「TOO YOUNG TO DIE 若くして死ぬ」から考える主観的幸福感



「TOO YOUNG TO DIE 若くして死ぬ」では、主人公の高校生・大介が修学旅行でのバスの事故によって地獄に来てしまうところからスタートします。

そこで意中の相手だったひろ美ちゃん(森川葵)に告白するべく、生き返って元の世界に戻ろうと奮闘する姿を描いているわけですが、人は死んだらどうなるのか?死後の世界はあるのか?という問いは人類が長らく持ち続けている疑問の1つと言えるでしょう。

「サウルの息子」では、ユダヤ教においては火葬してしまうと復活した魂が入る肉体がなくなってしまうため、火葬を禁じているほどで、この考え方はキリスト教やイスラム教でも同様です。

一方、ヒンドゥー教では、火葬によって煙とともに天に上ることができるという思想になっており、生まれ変わり、ではなく死後の世界の方を意識しているという対照的なものとなっています。

仏教では、釈迦が火葬だったということもあって、一般的には火葬という解釈になっています。

とまあ、宗教をはじめとする心の拠り所次第で、生まれ変わりや死後の世界の捉え方は異なっていますが、こういった考えを持つことのメリットは何かあるのでしょうか?

Flannelly, Ellison, Galek & Koenig(2008)では、生まれ変わりや、死後の世界の存在を信じるかどうかで、精神病的傾向との関連があるかを調査しました。それによると、生まれ変わりを信じる人は、不安傾向、社会恐怖、妄想、強迫観念、うつ病、ストレスの身体化などとの関連が強いことが示されました。一方、死後、神と一体化する、天国があると考えている人は、上記の精神病的傾向との関連は弱いという結果になりました。

現実の生活に支障をきたすような精神的な問題や疾患を抱えている人は、やはりもう一度人生をやり直したいと考えるようになっているのかもしれませんね。

Shariff & Aknin(2014)では、天国、地獄、それぞれについての信念が主観的幸福感に関連があるか調査したところ、天国思想の強い人が多い国ほど、主観的幸福感も高くなるという傾向を示しました。さらに、実験によって、事前に天国についての文章を記述させたグループと、地獄についての文章を記述させたグループで、その後の心理状態に違いが見られるかを調査したところ、地獄についての文章を書かせたグループの人は、主観的幸福感が低くなり、主観的な悲しさが増大していたことが示されました。

天国があると思い込むことは、精神衛生上も大変よろしいようですね。

本作の大半は、地獄のシーンが多いので、本来ならばネガティブな感情を引き起こしそうですが、本作で描かれている地獄はかなりポップで楽しい雰囲気に包まれていますので、この映画見た後だったら主観的幸福感は高まっているかもしれませんね。
(あ、でも皆川猿時のくどさでプラマイゼロかも・・・)


[引用]
Flannelly, K. J., Ellison, C. G., Galek, K., & Koenig, H.G.(2008). Beliefs about life-after-death, psychiatric symptomology and cognitive theory of psychopathology. Journal of Psychology and Theology, 36, 94-103.

Shariff, A. F., & Aknin, L. B.(2014). The Emotional Toll of Hell: Cross-National and Experimental Evidence for the Negative Well-Being Effects of Hell Beliefs. PLOS one, 9, 1-8.
スポンサーサイト

「TOO YOUNG TO DIE 若くして死ぬ」感想。


(公式HPより引用)

[story]
高校生の大介(神木隆之介)は、クラスメイトのひろ美ちゃん(森川葵)に心を寄せていた。修学旅行中に仲良くなるチャンスを狙っていたが、乗っていたバスが事故に遭ってしまう。気が付くとそこは地獄だった。地獄専属のロックバンドのリーダー、キラーK(長瀬智也)から輪廻転生の方法を聞いた大介は、その日から地獄の特訓を始めるのだが・・・。

「真夜中の弥次さん喜多さん」「少年メリケンサック」「中学生円山」の宮藤官九郎監督、脚本による4本目の長編映画です。
公開間際に軽井沢行きのスキーバス事故が発生したことで、公開が見合わせになっていた作品でもあります。

序盤は、自分が死んで地獄にいることが理解できない大介に、キラーKが地獄のシステムと輪廻転生の方法について教えてくれます。
それを聞いてからは大介の輪廻転生によってなんとか自分の存在をアピールしようとする展開になっていきます。
ただし、人間に転生したという例は過去に1度もなく、大介もいろんな別の動物になって人間界へと戻っていきます。
このあたりの奮闘ぶりのくだらな面白さは、さすがはクドカン作品といったところですね。

終盤にはジゴロックというバンドの大会で優勝すれば人間に転生できる、というややとってつけた感のある状況になって、大介はキラーKらとともにヘルズの一員として優勝を目指すことになるのですが、ガバガバの設定はまだ目を瞑るとして、このあたりから徐々にキャラクターが暴走していきます。
その最たる存在が、皆川猿時扮するキャラクターですね。
どの役かはネタバレになってしまうので控えますが、そもそも皆川猿時はその見た目とキャラクターから、画面に写っているだけでインパクト大なのですが、そんな彼が暴走を始めてしまったら、もう誰も止められません。

これはクドカン監督の悪い癖なのかもしれません。
過去の「真夜中の弥次さん喜多さん」「少年メリケンサック」でも設定や途中までの展開はいいのに、だんだんグダグダになっていて、最後暴走というのが続いていました(「中学生円山」は最初から振り切れてるのでそこまで気にならなかったのですが・・・)。

上記の3作品とも120分前後あり本作も同様です。
それでくどい、アクの強いキャラクターが跋扈してしまっているため、後半の疲労感も半端ないものがありました。

だいぶ批判的に書いてきましたが、クドカン作品自体は好きなモノが多いです。ドラマの「池袋ウェストゲートパーク」や「木更津キャッツアイ」、そして「あまちゃん」も大好きです。

ただ、ドラマでは良いけど、2時間映画だと、ストーリーと、キャラクター、設定と構成のバランスがうまくいかなくなってしまうんでしょうかね?

本作も、キャラクターや地獄の設定は素晴らしいし、キラーKをはじめとする地獄のロックバンドたちの演奏も盛り上がります。
気がついたら、「トゥーヤントゥダイ!」と口ずさんでしまうほどです。
だからこそ特定のキャストのインパクトに頼らずに作って欲しかったというのが正直な印象です。

劇場公開は終了していますので、DVDで借りてみんなでわいわいしゃべりながら流しておくっていう見方ぐらいがちょうどいいかもしれませんね。

「64 -ロクヨン- 」から考える知る権利とカリギュラ効果



「64 -ロクヨン- 」で記者クラブと警察との間で対立する要素となっていたのが、交通事故の容疑者を匿名報道したことについてでした。

この匿名報道については現実でもよく問題になっています。
これは、知る権利とプライバシーを守ることが排反してしまうことが多いというのが一因として挙げられています。

この話題が一番出てくるのは少年法絡みでしょう。
1997年に起きた神戸児童連続殺傷事件(いわゆる酒鬼薔薇事件)や、最近では昨年の川崎で起きた中学生殺害事件でもこの論争はありました。
日本では、未成年の犯罪者の実名を報道しないことが少年法に定められています。これは、更正後の社会復帰のことを想定して、という説明がよくされていますが、制定されたのは戦後間もない1948年のことで、戦災孤児による窃盗などの非行、犯罪が多発している状況で、生きていくためにやむを得ない部分も考慮し、彼らの保護、再教育を目的としていました。
そのため、現在もそのまま適用するのはナンセンスだという解釈もあります(その後、何回か改正もされています)。

ちなみに、この少年法による実名報道の規制は、違反した場合の罰則はなく、いわゆる努力義務となっています。
先述した川崎の事件では、週刊新潮が実名報道をしていますし、過去の事件でもその残虐性などによって社会を震撼させたようなものについては実名報道がされているようです。

その一方で、被害者は実名報道されるのが基本でこれについても反対意見が数多くありますし、先日の相模原で起きた障がい者殺傷事件では、被害者の実名を伏せていることで、それがかえって障がい者差別になるなどの批判も出てきています。

ところで、この知る権利、プライバシーの意識はいつぐらいに芽生え、認識できるようになるのでしょうか?

外山・大林(2007)は、知る権利とプライバシーについて、小学4年生、6年生、中学2年生と大学生を比較し、それぞれどのような認識を持っているのかを調査しています。
それによれば、全世代に共通して、図書館で借りた本の名前や入っている部活動といった公的な内容は、学級新聞などに掲載しても良い、つまり公開しても良いと考える一方で、電話番号や小遣いの額といった私的な内容は公開すべきではない、してはいけないと解釈していました。

ただ個人情報を伝えても良いかどうかの判断場面として、「財布を拾ってくれた人にお礼をしたいからその人の電話番号を教えてほしい」と言われた時を例にあげて調査すると、小学4年、6年では、その電話番号を聞きたい理由が、「お礼を言いたいから」というポジティブな理由のときは教えても良いと判断する一方で、「お金が少なくなっているので盗られたのではないかと疑っているから」というネガティブな理由のときは教えないほうが良いと判断していました。
同場面において、中学2年生、大学生の回答は、いかなる理由でも教えるべきではないという回答が多くなっていました。

まとめると、個人情報をむやみに公開するべきではないという意識は小学生のうちからすでに持っており、中学生以降になると、たとえ知りたい理由が良いものであっても教えるべきではないと判断していることになります。

小学生ですら認識していることなのに、マスコミをはじめ大の大人がこの認識を無視してしまうというのはやはり考えものですね。

それでは、なんでもかんでも情報を公開しなければ良いのかというとそうでもありません。
人は、情報をひた隠しにされたり、部分的に規制されたりすることで、かえって気になってしまうということが知られています。

Allen & Allen(1974)では、小学生にいくつかのおもちゃの好意度をランク付けしてもらったあとで、2番めに気に入ったおもちゃで遊ぶことを禁止すると、その後、そのおもちゃの評価が高くなっていることが明らかになりました。
この現象は幼児期には見られず(幼児期の子どもは、禁止されたおもちゃの評価は低くなる)、成長過程における社会適合の1つとして現れてくるそうです。つまりは大人になると禁止されたものに魅力を感じてしまうわけですね。

これは、後に、カリギュラ効果と呼ばれて広く知られるようになった現象です。カリギュラとは1980年のアメリカ・イタリア合作映画のタイトルで、内容が過激であったためボストンなどアメリカの1部の地域で公開が禁止されたことで、かえって話題になってしまったという事例にちなんで名づけられたそうです。

これはいくらでも思い当たりますよね?

ダチョウ倶楽部の鉄板ネタ、「絶対に押すなよ~!」もそうですし、雑誌の袋とじやテレビでのピー音、そして大人のビデオでのモザi・・・おっとやめておきましょう(^_^;)。

情報においても同じで、微妙に規制されてしまうことで、かえって気になることがあります。特に先の川崎の事件でもそうですが、今はインターネットが普及しているために、たとえ報道上は規制されていてもその個人情報がネットに氾濫しているということもよく見られるようになってしまいました。

この知る権利とプライバシーを守ることの排反性はなかなかに解決しない問題だとは思いますが、それでも事件の場合は被害者や被害者家族の感情を重視するべきだと思いますし、それ以前に人としての最低限のモラルはしっかりと保っていたいものですね。

[引用]
Allen, V. L. & Allen, P. S.(1974). On the attractiveness of forbidden objects. Developmental Psychology, 10, 871-873.

外山紀子・大林路代(2007). プライバシーと知る権利に関する子どもの理解. 発達心理学研究, 18, 236-247.

「64 -ロクヨン- 」感想。


(公式HPより引用)

[story]
(前編)わずか7日間で幕を閉じた昭和64年。その7日間におきた少女誘拐殺人事件は、未解決のまま時効まで1年となっていた。通称:ロクヨンと呼ばれたその事件を担当していた三上(佐藤浩市)は、広報部へ異動となり、警察庁長官とロクヨンの被害者少女の父親・雨宮(永瀬正敏)との面会のセッティングを任されるが、交通事故の情報公開で記者クラブと対立しており、なかなか実現できずにいた。そんな折、かつての捜査員からロクヨンの捜査についての情報が入ってくるが・・・。

(後編)なんとか警察庁長官との面会を雨宮に取り付けた三上だったが、管内で少女の誘拐事件が発生する。身代金の金額や受け渡し方法はロクヨンと同じものだった。三上は記者クラブと報道協定を結ぶも、捜査状況を明らかにしない警察上層部に記者クラブとの対立が再び深まっていってしまう。業を煮やした三上は自ら捜査本部に乗り込んでいくのだが・・・。

「半落ち」「クライマーズ・ハイ」で知られる横山秀夫の同名小説の映画化です。監督は「ヘヴンズ ストーリー」「ストレイヤーズ・クロニクル」の瀬々敬久。

「ソロモンの偽証」「寄生獣」「るろうに剣心」「進撃の巨人」「ちはやふる」など、最近邦画でも前後編に分けての公開というのが増えてきている気がします。

もちろん原作が長くどうしても2時間程度で収めきれないということもあるでしょうが、この手法は賛否両論でしょうね。

制作側からすれば、1つの原作で2度美味しいという形に持っていける可能性はあります。
前編を見た人はほぼ間違いなく後編も見るでしょうし、スタッフや出演者に大きな違いがない限りは2本分の撮影コストがかかることはないでしょうしね。
ただ、裏を返せば、前編を見なかった人は確実に後編は見ないでしょうし、前編が期待はずれだった場合もやはり同様でしょう。
どちらにせよ、制作側は、とにかく前編を当てる、というのが最低限のノルマになるということが読みとれるのですが、なかなかどうして、上記の前後編映画においても前編は良かったのに・・・というのが多くなっている気がします。

前後編とも良かったのは「ちはやふる」ぐらいで、あとは前編の勢いを失っている印象の作品が多かったです。
はたして、本作「64 -ロクヨン- 」はどうでしょうか?

前編では、冒頭に昭和64年に起きた少女誘拐殺人事件の模様がリアルタイムで描かれます。
警察の捜査虚しく、被害者少女が殺されてしまうという最悪の結果になり、犯人もわからないまま迷宮入りとなってしまいます。

この事件、通称ロクヨンの謎を追うのがメインかとおもいきや、現在のパートでは、かつてロクヨンの捜査にあたっていた三上が今は広報部に異動しており、そこでの活動が中心になっています。

広報部では、ロクヨンの時効まで1年となった今、警察としては内外にアピールする目的もあって、警察庁長官とロクヨンの被害者家族・雨宮との面会をセッティングするよう上層部から指示されています。
しかし、広報部の目下の問題は、別の交通事故の容疑者の情報を非公開にしていることで記者クラブと対立していることでした。

前編で描かれるのが上記の内容で、もちろんその過程でロクヨンの捜査の過程も出てくるのですが、後編への布石といった感じで終わってしまいます。

後編では、ロクヨンを模倣した事件が発生することで、かつての事件を知る何者かの存在が明らかになり、それによってロクヨンの真相も明らかになっていくのですが、この模倣事件においても報道規制をしたせいで、再び記者クラブと対立・・・ってまたー?

作者の横山秀夫自身がかつて新聞記者だったということもありますし、警察と記者クラブの現状を表しているものなのかもしれませんが、前後編両方でやられるとさすがに辟易してしまいます。
これなら記者クラブとの対立をコンパクトにまとめて、2時間40分ぐらいでまとめられたのではないかと思ってしまいます。

主演の佐藤浩市、被害者家族の永瀬正敏はじめ豪華キャストを揃えただけあって、出演陣は軒並み素晴らしい演技をみせてくれていると思います。
それだけに主軸たる事件そのものがもっとメインに来てくれれば良かったという印象でした。

原作はまだ読んでいないので、そちらもチェックしてみたいと思います。

「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」から考える不思議現象に対する態度



「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」では前作に引き続き高度な知能と技術を兼ね備えたエイリアンと戦う人々の姿を描いているのですが、「未知との遭遇」「E.T.」など宇宙人の存在を描いた作品は数多く存在しています。

ところが日本の映画だと宇宙人が出てくるのはかなり限られている気がします。
ちょっと調べたところ1956年の「宇宙人東京に現わる」という作品が最初の本格的なSF映画として紹介されていました。
他は・・・三谷幸喜監督の「ギャラクシーk・・・」、うーん、やめておこう・・・。
というように、日本ではあまり作られていない印象です。

もちろんバジェット的な意味合いもあって実現困難ということもあるでしょうが、根底にあるのは、「宇宙人って本当にいるの?」ってことじゃないでしょうか?

ある調査では、アメリカ人の58%が宇宙人の存在を信じているそうで、以前の虚偽記憶の記事でもちょっと触れましたが、アブダクションのエピソードもたくさん残っています。
対して日本はソースは異なりますが、宇宙人の存在を信じているのは29%ぐらいというデータがあります。
これでも高めの数字ではあるのですが、アメリカに比べるとそこまで高くないということが分かりますね。

このような国民性も影響しているとは考えられますが、日本人でも宇宙人の存在だったり、それ以外のスピリチャルな存在を信じている人もいれば、全く信じていない人もいることでしょう。

坂田・川上・小城(2012)は、様々な不思議現象に対する態度を調べるための尺度を作成しています。
オリジナルは55項目だそうですが、その短縮版として30項目に絞ったものが以下の項目です。

1. 先祖の霊はあると思う。
2. 守護霊の存在を信じている。
3. 神仏の存在を信じている。
4. 死後の世界はあると思う。
5. 前世の存在を信じている。
6. 神仏に無礼を働くと、罰が下ると思う。
7. 占いは当たると思う。
8. 占いが当たると考えると安心する。
9. おまじないが効くと考えると安心する。
10. 占いが当たったことがある。
11. おまじないを信じている。
12. おまじないを活用すれば、うまく生きることができると思う。
13. 心霊写真にはトリックがあると思う。
14. 心霊写真は、単なる思い込みに過ぎない。
15. 心霊写真は本物だと思う。(逆転)
16. 不思議現象にはトリックがあると思う。
17. 不思議現象はすべて科学で説明できる。
18. 超能力はおもしろい。
19. 超能力は楽しい。
20. 心霊写真や心霊現象の話題は会話を盛り上げる。
21. UFOの話題は楽しい。
22. たたりの話題は、会話を盛り上げる。
23. 占いは怖い。
24. 超能力は怖い。
25. おまじないは怖い。
26. UFOに恐怖を感じる。
27. 自分は霊感がある方だ。
28. 霊を見たことがある。
29. たたりに襲われたことがある。
30. 家族や知り合いの中に、たたりに襲われた人がいる。

(1~6:スピリテュアリティ信奉、7~12:占い・呪術嗜好性、13~17:懐疑、18~22:娯楽的享受、23~26:恐怖、27~30:霊体験)

この尺度の得点が高い人は、宇宙人やUFOといった超常現象、超科学的現象を信じているのかもしれませんね。

川上・小城・坂田(2012)では、この不思議現象に対する態度尺度と他の尺度との相関関係を見ていますが、結果から、自分をどのように、どれぐらい認識したいかということに関する自己認識欲求尺度、まわりから褒められたいという賞賛欲求尺度、まわりから拒否されたり非難されたりしたくないという拒否回避欲求尺度、そして死ぬことに対する恐怖についての尺度との相関が高くなっています。

自分を突き詰めたいという意識が高い人がこういう不思議現象に前向きな態度を持っていると同時に、まわりから褒められたい、拒否されたくないという人も同じように考えているようですね。

「インデペンデンス・デイ」のエイリアンはあまり仲良くできそうにないですが、そういった存在に憧れる気持ちは分かる気がします。

[引用]
川上正浩・小城英子・坂田浩之(2012). 不思議現象に対する態度尺度(APPle)短縮版の作成(2). 日本心理学会第76回大会発表論文集.

坂田浩之・川上正浩・小城英子(2012). 不思議現象に対する態度尺度(APPle)短縮版の作成(1). 日本心理学会第76回大会発表論文集.

「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」感想。


(公式HPより引用)

[story]
20年前、エイリアンとの戦いに辛うじて勝利し、独立を高らかに宣言した人類は、再び迎えるであろうその時に備え、エイリアンの技術を元に強固な地球防衛システムを築き上げてきた。しかし、ついに再び地球に襲来したエイリアンは、人類の想像を遥かに超える進化を遂げていた。元合衆国大統領ホイットモア(ビル・プルマン)の愛娘パトリシア(マイカ・モンロー)の恋人で、20年前の戦いで両親を失った戦闘機パイロットのジェイク(リアム・ヘムズワース)は、人類の存亡を懸けた過酷な戦いに身を投じていくのだが…。

「インデペンデンス・デイ」からちょうど20年、再び宇宙人の襲来と戦うことになった人類の姿を描く続編で、メガフォンを取るのは前作に引き続きローランド・エメリッヒ監督。

全体的に大味な作品を超弩級の迫力で描くことによって、その名を響かせてきた同監督において、出世作とも言える「インデペンデンス・デイ」の続編なのですが、映像の迫力は上がっているのに、ストーリーや設定、キャラクターなど前作のほうがマシ・・・いや優れている部分が多かったというのが素直な印象です。

以下、本作の様々な問題点を列挙していこうと思いますが、本作、および前作の「インデペンデンス・デイ」のネタバレが含まれますので、未見の方はご注意下さい。

1. 地球人は何を学んだのか?

前作でエイリアンを撃退したことにより、エリア51には捕虜のエイリアンがおり、またその技術を学んだことで、次に襲来に備えて万全の体制をとっている、ということになっていますが、それならエイリアンの宇宙船にあったバリアとかを実装していても良さそうなのに、完全に皆無です。月面基地はそれなりに技術を感じますがそれ以外特にめぼしい物がないのもあれですね。
それからエイリアンの言葉を一切解読できていないのもスゴイ。ホイットモア元大統領が捨て身でエイリアンのテレパシーを読み取ってようやく理解しているのもなんだか・・・と思ったら別の球体エイリアン(今回のエイリアンに星を滅ぼされ、実体を伴わない存在として出てきます)の会話は翻訳できているのも矛盾してしまいます。

2. 主人公のライバルと親友の存在意義

主人公ジェイクのライバルとしてディランという戦闘機パイロットがいるのですが、彼は、前作のヒラー大尉(ウィル・スミス)の息子で、ジェイクが訓練中に起こした事故で撃墜されかけたことで不仲になっています(久々に再会したらいきなり殴りかかってきます)。その後、戦闘で協力しあうことにはなるのですが、ヒラー大尉の破天荒なキャラに近いのはジェイクの方で、ディランはかなり真面目キャラになっています。
ちなみにヒラー大尉はウィル・スミスのギャラが高くオファーを断念したということで、映画の中では訓練中に死亡したことになっています。
この2人の友情物語、かとおもいきやジェイクにはチャーリーという親友がいて、この2人がずっと仲良しのため、ディランの入るスキがありません。チャーリー役、必要だったのかな?

3. 無駄なBL描写

エイリアン襲来によって昏睡状態から目覚めたオーキン博士ともう一人の博士がやたらとイチャつきます。
博士が死の危機に瀕しているとき、「お前が死んだら誰がオレのズボンを履かせてくれるんだ?」とか誰得?なシーンもあります。
監督のローランド・エメリッヒもゲイということもあって性別を超えた関係を描いているのかもしれませんが、露骨な上にストーリー上重要でもないという・・・。

4. 中国に注目!

世界経済においてGNPが日本を上回って世界第二位となっている中国なので、その存在は軽視できません。
このことは映画業界でも同じなのか、マーケティングの観点だけではなく中国資本が映画製作にも入り込んできているのは明らかで、もっとも顕著だったのが、「トランスフォーマー/ロストエイジ」ですね。舞台の1つが中国になっているのはともかく、よくわからない中国人が敵をボコってくれたり(中国のキックボクシングのチャンピオンとのこと)、屋上に会った冷蔵庫に入っていた中国の牛乳を飲んだりと、露骨かつ不自然なまでに中国が登場します。
今年公開された「オデッセイ」でも中国の技術にNASAが助けられるシーンが登場します。
本作でも月面基地に新しくやってくる美人パイロット(チャックが一目惚れする、あ、これチャックの存在意義なのか!)が中国人の女性となっています。
そして!月面基地で飲まれているのが、蒙牛乳業の牛乳です。違和感ありまくりですが、これがプロダクトプレイスメントなので仕方がないですね。

5. エイリアンの優れた知能とは・・・

本作のエイリアンは人間よりもずっと進化した存在として描かれており、それゆえ高性能な銃火器を持っていて地球を始め様々な惑星を侵略してきています。
本作の見せ場の1つでもあるシーンで、重力をコントロールすることで地球に甚大な被害を与えています。
しかし、その割にはいろいろと杜撰すぎる気もします。
主人公たちはエイリアンのクイーンを倒すべく決死の覚悟で母船に乗り込みますが、それがワナで、主人公たちは母船内に閉じ込められてしまいます。
・・・閉じ込める意味ってあるの?自分たちの母船なんだから閉じ込めちゃったら攻撃できないよね?
結果的に主人公たちによって戦闘機を奪われてしまうことにもなっていますし、何のために閉じ込めたのかは謎でした。

そしてクイーンの行動もとても知能が高いとは思えません。
デヴィッド博士たちが偶然居合わせたスクールバスの子どもたちを救おうとすると、クイーンは自分をさんざん攻撃してくる戦闘機をそっちのけでスクールバスを追いかけてくる!その隙を突いてパトリシアが攻撃すると、今度はパトリシアを追いかけてくる!
主人公たちを狡猾にワナにはめたという展開からのコレはさすがに開いた口がふさがりません。

6. なんかわからないけど背中から攻撃したらバリアが消えた!

地球の兵器では破ることができないバリアに守られているので、クイーンを倒すことが困難なのですが、いつの間にか、「背中が弱点だ」ということになっています。
そしてクイーンがスクールバスに気を取られている隙にパトリシアによって攻撃されるとそれでバリアが無効化されたのか、最後にジェイクとディランによって倒されます。
前作では、バリアをコンピューターウィルスによって無効化する、その間隙をついて攻撃、という展開だったのですが、本作では完全なるゴリ押しになっています。

7. 何しにきたの宇宙人?

前作でも巨大宇宙船が描かれていましたが、本作に出てくる巨大宇宙船は直径が4800km!
地球の直径の1/3ぐらいですね。
そんな宇宙船作る技術力と場所があるなら、わざわざ地球に来る必要ない気がしますね。
捕虜になっているエイリアンを助けに来たのかとおもいきや、特に救出するでもなく地球をコアから破壊しようとしてますしね。
単なる愉快犯なのか?

とまあ、前作のようなカタルシスや感動は得られない作品になっていました。
とはいえ、それもひっくるめてローランド・エメリッヒ監督らしいといえばそうなので、ある意味中毒性のある映画でもあります。
いろいろ突っ込みながらワイワイ見るほうが楽しそうな映画ですね。

「日本で一番悪い奴ら」から考える権威への服従



私事ですが、2週間ほど海外に行っておりまして、しばらく更新が途絶えておりました。
ご訪問いただいた皆さま、申し訳ありません。m(_ _)m


さて、「日本で一番悪い奴ら」では、柔道で全国大会を制し、意欲と正義感を持って北海道警察で働くこととなった諸星がなぜあそこまでの暴走をしてしまったのかという点に注目です。

しかし彼の行動を考えてみると、自分の意思で判断した部分は実は序盤には全く見られません。
誘われるがままに北海道警察に入り、先輩に言われるがままに調書を作成したり、あげくはピエール瀧扮する先輩の指導のもとに、裏社会へと進出していくのですから。

諸星は柔道部でバリバリの体育会系だったことも関係しているかもしれませんね。
先輩の言うことは絶対というのはどこの部活でも一緒だと思いますし。
誰しも先輩の言っていることには、それがたとえ間違っていたとしても逆らうことはできないものですよね。

Milgram(1963)は、実験参加者に、ある記憶の実験と称して、実験のサポートをお願いしました。そこでは、被験者がある記憶テストを行っていて、もし答えを間違った時は、罰として電流が流されるというものでした。
これだけだったらなんだか日本のバラエティー番組でもやってそうですよね。
ただし、この実験では、誤答数が増えるごとに電流を徐々に強めていくというものでした。

ここで実験参加者は何をするかというと、被験者が答えを間違った時に電流を流す役を任されます。
バラエティー番組のADのような役どころですね。

被験者と実験参加者の間はマジックミラーになっていて、被験者の側からは実験参加者は見えないようになっています。
そして、この実験の真の目的は、実験参加者が被験者に対して、どこまで電流を強めるのか、を見ることにありました。

電流は15Vから最大450Vまで変更できるようになっていて、実験者は、実験参加者に、もし被験者が間違えた場合、電流を強くするようにという指示しかしませんでした。
電流は100Vを超えると、被験者が苦しんで声を上げたり叫んだりするようになります。
さらに、300Vになると、被験者は壁をたたいて実験の中止を訴えてきます。
そして、330Vを超えると、被験者はぐったりして無反応になります。

この異様な状況において実験参加者も実験そのものに疑問を感じるようになるのですが、実験者はあくまで、「実験を続行して下さい」、つまりは被験者が間違えた時(後半、無反応状態になっていても時間内に解答できないので不正解とされる)、指定の電流を流すように促されます。

いくら実験とはいえ、そんな残酷なことはできないだろう、というのが事前の予測でしたが、結果は、全体の62.5%の人が、最後まで実験を継続した、つまりは最大の450Vまで電流を流し続けたというものでした。
苦痛を感じ、実験中止を訴え、さらには意識さえ失ったような相手に対して、残酷な行為をし続けたことになります。

この判断の背景には、有名な大学の教授に指示されたということがあります。
自分の意思や感情に関わらず、その指示に盲目的に従ってしまうことを、権威への服従と呼んでいます。
これにより、たとえ自分では良くないと思ったことでも、実行に移せてしまうのです。

この実験は、ミルグラム実験、あるいはアイヒマン実験と呼ばれています。
アイヒマンとは、アドルフ・アイヒマンのことで、第二次大戦時に何百万人ものユダヤ人を強制収容所に送還することを決定した人物です。
この事実からすればアイヒマンはものすごく残酷な非人道的な人間だろうと思われるのですが、哲学者のハンナ・アーレントは、平凡な小役人であると評しました。このことはかなり物議をかもしたのですが、アイヒマンもまた、ナチス上層部からの指示に従っただけということで、権威へ服従してしまった結果、ホロコーストに加担してしまったということです。
このあたりは映画「ハンナ・アーレント」でもよく描かれていました。

このミルグラム実験、実は被験者役の人はサクラで、実際には電流は流れておらず、電流が流されて苦しんだり叫んだりする演技をしていただけだったのですが、このことが実験参加者に罪悪感を抱かせたり、精神的苦痛の要因となったりしたことで、実験そのもの以上に倫理的な問題があると指摘され、心理学研究におけるモラルの話題には必ず登場するものとなっています。
かいつまんで言うと、絶対に真似してはいけませんよ、ということですね。

しかし、Burger(2006)が、倫理的な問題に配慮しつつ、このミルグラム実験を再現しています。
その結果、ミルグラム実験よりわずかに低い値にはなっていたものの、過半数の人が実験者の指示通り電流を流し続け、つまりは権威に服従していたことが示されました。

当初ミルグラム実験は実験方法の問題点や実験の精度、再現性が疑問視されていた部分もあったのですが、この実験により現在でも同様の結果が得られることを示したということになります。

あきらかに残酷で非人道的なことですら盲目的に服従してしまうことがあるのですから、「日本で一番悪い奴ら」の諸星が、その手段はともかく先輩が事件の容疑者を捕まえているという事実があって、それが正義のためであるならば、従ってしまうのも十分にうなずける話です。
もし彼が品行方正な上司の元についていたら、素晴らしい刑事になっていたのかもしれませんね。


[引用]
Burger, J. M.(2006). Replicating Milgram: Would people still obey today? American Psychologist, 63, 1-11.

Milgram, S.(1963). Behavioral Study of Obedience. Journal of Abnormal and Social Psychology, 67, 371–378.
プロフィール

すぷーとにく0107

Author:すぷーとにく0107
FC2ブログへようこそ!
中の人は、北海道は札幌市在住です。
映画館で年間200本は映画を観ます。
当ブログでは、映画のレビューをしつつ、勉強している心理学ネタでも書いていけたらいいなと思っています。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスカウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる