひたすら繰り返されます。原作ではどのように描かれているのかわかりませんが、ここは映画なんだし、ファンタジーやアクション映画ばりに描いて良かったはずです。コレを見て心惹かれるという展開にもムリが生じる気がします。

2. 木絵はテレパスに気づいているのか、いないのか。

結構序盤から、「もしかして考えが読めるの?」みたいなことを木絵は言っているのですが、そのわりに光正は本当のことを伝えていない、みたいなこともでてきて、結局テレパスに気づいているのか気づいていないのかわからない状態になっています。
これは見ている側は当然知っている情報なので、木絵は鈍感で気づかない、というならその設定でも構わないのですが、どっちつかずの状態になると見ていて混乱する要因になります。

3. 高台家の人々のエピソードも中途半端。

高台家の光正の妹、茂子(水原希子)、弟の和正(間宮祥太朗)の恋愛エピソードもちらっと出てきますが、どちらも中途半端な形で終わっています。
さらには光正の祖父母のエピソードも出てきますが、これもストーリー上は重要なはずなのに、さらりとしか出てこないので、なぜ祖父母が結婚したかもよくわからない印象です。
イギリス人の祖母、アン(シャーロット・ケイト・フォックス)は、木絵に味方をしてくれるのですが、この接点も特になく、光正が選んだ人だから、というだけです。

4. 終盤の展開が雑。

木絵は光正の母、由布子に高台家が由緒正しい家柄なので、結婚するには、馬に乗れる、テニスができる、などいわゆる社交界において必要とされる教養やたしなみを身につけなければならないと言われます。
でも木絵は何一つ修行していないよね?
挙句、由布子に渡された勉強のための本を忘れてて、光正に届けられてたよね?
その後、高台家のパーティーでお披露目予定もブッチ→由布子激怒→実は茂子と一緒にいました→由布子感激、結婚OKというこれまた都合の良い展開がなされます。
頑張って花嫁修業をする→しかし肝心のパーティーに遅刻する、という流れにするだけで解決する問題なのに。

その後、木絵は弟の和正が茂子の幼なじみで獣医の純(夏帆)のことを好きなんだな~、と想像していたら、その心を読んだ和正が逆上して、「純先生は兄貴のことがずっと好きだったんだ!」と暴露してしまいます。
確かに浅はかな行動ではありますが、でも光正はテレパスなんだからそんなこと言われなくても純の気持ち知ってたよね?
そもそも純も茂子と幼なじみで由布子からも気に入られているぐらいの付き合いなのに高台家のテレパスの能力知らないの?
疑問が疑問を呼ぶ展開になってしまっています。

さらにはそのことで和正や家族を傷つけたと思った木絵は、結婚式当日に逃亡!
それ一番迷惑!
まあ映画的な盛り上がりとしては必要だったということかもしれません(もしかしたら原作にもあるエピソードかもしれません)が、そこからまた無理くりハッピーエンドに持っていくという力技もなんだかな~という感じでした。

邦画の欠点として、いろいろあったけどなんやかんやで大団円にしてしまうっていうのがあると思うんですよね。
本作もそれにがっつり該当する一本だと思いました。

えーと、良かったところもあるんですよ。
高台家の飼い猫、ヨシマサがめっちゃカワイイ!!!

・・・

以上です・・・。

うーん、原作ファンがどう受け取るかわかりませんが、映画単体では設定の粗や表現の問題などが浮き彫りになっていて、看過できない残念な出来でした。

綾瀬はるかは魅力的な人だとは思うんですが、今回のキャラはなんとなく「ホタルノヒカリ」の干物女にも似た雰囲気があるし、地味で不器用キャラってそんなにあってないと思うんですよね。

ともあれ、「プリンセス トヨトミ」「映画 ひみつのアッコちゃん 」「リアル~完全なる首長竜の日~」「万能鑑定士Q -モナ・リザの瞳-」「ギャラクシー街道」に続き、又1つ黒歴史に残ってしまうようなフィルモグラフィーですね・・・。
間にあった「海街Diary」がせめてもの救いでしょうか。

「エンド・オブ・キングダム」から考える集団間代理報復



「エンド・オブ・キングダム」では、中東の武器商人がロンドンに集まった各国首脳を狙ったテロを起こすというものでしたが、映画ほど荒唐無稽な状況ではないにしても、現実に、パリやブリュッセルでテロが発生しています。
対して、アメリカを中心とした有志連合の国々がテロ勢力を攻撃し続けています。

このような終わりの見えないテロとの戦いが続いている昨今ですが、なぜ報復行動がエスカレートしていくのでしょうか?

目には目を、歯には歯を、これはハンムラビ法典の同害復讐規定としてシンボリックな言葉ですが、日本でも喧嘩両成敗と言われるように、双方に同じ罪を問い、それでおしまい、と済ませられれば復讐や報復などは起こらないように思えます。
(厳密にはハンムラビ法典では、同害復讐を規定しているのではなく、同じぐらいの罰を罪の上限とする、というのが正しい解釈なようです)

確かに自分の家族や大切な人を殺されてしまったとしたら、犯人も同じ目に合わせてやりたいという気持ちが出てくるのはうなずけるでしょう。
しかし、それが無差別な対象に広がっていくのはなぜでしょう。

縄田・山口(2011)では、ランダムに決められたグループで、ゲームに勝った場合、相手チームに罰金を科すことができるという状況において、その度合いに影響を与える要因について調査しています。

その結果、より罰金を多く科すようになったのは、自分のチームのメンバーが相手チームによって罰金を科せられたことが明示された時と、自分が相手チームにどれぐらいの罰金を科したかわかる時でした。
つまり、自分のチームのメンバーが明らかに被害を受けたと分かるときに、その報復として相手への罰金を高くするということ、さらに、自分の報復行動がメンバーに把握させるときほど、エスカレートするということになります。

このように、自分の所属する集団が外集団に危害を加えられた時、直接的な関連がなくともその外集団に所属する人に対して報復をすることは、集団間代理報復と呼ばれています。

この実験では、グループはランダムに決められており、その場で形成されただけであるにも関わらず、この集団間代理報復の行動が確認され、それが自メンバーの危害が明らかなときや、自分の報復行動が明示されるときほど、よりエスカレートしたのです。

もしこれが宗教的なつながりがある仲間だったり、家族や恋人のような大切な人だったりしたら、その考えがことさら助長されるのも十分に理解できます。

報復行動の明示についても、今やインターネットが普及し、自分の撮った動画を全世界に向けて公開するのも簡単な時代になりました。
「エンド・オブ・キングダム」で、犯人グループがアメリカ大統領の処刑映像を流そうとしたのもこうした報復行動を誇示する意識が強かったといえます。

これはテロなどの国家レベルの問題だけではありません。
例えばいじめ問題などもそうです。
最初はささいなことから始まったとしても、それが仲間内でどんどんエスカレートしてしまった結果、対象となっている子を殺してしまったという事件が日本でもおこっています。
このような悪循環を止めるすべはないのでしょうか?

「エンド・オブ・キングダム」のラストを見る限り、テロとの戦いも、もしかしたらこのシリーズもまだまだ終わりは見えないようで・・・。

[引用]
縄田健悟・山口裕幸(2011). 集団間代理報復における内集団観衆効果. 社会心理学研究, 26(3), 167-177

「エンド・オブ・キングダム」感想。


(公式HPより引用)

[story]
ホワイトハウス陥落から2年、イギリスの首相が不可解な死を遂げる。首都ロンドンで行われる葬儀に各国の首脳が訪れることとなり、ロンドンの街は、史上最大の超厳戒態勢にあった。アメリカ大統領ベンジャミン(アーロン・エッカート)もシークレットサービスのマイク(ジェラルド・バトラー)ら側近を連れてロンドンへとやってくる。そこで同時多発テロが発生し、歴史的建造物は破壊され多くの死傷者が出る。非常事態宣言の出されるロンドンで、マイクは大統領を警護しながら決死の脱出を試みるのだが。

北朝鮮テロリストによるホワイトハウス陥落を描いた「エンド・オブ・ホワイトハウス」の続編。

ちなみに前作の原題は「Olympus has fallen」。
Olympusとは本来はギリシャの神々の住む山の呼称ですが、ホワイトハウスの暗号でしたので、実際は「ホワイトハウス陥落」ということでしたね。
それだとわかりにくいということで、なんともわかりやすい邦題がつけられたわけですが、その続編となる本作は、原題が「London has fallen」。まさにロンドン陥落という内容そのものになっており、「~has fallen」シリーズという認識になるのですが、邦題では前作の流れで「エンド・オブ~」にしなくちゃということで、「エンド・オブ・ロンドン」や「エンド・オブ・イギリス」ではインパクトが弱いと思ったのか、「エンド・オブ・キングダム」になっています。ユナイテッド・キングダムのキングダムだけ取るという荒業になっているあたりからも、え?続編できたの?という様子が伺い知れます。

というわけで、今回もネタバレを大いに含んでおりますので、ご鑑賞後にお読み下さい。


↓↓↓ネタバレ注意!↓↓↓


前作では自分の失態により大統領夫人を守れなかったマイクが汚名返上とばかりにテロリスト相手に大立ち回りを演じるというものでした。
本作では、再びシークレット・サービスとして大統領の側で働いており、かつ友人でもあるという揺るぎない関係です。
近々子どもも生まれるし、仕事にやりがいも取り戻して・・・と思ったらいきなり辞表書き出します。
まあ子供のことを思って危険な仕事をやめたいということなのでしょうが、いきなりネガティブ!

そんな折、イギリス首相が突然亡くなったとの知らせが入る。
アメリカ大統領をはじめ各国の首脳がイギリスを訪れる。

厳戒態勢のロンドンだったが、カナダ首相の乗ったリムジンが爆破されてしまう。
これを皮切りに、警察官や警備の格好をした人が次々と武器を手に無差別に襲い掛かってくる!
フランス大統領は乗っていたボートごと爆殺!
日本の首相は渋滞に引っかかっていたロンドン橋で橋ごと崩落!
イタリアの首相は式典そっちのけで観光地で女性を口説いていた所、観光名所ごと爆殺!

アメリカ大統領ベンジャミンも襲撃されるが一緒にいたマイクが決死の反撃をしながら警護したことによりなんとか難を逃れます。

テロリストたちは市民も無差別に射殺、さらにはビッグベンなどの観光名所も破壊、警察や警備の格好をした人がテロリストなので、民衆も誰に助けを求めてよいかさまよっていると、ロンドン警察が出した結論が、

「ニセ物が多すぎてわかんないから、本物は引き上げちゃおう!(名案)」

かくして街に正義はいなくなりました。

マイクはなんとか大統領を連れてヘリコプターに乗り飛び立つも、ビルの屋上から地対空ミサイルで砲撃されます。
護衛のヘリが身を挺して守ろうとするも、結局ヘリは墜落、乗っていた秘書のリンは死んでしまいます。
このときに最後に言い残すのが、「テロリストの奴らに仕返しをしてくれ」みたいな内容で、さすがはアメリカだなと思いました。

ヘリの墜落地点にもテロリストがバイクで押し寄せてきますが、マイクは大統領を連れて、走って逃げる!
そして、逃げ切る!

マイクはそのへんを歩いていた警官を殺害し銃を奪います。
マイクは、「持っている銃が強力すぎるから警官じゃない」と断言しますが、厳戒態勢ならそうとは限らないんじゃあ?・・・などと疑問を差し挟む余裕すら与えない無慈悲っぷりに大統領もドン引き。

知り合いのMI6の隠れ家に合流したマイクと大統領。
そこでようやく副大統領のアラン(モーガン・フリーマン)と連絡がとれ、イギリスの前首相の死は、実は毒殺だったということが判明します。
このときのマイクとアランのお互いを確かめるやり取りが、ホワイトハウスで何気なく話した日常会話(釣りの話題)で、このあたりは良く出来てるなと思いました。

MI6のジャックス(シャーロット・ライリー)によって、テロリストの正体が判明します。バルカウィという武器商人で、アメリカ軍によるドローン攻撃で家族を失っていたことに対する復讐だったのでした。

そこからデルタチームを要請すると、ほどなくチームが到着します。しかし、到着が早すぎる上に、重装備なのに汗1つかいていないことに疑問を感じたマイク。
どうやら内部に裏切り者がいるようなので、ジャックスにはその調査をお願いしつつ、マイクは大統領を連れて脱出を試みます。

そこの敵を倒しながらマイクはアメリカ大使館に向かいます。
もちろんそこにもテロリストがたくさん待ち構えているわけですが、うまく撒いたと思ったその瞬間、トラックで激突され、車は横転。大統領はそこでさらわれてしまいます。

ようやく本物のデルタチームがやってきます。
またMI6が不審なビルを発見し、そこがテロリストのアジトであることがわかります。

マイクはデルタチームとともに最後の戦いに挑みます。
敵の数に苦戦しつつも敵のアジトに潜入します。
その頃アジトでは、20時になったら大統領の処刑シーンをyoutubeで世界中に流すんだ~♪とワクワクしながら待っていました。
しかしそこにマイクがやってきてあっさりと殲滅。
大統領を見事救出しました!

大統領暗殺に失敗したバルカウィ。
電話を取ると、相手はアメリカ副大統領のアランでした。
「窓の外を見てみろ!」

THIS IS THE ANSER!

とでも言わんばかりのドローン攻撃で終了。


うーん、前作もなかなか突飛で荒唐無稽な設定だと思っていたのですが、本作はその比じゃなかったですね。
まずイギリスの厳戒態勢のガバガバ感がヒドイ。
公式HPのstoryにも書かれているのに、警察や警備員になりすましているとかザルすぎにもほどがある。

なぜ、そんなに警察や警備員になりすますことができたかって?
それは、

「奴らが入念に準備をしてきた」

から。

これはテロを実行する何年も前に警察に入り込み、普通に駐車禁止の取り締まりとかしながら生活してたってこと?

これだけの銃火器を取り揃えられたのも、

「奴らは入念に準備をしてきた」

から。

空対地ミサイルで爆撃できるのも、

「奴らは入念に準備をしてきた」

から。

それでは、イギリスの首相を毒殺できたのは?

「奴らは入念に準備をしてきたから!」

はい、正解!

とにかく事前にしっかりと入念に準備をすれば何でもできるってことらしいですね。非常に大味な説明でなんとかするのもこういう映画の魅力といえば魅力です。
フランスやベルギーでのテロが相次ぎ、西側諸国も戦々恐々としている中、対テロの意識は重要になってきますが、にしても荒唐無稽すぎた印象です。

大統領の居場所を知らせて偽のデルタチームをよこしたMI6の裏切り者もジャックスがあっさりと見抜きます。
それは、ログがそのままになっていたから!
裏切り者、ここにきて急に杜撰だよ!

とまあ、前作以上に荒唐無稽さが感じられる作品ですが、アクション映画なんて小難しいこと考えないでハデにドンパチやってくれればそれでいい!っていう人にはオススメです。
「96時間」シリーズのような圧倒的な無双アクションを見たい人にはうってつけです。

子どもが生まれて命の尊さに気づき・・・みたいなことが全く無く、躊躇せず敵を殺害するマイクには大統領が惚れ惚れするのも分かる気がします。
マイクが機転を利かせるシーンもいくつかあってそのあたりをもっとクローズアップしても良さそうですが、それを忘れさせるぐらいの圧倒的な破壊力ですね。

大統領にも、「(今の殺しは)必要か?」と聞かれたの対し、マイクは「いや。」と答える(でも殺しちゃってる)オーバーキルぶりを発揮してくれています。

「スノーホワイト/氷の王国」から考えるロミオとジュリエット効果



「スノーホワイト/氷の王国」では劇中はおろか舞台裏でも愛憎劇が繰り広げられていたというよもやの展開でしたが、日本の芸能界でも2016年は不倫騒動が相次いでいます。

すでに結婚している相手とただならぬ関係になってしまうということで、社会的には容認されていない恋愛関係ということになりますが、なぜそのような事態になってしまうのでしょうか?

Driscoll, Davis, and Lipetz(1972)は、140組のカップルに対して、お互いに対してどれぐらいロマンチックな感情を抱いているかを調査したところ、両親に交際を反対されているカップルの方が、そうでないカップルと比較して、より相手に対してロマンチックな感情を抱いていることが示されました。
このように、障害があったり達成が困難な状況であったりするほうが、それを乗り越えて実現しようとする気持ちが高まることを、ロミオとジュリエット効果と呼んでいます。
由来はもちろんシェークスピアの戯曲ですね。

この効果が見られる要因としては、原因の帰属が挙げられます。
配偶者や恋人と一緒にいる時、「自分はなぜこの人と一緒にいるんだろう?」と考えたとします。
配偶者の場合だと、「家事をしてくれるから」「子どもの面倒を見てくれるから」といった具体的な理由や、「家族だから」「結婚しているから」という概念的な理由、もちろん「好きだから」「愛しているから」という感情的な理由もありますが、たくさんの理由が想定できます。
対して、情熱的な恋の相手だったりすると、上記の具体的な理由や概念的な理由ではなく、感情的な理由が前面に出てきます。好きだから一緒にいるのと同時に、一緒にいるということは好きなんだという解釈も成り立っているのです。

これが不倫などの状況になると、社会的モラル、家族との人間関係など様々な問題や障害があるのにも関わらず、「なぜこの人と一緒にいるんだろう?」と考えると、より感情的な理由が際立つ結果になります。

しかし、その後のParks, Stan, and Eggert(1983)では、家族や友人の反対によってロマンチックな感情が高ぶるという結果は得られていません。
さらに、Felmlee(2001)では、むしろ賛成されていた方が、関係が長続きしているという結果になっています。

このような結果になった要因として、人々の恋愛観や結婚に対する意識の変化が指摘されています。
かつては、親が最初の恋愛の障壁となることが多かったのですが、近年の恋愛場面において親が障害となるのが少なくなってきているとも考えられます。

置かれた状況で燃え上がるのではなく、相手のことや相手と過ごす将来のことをじっくり見据えた恋愛観を持つようになってきているのかもしれませんね。
ともあれ、周囲の人に迷惑をかけるような事態は避けたいものですね。


[引用]
Driscoll, R., Davis, K.E., & Lipetz, M.E.(1972). Parental interference and romantic love: The Romeo & Juliet effect. Journal of Personality and Social Psychology, 24, 1-10.

Felmlee, D. (2001). "No couple is an island: A social stability network perspective on dyadic stability." Social Forces, 79, 1259-1287.

Parks, M. R., Stan, C. M., & Eggert, L. L. (1983). Romantic involvement and social network involvement. Social Psychology Quarterly, 46, 116-131.

「スノーホワイト/氷の王国」感想。


(公式HPより引用)

[story]
ラヴェンナ(シャーリーズ・セロン)の妹、フレイヤ(エミリー・ブラント)は、ある事件をきっかけに心を閉ざしていた。悲しみと引き換えに強力な氷の魔法を手に入れた彼女は、その魔法を武器に子どもたちをさらい、彼らを兵士として鍛え、凍てつく大地に氷の王国を築く。エリック(クリス・ヘムズワース)もその一人だったが、同じようにフレイヤの兵士として育てられた女戦士サラ(ジェシカ・チャステイン)と許されぬ恋に落ちてしまう・・・。

白雪姫の物語を大胆にデフォルメした映画「スノーホワイト」の続編にして、前作の前日譚&後日譚で構成しているという変わり種。
前作にも出演していたクリス・ヘムズワース、シャーリーズ・セロンに、エミリー・ブラント、ジェシカ・チャステインと豪華な共演陣が加わっています。

前作といえば、フュリオサ!フュリオサ!ラヴェンナことシャーリーズ・セロンよりもトワイライト白雪姫ことクリスティン・スチュワートの方が美しいとか魔法の鏡がトチ狂ったこと言ったせいで世界の法則が乱れてしまったところを、エリック・ザ・マイティー・ソーことクリス・ヘムズワースがハンマーで叩き直す話だったと思うのですが(うろ覚え)、今回は前のシリーズでは一言も言ってなかったラヴェンナに妹がいた、というところから物語がスタートします。

総じてツッコミどころが満載だと思いましたので、今回はいつも以上にネタバレを含んでいるかもしれませんので、これから見る予定の方は、ぜひご鑑賞後にお楽しみ下さい。

↓↓↓ネタバレ注意!↓↓↓


ラヴェンナはその美貌によって王たちを騙しては支配する国を増やしていましたが、妹のフレイヤは姉に匹敵するほどの美貌と魔力を持っているものの、本人は結婚している男性と禁断の恋に落ち、逢瀬を重ねる状態に。
子どももできて、このまま愛の逃避行へ!と思っていたら、お部屋が炎上!逆上した男が我が子もろとも火を放っていたのだ!
その悲しみのあまり、魔力が覚醒するフレイヤ。
彼女の放つ氷の魔力により一瞬で凍結する男。そしてそのまま粉々に砕かれてしまう!
なぜ、こんなことに・・・と悲しみにくれるフレイヤですが、見ている人からすればあからさまに陰謀に気がついてしまうんですよね~。まあ、恋は盲目というやつですね・・・。

愛する人を失ったフレイヤは失意のまま姉の元を離れ、北の国に凍てついた王国を築きます。
まるで彼女の心の状態を表しているかのように、凍りついた世界。自分でもコントロールできない恐ろしい魔法の力を持ってしまったけれど、それを隠すことなくありのままで生きたい・・・

アナ雪かよ!

というツッコミが入りそうですが、氷の国を築くところまではかなり似ています。が、このあとがスゴイ!
「愛だの恋だの言っている人たちを救い出す」ために、村を次々と襲っては子どもたちをさらい、「誰かを愛することを禁ずる」という掟の元、子どもたちを「ハンツマン」という兵隊として鍛え上げます。
ということなんですが、この流れがどうも違和感がありすぎて受け付けませんでした。

ここからしばらくハンツマンたちの訓練風景が続きます。
「ハンガー・ゲーム」「ダイバージェント」「フィフス・ウェイブ」など、ティーン小説の映画化作品にありがちな展開で、こういうのいれないといけない決まりでもあるんでしょうか?

かくしてハンツマンとして鍛えられた若者たち。
他の世界からは隔離された状態で、黙々と修練をする若者たち。
男女入り乱れて切磋琢磨しあう若者たち。
こんな状況なので、そこで出会ったエリックとサラが恋に落ちるのも必然的ですね!

それに気づいたフレイヤは2人の仲を引き裂きます。
サラが目の前で殺されるところを見せつけられ、そのまま失意のドン底へ。

と、ここまでが前日譚で、ここからが前作「スノー・ホワイト」で描かれた部分になります。

なんやかんやでラヴェンナを倒したエリックは、魔法の鏡を探して欲しいと依頼を受け、2人のドワーフとともに旅に出ることに。
途中、フレイヤが送り込んできたハンツマンたちに襲われた彼らを助けたのは、死んだはずのサラだった!
サラが死んだと思ったのは、エリックがフレイヤに見せられていた幻覚だったのだ。再会を喜ぶエリックでしたが、サラはブチ切れています。
サラが見せられた幻覚は、エリックがサラを見捨てて逃げ去るというものだったのですが、エリックがサラの渡したペンダントをしているのに気づき、和解、愛を再確認する2人。

サラに、さらに泥棒をしていた女性ドワーフ2人も加わり、鏡を探しに行くことに。
道中、ゴブリンの集団に襲われますが、エリックはサラとドワーフたちを先に行かせ、自分が身を呈してゴブリンと対峙します。
ゴブリンに囲まれて大ピンチのエリックですが、そこに向けてサラが「私は外さない」と一言言って矢を放ちます。
すると、そこらにいたゴブリンたち大炎上!
エリックも同じ所にいたのになぜか大丈夫だった!
ゴブリンのヌメッとした体液がタールっぽくて可燃性だったようですが、それならそこまで狙いよくなくても問題なかったし、たいして狙いも良くなかったし。

まあ、そんなこんなで魔法の鏡をGETした一行は、恐ろしい魔法の鏡を聖域に封印するために運んでいきます。
どのぐらい恐ろしいかというと、魔法によって人々を殺しあわせたり、エリックに「裏切れ」「殺せ」と囁きかけたりします。
なので危ないから、布でくるんじゃおうね~。→解決。

そこにフレイヤとハンツマンの軍隊が現れます。
フレイヤは魔法の鏡を奪い去るためにサラを派遣していたのだった!
・・・サラじゃない奴にすればよかったのに!
いや、これはきっと特に描かれていないけど、ハンツマンの中で他にも愛が芽生えそうになる→サラにエリックを騙させ、殺させることで愛は幻想と見せつけられる!
こういう作戦なんだろう。特に描かれていないけど。

サラの矢がエリックの心の臓を捉え、エリックは倒れてしまう。
魔法の鏡はフレイヤに奪われ、サラもフレイヤとハンツマンとともに去って行きました。
そしてドワーフのうち2体もフレイヤによって氷漬けにされ、その場で粉砕・・・はされずに氷が溶けないように丁重に国に連れて行かれました。

殺されたと思っていたエリック、実は生きていました!
サラの矢がエリックの心臓を正確にとらえたことで、矢はペンダントに当たっており、死なずに済んだのでした。
この伏線、本作で唯一良いと思ったところです。
エリックはサラを救い出し魔法の鏡を破壊するため、ドワーフたちは氷漬けの相方を救うため、フレイヤの城へと向かいます。

一方、フレイヤは魔法の鏡に話しかけると、なんと!
そこからラヴェンナが出てきます!
姉妹が再会を果たしたその時、エリックが城に乱入し、フレイヤを倒そうとする。
ここで、エリックとサラ、フレイヤとラヴェンナの戦いが始まります。
フレイヤはハンツマンたちにエリックとサラを始末するように言いますが、エリックが「そこに愛はあるのかい?」(うろ覚え)的なことを言うと、ハンツマンたちは、「そうだ!愛だ!」ということで一致団結してフレイヤ、ラヴェンナに立ち向かいます。

ハンツマンたちを殺そうとするラヴェンナでしたが、そこに止めに入ったのはフレイヤでした。
凍てついた王国で愛することを禁じていたフレイヤでしたが、やはり手塩にかけて鍛え上げたハンツマンたちには愛情を持っていたのです。
愛って素晴らしい!

そんなフレイヤを見たラヴェンナは、「そこがお前の弱点だ!」と言い放ちます。
この時、生まれてきた子どもを殺したのがラヴェンナだと悟ります!そうだったのかー(棒)
フレイヤはラヴェンナを倒そうとしますが、返り討ちにあってしまいます。

虫の息となっているフレイヤに、ラヴェンナが「自分も人を愛したかった。子どもも欲しかった。」みたいなことを言い出すので、単なる嫉妬かよ!と愕然とし、さらにはラヴェンナが魔法の鏡に「フレイヤの娘がやがて自分よりも美しくなる」と唆されていたため娘を殺したことを知ると、最後の力を振り絞って魔法の鏡を凍りつかせます。
それに気づいたエリックは、すかさず斧を投げると、魔法の鏡は粉々に粉砕し、ラヴェンナも消えてしまいます。
・・・物理的な破壊で良かったんかーい!聖域に封印しに行くって言ってたのはなんだったのか・・・。
まあ、フレイヤが凍りつかせないと割ることできなかったんでしょう(好意的解釈)。

抱き合うエリックとサラ。
愛しあうことの素晴らしさを再確認したフレイヤは静かに息を引き取ります。
愛は美しい!


というわけで、ネタバレ全開で書いてきましたが、やはりいろいろ粗が目立つところが気になってしまいましたね。

1. 魔法の鏡の力とは

白雪姫の魔法の鏡と言えば、女王(ラヴェンナ)に対して「一番美しいのは誰?」という問いかけに正直に答えるという設定で、前作では忠実に「白雪姫の方が美しい」と答えたことでラヴェンナが白雪姫の命を狙うという流れになったのですが、本作では、「妹の子どもはやがてラヴェンナよりも美しくなるだろう」と言っていて、これはもう予言だよね?
さらにエリック一行が封印しようと運んでいる時も、「裏切れ」「殺せ」と囁きかけてきていて、完全に展開が「ロード・オブ・ザ・リング」ですね。
ただ、その設定の割に他に重要なシーンもないのが難点ですね。

2. キャラのぶれ方

フレイヤは愛する子どもを殺した男を一瞬にして氷漬けにします。それで心を閉ざし、愛を幻想だと思い、レリゴー状態になるわけですが、なぜ姉の元を立ち去るのか、の説明がありません。
失意のドン底だからということなのかもしれませんが、この行動の指針となるような設定が欲しかったですね。
その後、凍てついた王国を築くのはともかく、多くの子どもたちをさらってきては「愛は幻想」と言いつつ愛情を注いで育てているというのが自己矛盾という気がします。
むしろツンデレ属性にでもしてしまえば良かったのに。

ラヴェンナも支配欲にかられているのはいいのですが、妹の子どもを殺した理由がいろいろブレています。
表向きは「妹の魔力を覚醒させるため」で、実は「妹の娘が自分よりも美しくなることに嫉妬していたため」だった、という形ですっきりとまとまっているのに、「私だって人を愛したかった、子どもも欲しかった。」っていう女性的発想を持ち込んでしまったのがいただけない。ラヴェンナはもっと冷酷なままであって欲しかったですね。

3. 白雪姫は?

上のネタバレを読んでいておわかりいただけたであろうか?
ストーリー上に白雪姫が一切出てきていないということを。
厳密には全く出ないわけではなく、エリックが魔法の鏡を探し、封印する過程でちょろっと後ろ姿が映ります。
もちろん前日譚&後日譚なので白雪姫は直接ストーリーに関わらないといえばそうなんですが、こうなったのには事情があるようですね。

本作の撮影前に、前作の監督ルパート・サンダース(妻子持ち)と、白雪姫を演じていたクリステン・スチュワートが不倫していたことが発覚したそうです!

このスキャンダルにより監督は降板、白雪姫をメインにしたストーリーではないものに差し替わる、といったトラブルに見舞われることになります。
ちなみに邦題は「スノーホワイト/氷の王国」と白雪姫を前面に押し出していますが、原題は「The Huntsman Winter's War」となっていて、一応、「snow white chronicle」と申し訳程度に出てくるものの、メインタイトルからは抜けているのもそういった事情があるようです。

そうだったのかー!

そりゃ不倫男も氷漬けにされて粉砕されますわ!
フレイヤも真実の愛を知ったのに殺されますわ!

騒動に巻き込まれたスタッフたちの気持ちが乗り移った映画だったんですね!

これはぜひ、ベッ○ーとか、川谷○音とか、Z武さんとか、宮○議員とか、とにかく明るい○村とか、桂○枝師匠とか、三遊亭○楽師匠とかにも見てもらいたいですねー(棒)

そんなまさに絶妙なタイミングで公開された本作を劇場で見ない手はありませんよ~!

ただ、聞くところによると、本作もまた3部作構想とのことで、もう1本あるのかと思うと戦々恐々としてしまいます。
でも恐れない!愛の力があれば!

「ヒメアノ~ル」から考える単純接触効果



「ヒメアノ~ル」では、森田や岡田のバイトの先輩、安藤がユカちゃんに思いを寄せて働いている喫茶店に足繁く通うというのが冒頭の設定になっていますが、確かに気になっていたり、好きになってしまったりした相手のそばにいたい、話しかけたい、あわよくば仲良くなりたいという気持ちは分からないでもないですね。

Zajonc(1968)では、未知の人物の顔写真をランダムに複数回呈示し、その後に各写真に対する好意度を評価してもらったところ、呈示回数が多かった写真のほうが、好意度が高く評価されることがわかりました。このことは、単純接触効果(またはザイアンスの法則)と呼ばれています。

この単純接触効果は、その後、様々な分野においてその効果が検証され、未知の言語や図形、味、音楽、においなどにおいても同様の結果になったことが示されています。

このことは、マーケティングの分野でも応用されるようになり、企業のCMなどでいかに商品を認知させるかといった時に、この単純接触効果の考え方が利用されています。
印象に残るキャラクターを繰り返し利用したり、覚えやすいキャッチコピーを用いたりするのはそのためです。
対人認知の分野でも、対人魅力を高める1つの要因として熟知性を高めることが挙げられており、会う回数を増やすことで相手に認知され、よく知られることで好意度が高まっていくということにつながるというのも頷けます。

なるほど、この考え方から行けば、会う回数や接触頻度を増やすことは好意を持たれたい相手に対しては有効なのかもしれません。
単純接触効果で検索してみると、恋愛心理学などをうたっている対人場面におけるテクニックとして有効であるというページがたくさん出てきます。
ほう、それならば好きな相手がいたらとにかく事あるごとに会いに行けばいいんだ!

と、お思いでしょう?

Kunst-Wilson and Zajonc(1980)では、刺激の呈示が閾上よりも閾下、つまり刺激を認識できる時よりも刺激を意識的に認識できないレベルで呈示された方が、単純接触効果が起こりやすい可能性が示されています(ただしこの解釈はその後の研究では必ずしも実証されていません)。

また、Bornstein and D’Agostino(1994)では、呈示された刺激が事前に見たものであると知らされることで、その事実を知らされない時よりも好意度の評価が低くなることが示されています(この結果についても諸説あるようですが)。

これらの結果から言えることは、会う機会が多くなっていることを相手に悟られない方が良いということですね。
そして、あからさまにバレた場合はかえって逆効果になる場合もあるということです。
先ほどのテレビのCMの例を考えてみても、同じテレビ番組を見ていて何度も同じCMを見せられるとうんざりすることがあります。
つまりは気付かれない程度にさりげなく会う回数を増やさないといけないんですね・・・。なお、森田くんと安藤さんは・・・。

Zajonc, Crandall, Kail, and Swap(1974 )では、呈示回数によって単純接触効果に違いが見られるかを調べるため、最大243回(!)まで呈示回数を操作して実験を行ったところ、28回以上は好意度評価が逆に下がってしまうことも示されました。その後の研究でも単純接触効果は20~30回程度を境に減少していくことが示されています。

会いすぎてもダメだったー!!

Gush(1976)では、刺激の内容をポジティブなものとネガティブなものにして単純接触効果の違いが見られるかを比較したところ、ポジティブな刺激に対しては単純接触効果が見られましたが、ネガティブな刺激に対しては、好意度は変わらないか、逆に低くなるという結果が得られました。

そもそも嫌われていては意味がなかったー!!!

さらに、川上・吉田(2013)では、オタク的な見た目の人とそうではない一般の人の呈示割合を操作して単純接触効果による好意度の向上が見られるかを調査したところ、オタク的な見た目の人の割合が小さい30%、0%の条件では、好意度の上昇が見られませんでした。

安藤さーん!!!

というわけで、いくら単純接触効果と言っても、うまく効果が得られるかはいろいろ条件があるということですね。
「ヒメアノ~ル」のように間違った方向にいかないようにしたいものですね。

[引用]
Bornstein, R. F. & D’Agostino, P. R. (1994). The attribution and discounting of perceptual fluency: Preliminary tests of a perceptual fluency/attributional model of the mere exposure effect. Social Cognition, 12, 103─128.

Gush, J. E .(1976). Attitude formation and mere exposure phenomena: A nonartifactual explanation of empirical findings. Journal of Personality and Social Psychology, 33, 281-290.

川上直秋・吉田富二雄(2013).閾下単純接触による潜在的集団評価の形成̶̶異質性の無意識的認知. 認知科学,20, 318-329.

Kunst-Wilson, W. R., & Zajonc, R. B. (1980). Affective discrimination of stimuli that cannot be recognized. Science, 207, 557-558.

Zajonc, R. B. (1968). Attitudinal effects of mere exposure. Journal of Personality and Social Psychology, 9, 1-27.

Zajonc, R. B., Crandall, R., Kail, R. V., & Swap, W. (1974). Effect of extreme exposure frequencies on different affective ratings of stimuli. Perceptual and Motor Skills, 38, 667-678.

「ヒメアノ~ル」感想。


(公式HPより引用)

[story]
ビル清掃のバイトをしている岡田(濱田岳)は、同じ職場の先輩、安藤(ムロツヨシ)にキューピッド役を頼まれる。そのお相手はカフェ店員ユカ(佐津川愛美)。岡田は安藤と一緒にユカの働いているカフェに行くと、最近現れるようになった男がいた。その男、森田(森田剛)は岡田の高校時代の同級生だった。ユカからも頼まれ森田の様子を伺っている岡田だったが、ユカから告白されてしまい・・・。

「行け!稲中卓球部」「ヒミズ」で知られる古谷実の同名コミックの映画化。
監督は「麦子さんと」「銀の匙 Silver Spoon」の吉田恵輔。

古谷実作品といえば、上記の「行け!稲中卓球部」がいの一番に上がる人が多いかもしれませんが、「ヒミズ」以降はそれまでのギャグ路線から打って変わって、登場人物の内面描写や状況描写をメインに、主人公の日常や青春、時折巻き起こる不穏な事件などが交錯する作品になっています。
自分が読んでいるのは、「稲中」の他に「ヒミズ」「シガテラ」だけなんですけどね。
「ヒミズ」はすでに園子温監督、染谷将太、二階堂ふみの主演によって実写映画化され、話題になりました。

吉田監督は上記の作品の他にも、「純喫茶磯辺」「さんかく」など市井の人々の日常的な姿を描いた作品がイメージですね。
それだけに「ヒメアノ~ル」は意欲作とも言える位置づけなのでしょうか?

日常の中に混ざりこんでくる狂気、これは古谷作品の根底にあるものだと思いますが、本作ではそれが最も端的に現れていると思います。
これは映画の予告編でもそうですが、序盤は先輩の恋のキューピッドをするはずがその相手が自分を好きになっちゃった、というまさにラブコメを地で行くような展開が描かれています。
POPなフォントで描かれた「ヒメアノ~ル」の文字、しかしそれが灰と化して現れたのは暗く鬱屈とした世界。
生きることに絶望した森田が電話で相手に言います。

「高校の時さー、岡田ってやついただろ?そいつを今から殺して、山に埋めようと思うんだけど・・・」

ここに一切の感情的なものが感じられないのが怖いところ。
「明日バイトなんだけど」
「そろそろ寝ようと思うんだけど」
こんな感じのことを電話で相手に言っている体で話すのです。

その後は森田の狂気が映しだされるのですが、この日常と狂気の構図がまさに本作の骨子そのものであり、予告編としても非常によくできていると思いました。

さて、ここから本編の話ですが、本編でも序盤はこのラブコメの部分から始まります。

主人公の岡田くんはビル清掃のバイトをしていて、仕事も失敗ばかり、趣味も取り立ててあるわけじゃなく、彼女はおろか好きな人もいない、退屈で平凡な毎日を過ごしています。

何気なく自分よりももっとイケてない先輩、安藤に普段何しているのか聞いた所、彼はこう答えます。

「オレは毎日、をしている!」

イケてない先輩がむだに爽やかな感じでこんなこと言い出したので唖然としていた岡田でしたが、成り行きで恋のキューピッドをする羽目になります。
そして意中の人、ユカちゃんが働いているカフェへ。
愛嬌たっぷりのユカを見た瞬間、岡田は安藤に言います。
「いや無理ですって、生きる世界が違い過ぎます、諦めましょう」と。

そんな言葉には微塵も動じない安藤は、他にもライバルがいると言い出します。
それが森田でした。
彼はここ数日カフェに現れるようになったそうです。
その森田は、岡田のかつての高校時代のクラスメイトでした。
さらにはユカからも頼まれてしまった岡田は、森田の動向を探りつつ、安藤のキューピッドをすることになります。

その後、いろいろ相談に乗ったり一緒に飲みに行ったりしているうちに、ユカは岡田のことを好きになってしまいます。
安藤には申し訳ないと思いながらも、ユカを好きになってしまう岡田。
どうすんの?オレ?

このあたりはまさしくラブコメ的展開で、岡田くんのユカちゃんと安藤の間で揺れる様や、不器用な雰囲気は微笑ましくなってしまいます。
そして、ついにはユカちゃんと結ばれることとなった岡田、彼女のマンションにお呼ばれして、ついに!

そんな幸せ絶頂の岡田を遠くから見ている男がいました。
森田です。
この時の森田の目もまるで何も写していないかのように空虚でした。
彼が呆然とマンションを眺める姿が映ったところで、

HIMEANOLE

なんと、ここでタイトルが映し出され、不穏な音楽とともに出演者の名前が表示されていきます。
タイトル前に映し出されるシーンをアバンやアバン・タイトルと言いますが、ここまでの30分近く、岡田くんのラブコメの部分は単なる序章にすぎないのだということが示され、戦慄します。

ここから森田の狂気が映しだされていき、その対象がユカと岡田に迫ってくるわけですが、そのあたりはぜひ映画を見て確認してもらいたいと思います。

本作で秀逸なのは大胆なアバンの用い方や演出方法にもあるのですが、キャラの描き方とそれぞれの立ち位置がまた絶妙なバランスであるということも挙げられます。

岡田は、自分が平凡で退屈な人生を歩んでいることも、自分が冴えない中の下の人間であるということもしっかりと自覚している人物です(ユカの毒舌の友だちにも指摘されてしまいます)。
映画では明確に年齢は示されませんでしたが、20代の中~後半ぐらいの設定でしょうか?
それでも何かきっかけがあればそんな生活から抜け出せるかも、という根拠のない淡い期待を持っています(この考え方は森田によって即座に否定されます)。

ユカと話し、付き合うようになるのも、安藤のキューピッドを仕方なく引き受けているから、だし、ユカと付き合いだした時も、「いろいろ二人でしたいこと」をほのめかすだけで、結局はユカに主導権を握ってもらっているといった印象でした。
そんな彼が、ユカを森田の狂気から守るために"能動的"に動き出すところは素晴らしいです。

先輩・安藤もまたなかなかヤバイ人間です。
冴えない、イケてない岡田よりも年齢が上(30代)でもっとイケてないはずなのに、なぜ毎日明るく生きられるのか岡田じゃなくとも疑問に思うところでしょう。
その理由は、恋をしているから!
と見た目に似つかわしくなくオリーブオイルばりにピュアなことを言ってのけるのですが、実際はユカちゃんにも一人ではうまく話しかけることができず、森田に対しては、「あいつはストーカーに違いない。毎日見てるオレが言うから間違いない!」とヤバ目のことをさらっと言ってのけます。
さらには、岡田くんがユカちゃんに告白された時も、「チェーンソーでバラバラになりたくないよね?」とジョークとも本気ともとれないような発言をします。
他にもいろいろヤバイシーンがあって、明るい狂気とでも言わんばかりの存在になっています。

森田は、高校時代のいじめが原因で全てに絶望したかのような空虚な存在となっています。
かつて一緒にいじめられていた和草(駒木根隆介)をゆすったお金でパチンコをするというその日暮らしをしていました。
安藤に「森田がユカちゃんに近づかないようにガツンと言ってやれ!」と言われた岡田は森田と二人で飲みに行きますが、そのときに岡田に対して、「オレもお前も人生終わってんだよ。何も持ってないやつが底辺から抜け出せるわけ無いだろ」と諦観の念を吐露しています。

高校時代に凄絶ないじめを受けていたことで、感情を失ってしまったかのような存在になっていて、それが恐怖に拍車をかけています。ユカを狙って何度もカフェに来ていたことを問いただした時も、「いや?初めてだけど。」と何の動揺のなく返す平坦さにも表れていました。

和草によって、森田は高校時代にいじめていた川島という男を殺していたことが語られます。
このシーンでは、いじめの反動によるものなのか、殺意と性的衝動が同期しているような描き方になっています。

確かに森田はサイコパスなのですが、殺人行為に快楽を求めるといった雰囲気があるのは、この時と、後の和草とその彼女に対してぐらいで、あとは映画では明確には描いていません(女性を襲った時は性行為をしたような雰囲気は残されているし、ユカに対して脅迫するときもそのような態度は示していますが)。

それ以上に、上記のいじめっ子への復讐にも言えることですが、自分が生きていくのに必要だから殺したという雰囲気の方が色濃く出ている印象です。
ごはんを食べる、お金を稼ぐ、トイレにいく、風呂にはいる、寝るなどといった生きていくのに必要な1行為としての殺人という様相はまさに恐るべき狂気であるとも言えます。
先ほど、タイトルの挿入により日常が終わりを告げて狂気の世界が始まると書いたのですが、それは岡田や見ている人の目線の話であって、森田からすればこれもまた日常なのです。

これを象徴するかのようなシーンが、森田が自分の家を失って最初に侵入する家です。そこでは、家の(おそらく)奥さんを殺害して居座っているのですが、そのあと家の主人が帰ってきた時、森田はカレーを食べています。
あまりにも自然すぎるので、家の主人も、「どちらさま?」と聞いてしまうぐらいです。
その後、家の主人も森田の犠牲になってしまいますが、その後の森田はまたカレーを食べ直します。
食事の途中でふいに来客があったみたいな対応に戦慄します。
ちなみに実際の事件でサイコパスと思われている犯人が現場に数時間居合わせた、食事もしていたようだというのもあるようです。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

そんな森田ですが、感情を失っていても記憶までは失っていませんでした。
岡田は、高校時代に森田のいじめを見て見ぬふりをしたことを詫びるシーンがありますが、そのことは森田の記憶にはなく、代わりに残っていたのは、かつて楽しく遊んだ記憶でした。
このあたりがラストシーンにつながっていくのですが、原作とは違うラストになっているようで、これはぜひ原作も読んでみたいところです。

この映画の素晴らしい点として、キャラの描き方と絶妙な立ち位置のバランスと書きましたが、それは、安藤は言わずもがな、岡田でも、もっと言えば誰にだって、森田のようになってしまう可能性をはらんでいると示しているかのように感じさせることです。

岡田だっていじめられていたら同じような状況になっていたかもしれないし、安藤もユカちゃんを岡田に取られたショックでバイトをサボり続けており、そのままクビになっていたとしたら?などと考えると、誰にも狂気の側に落ちてしまう可能性があるのです。
そういう危うさを感じさせてくれる作品でした。

暴力描写や残酷なシーンも多く、手放しでおすすめするのははばかられる作品なのですが、「アイアムアヒーロー」に続きこちらもぜひ鑑賞して頂きたい一本です!

「海よりもまだ深く」から考える現実主義vs理想主義



「海よりもまだ深く」では良多に代表されるように男性は夢見がちで理想主義的なところがあり、響子が典型的ですが女性は現実主義的なところがあると描かれています。

ちょうどスタジオジブリのアニメ映画「思い出のマーニー」の米林宏昌監督、西村義明プロデューサーが英紙ガーディアンのインタビュー記事にもこのことが書かれており、物議を醸しています。

記事はこちら

記事によれば、西村プロデューサーが「ジブリで女性監督を起用することはありますか?」という質問に対して、「ファンタジー映画は、理想主義的なアプローチが必要なんです。だから男性監督が選ばれてきたのは偶然だとは思えません」といった回答をしているようです。
これが、今後も女性監督を起用することはないということを示唆しているととらえられ、女性差別に繋がるのではないかという批判を受けているようです。

確かに、男性は理想主義、女性は現実主義と言われることは多いようですが、根拠はあるのでしょうか?

社会心理学の1分野である恋愛心理学において、主に恋愛場面や状況における理想主義の度合いを調べた研究があります。

Kephart(1967)は、「も し相手があなたの望む全てのものを持っていたとしたら、その相手に恋愛感情がなくともその人と結婚する。」という項目についての賛否を男女で比較しました。
その結果、男性は11.7%が賛成だったのに対し、女性は4.0%とその割合が低く、女性の方がよりロマンティックであると考えられます。
(ただし、反対の割合では、男性64.6%、女性24.3%と、男性の割合が高くなっており、一概に女性の方がロマンティックだと判断はできません)

Knox and Sporakowski(1968)では 、大学生を対象に29項目からなる尺度で比較検討したところ、女性よりも男性の方が恋愛をロマンチックなものとみており、学年が進むにつれて恋愛をロマンチックなものではなく、結婚につながる現実的なものとみなすようになることを示しています。

Specher and Metts(1989)は、大学生を対象とした調査を元に、15項目からなる恋愛信念尺度を作成しています。
各項目について、7件法で回答させました。
興味がある方はやってみてくださいね。

7件法:
7:大いに同意できる。
6:だいたい同意できる。
5:やや同意できる。
4:どちらとも言えない。
3:やや同意できない。
2:だいたい同意できない。
1:全く同意できない。

Romantic Belief Scale(Specher & Metts, 1989)
1. 恋に落ちる前に、その相手が誰かを知る必要はないと思う。
2. もし誰かを好きになったら、たとえ親や友だちに認められなくともその相手と付き合うと思う。
3. 一度"真実の愛"を経験したら、同程度に他の人を好きになることはできないと思う。
4. 本当に恋に落ちたら、それは永遠につづくものだと信じている。
5. もし誰かを好きになったら、どんな障害があろうともその関係をうまくいかせることができる。
6. 私が"真実の愛"の相手をみつけたとき、おそらく会った瞬間に(その相手だと)わかると思う。
7. 自分が伴侶に選んだ相手から教わったことは全て、自分を喜ばせるものであると思う。
8. "真実の愛"の相手との関係は完璧なものであると思う。
9. 誰かを好きになった時、反対してくる人や物理的な距離、他のいかなる障害があろうとも、一緒にいるためのすべを見つけられると思う。
10. 自分が本当に好きになる人は1人しかいないと思う。
11. 運命的な関係であれば、どんな障害(例えば、お金がない、物理的な距離、仕事上の対立など)にも打ち勝つことができると思う。
12. 運命の相手に出会ったら、すぐに恋に落ちると思う。
13. ロマンティックな愛は時間とともに弱まることはなく、永遠に続くものだと思う。
14. 自分が好きになった理想のパートナーは、心を開いて、愛して、理解してくれる人だと思う。
15. もし他の人が自分を好きになったとしても、その際に生じる不和や問題に打ち勝つことができる。

全ての回答が終わったら、合計値を算出します。
15点~105点の範囲に収まるはずです。

Specher & Metts(1989)では、男性の平均が62.55、女性の平均が59.10と男性の方がややロマンティックであるもののスコアのうえでは大きな差はありませんでした。この結果からは、男性が理想主義、女性が現実主義とは言えないようですね。

恋愛場面に特化した研究結果でしたが、「海よりもまだ深く」では真悟は地に足の着いたタイプのように描かれていますし、結局のところ、性別ではなく人それぞれで決まるということでしょうか。西村プロデューサーの真意はわかりませんが、それを覆すような女性クリエイターの登場に期待していみたいですね。


[引用]
Kephart, W. M.(1967). Some correlates of romantic love. Journal of Marraige and the Family, 29, 470-474.

Knox, D. H., Jr., & Sporakowski, M. J.(1968). Attitudes of college students toward love. Journal of Marriage and the Family, 30, 638-642.

Specher, S. & Metts, S.(1989). Development of the 'romantic beliefs scale' and examination of the effects of gender and gender-role orientation. Journal of Social and Personal Relationships, 6, 387-411.
プロフィール

Author:すぷーとにく0107
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映画館で年間200本は映画を観ます。
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