「怒り」から考える一般的信頼



「怒り」では、自分が愛した相手を信じることができるか?という究極の問いが登場人物、ひいては映画を観ている人にも投げかけられます。

海援隊の「贈る言葉」の歌詞でも、「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つく方が良い。」と歌われていますが、信じるということは、同時に裏切られて不利益を被る可能性も高くなるということになっているのでしょうか。

日本のことわざでも、「人を見たら泥棒と思え。」というものがあります。
これも他人を安直に信用するなという警句になっています。
その一方で、「渡る世間に鬼はなし」とも言います。
世の中にはそんなに悪い人はいない、というある種の性善説のようなフレーズです。

そんなわけで、人を信じるとはどういうことなのか?が今回のテーマです。

他人を信頼する、信頼しないというのが議論される状況は、自分から見て相手の意図がわからなくて、かつ相手が何らかの裏切り行為をした場合に相手にメリットが生じるような場面ということになります。
これは社会的に不確実な状況と呼ばれています。

多くの詐欺は、相手がニセ物や価値のないものを売りつけて不当に儲けようという意図がわからないために起こるとも言えます。

そのようにならないためには、相手のことをコミュニケーションを通じてよく知ることや、長期的な関係を築くことで、1度の裏切りや詐欺によって得られる短期的な利益をメリットにさせないなどの方法があります。
このような状態になると、相手の意図やメリット、デメリットなどを客観的に評価できるようになり、その結果として有効的な行動を期待できるようになります。
このことは、「安心」と定義されます。

それに対して、上記のような保証がなく客観的な評価が困難な場合でも、相手は自分にとって不利益になるようなことはしないだろうという漠然とした期待が、「信頼」と定義されます。
特に根拠がなくとも、大抵の人は信頼できるという思いのことを特に、一般的信頼と呼んでいます。

信頼感を調べるための尺度として、堀井・槻谷(1995)の対人信頼感尺度というものがあります。
以下の17項目に、

1:そう思わない
2:ややそう思わない
3:どちらとも言えない
4:ややそう思う
5:そう思う

の1~5で回答してみて下さい。

1. 人は基本的には正直である。
2. 人は,多少良くないことをやっても自分の利益を得ようとする。(※)
3. 人は,頼りにできる人がわずかしかいない。(※)
4. 人は,ほかの人の親切に下心を感じ,気をつけている。(※)
5. 人は,ふつう清く正しい人生を送る。
6. 人は,成功するためにうそをつく。(※)
7. 人は,近ごろだれも知らないところで多くの罪を犯している。(※)
8. 人は,ふつうほかの人と誠実に関わっている。
9. 人は,だれかに利用されるかもしれないと思い,気をつけている。(※)
10. 人は,ほかの人を信用しないほうが安全であると思っている。(※)
11. 人は,ほかの人に対して,信用してもよいということがはっきりわかるまでは,用心深くしている。(※)
12. 人は,口先ではうまいことを言っても,結局は自分の幸せに一番関心がある。(※)
13. 人は,ほかの人を援助することを内心ではいやがっている。(※)
14. 人は,自分がするといったことは実行する。
15. 人は,チャンスがあれば税金をごまかす。(※)
16. 人は,他人の権利を認めるよりも,自分の権利を主張する。(※)
17. 人は,やっかいなめにあわないために,うそをつく。(※)

集計の前に、※印がついている項目(2, 3, 4, 6, 7, 9, 10, 11, 12, 13, 15, 16, 17)は逆転項目になっていますので、回答した評価を逆転(1ならば5、2ならば4、4ならば2、5ならば1と)させてから合計してみて下さい。

17点~85点になるのですが、日本人の平均点はだいたい50点だそうです。これよりも高い人は一般的に人を信頼しており、低い人は信頼していないという傾向があるということになります。

得点が高かった人は人を信頼しやすいということになりますが、それでは上記のような詐欺にも会いやすいのでしょうか?

菊地・渡邊・山岸(1997)では、囚人のジレンマの構造を持つ取引きゲームにおいて、一般的信頼性の高さが他者への信頼や行動の予測における違いを検証しています。

この時用いられた取引ゲームの概要は以下の通りです。

2人のプレイヤーが取りうる選択肢は2つです。
1つは「相手に100円を提供する」という「協力」で、もう1つは「相手から100円を巻き上げる」という「裏切り」です。
「協力」の場合、提供された100円は2倍の200円となって相手に渡ります。それに対して、「裏切り」の場合、裏切った方は100円をせしめることができますが、裏切られた方は損害額としては2倍の200円となります。

もし両者とも「協力」の場合、両者とも100円提供して200円になって返ってくるので、それぞれ+100円となります。
反対に両者とも「裏切り」の場合、100円は相手から巻き上げることができますが、同様に相手に巻き上げられる損害として200円のマイナスが生じるため、結果的にはそれぞれ-100円となります。
一方が「協力」、一方が「裏切り」の場合、協力した方は、供給した100円と相手の裏切りによる損害200円をあわせて-300円となり、裏切った方は、相手の協力により受け取った200円と相手からせしめた100円をあわせて+300円となります。

個人のレベルで考えると、相手の選択に関わらず、自分は「裏切り」の方が利益が高くなります(相手が「協力」の時、自分「協力」→+100円、「裏切り」→+300円。相手が「裏切り」の時、自分「協力」→-300円、「裏切り」→-100円。)。しかし、両者がそう考えることで、両者とも「裏切り」を選択すると、お互いの利益は-100円となってしまうというのがこの囚人のジレンマの構造の特徴です。

さて、この研究では、この囚人のジレンマ型取引ゲームにおいて、自分は相手への協力を選ぶかどうか、そして相手の選択が「協力」か「裏切り」かの予測がどのようになっているかを、一般的信頼性の度合いによって異なるかを調べています。

その結果、協力率においては、一般的信頼性の高さに違いは見られず、相手の選択の予測においては、一般的信頼性が高い人ほど正確だったということが示されました。

つまり、単なるお人好しが人をむやみに信じすぎて騙されるということではなく、人の信頼性を適確に判断できるからこそ、多くの人を信じられるようになり、結果として一般的信頼性が高くなるという考え方になるということです。
他者を信頼できるということは、もちろん悪い人に騙されるリスクも生じますが、それ以上にその信頼のネットワークを拡大していく機会にも恵まれることになります。
そのようにして形成された人間関係はより強固なものであり、そのことは何よりも財産となるのではないでしょうか?

心の慟哭としての「怒り」を表出した泉や愛子のように、次のステージに進むための糧となるのも、やはり愛する人、信頼できる人、大切な人の存在でしょう。

[引用]
堀井俊章・槌谷笑子(1995). 最早期記憶と対人信頼感との関係について. 性格心理学研究,3,27-36.

菊地雅子・渡邊席子・山岸俊男(1997). 他者の信頼性判断の正確さと一般的信頼― 実験研究. 実験社会心理学研究, 37, 23-36.
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「怒り」感想。


(公式HPより引用)

[story]
八王子で起こった夫婦殺害事件。凄惨な現場には、「怒」の文字が残されていた。それから3年、千葉の漁港で働く洋平(渡辺謙)は、家出していた娘・愛子(宮崎あおい)を連れ帰ってくる。そこで愛子は2ヶ月前から漁港で働き出した青年・田代(松山ケンイチ)と親しくなるが・・・。東京、大手企業に務めながら優雅なシティライフを送っていた優馬(妻夫木聡)は、ナイトクラブで知り合った男と一夜限りの関係を楽しんでいた。そんな折、新宿で行くあてのない青年・直人(綾野剛)と出会う・・・。沖縄、親に連れられ引っ越してきたばかりの泉(広瀬すず)は、地元の少年、辰哉(佐久本宝)に船を出してもらい離島に行く。そこで、バックパッカーの田中(森山未來)という男に遭遇し・・・。

「悪人」の吉田修一原作、李相日監督のタッグで送るヒューマンドラマ。

今年の夏は、「シン・ゴジラ」、「君の名は。」の大ヒットもあり、興行的にも作品の質的にも良いものが多い印象です。
ただ、昨今の映画館事情によって、シネコンでは大ヒット作の上映回数や上映館を増やす一方で、あまりヒットが見込めない、ヒットしていないものはその割を食ってしまう傾向が強くなっている気がします。
本作はまさにそんな割を食う存在だと思うのですが、個人的にはかなりの傑作だと思っています。

冒頭、八王子の閑静な住宅街で、夫婦が殺害されるという事件が発生します。その凄惨な現場に残されていたのは、「怒」の文字。
指名手配された犯人は名前を変え、顔を整形し、逃亡してしまいます。

そこから1年が経過して、千葉、東京、沖縄それぞれの場所でそれぞれの物語が動き出します。

千葉では、洋平が家出して歌舞伎町の風俗で働いていた娘・愛子を連れ戻すところからスタートします。
愛子は軽い知的障害を持っているようで、自分が誰からも必要とされないということを気にしており、そのためか、人に対して過度に尽くそうとしてしまいます(働いていた風俗のお店の店員の話からもうかがえます)。
洋平は、愛子がそんな状態になっていることを心配しながらも、狭い漁村での世間体を気にしてしまいます。
そんな愛子の前に、2ヶ月ほど前にふらりとやってきて、洋平のところで働いている田代が現れます。朴訥な雰囲気ながらも優しい田代に愛子は惹かれていきます。

東京では、一流企業に務め、高級マンションで一人暮らしをしている優馬が夜な夜なクラブで遊び明かします。彼はゲイで、その夜に出会った男性と一夜を共にする生活をしていました。ある夜、新宿で直人と出会い、行くあてのない彼を自分のマンションへと連れてきます。最初は直人のことを信じていない素振りを見せながらも、徐々に心を開く直人に優馬も心を許していきます。

沖縄では、母親に連れられて引っ越してきたばかりの泉が、地元で同い年の少年・辰哉に舟を出してもらい、離島へと遊びに行きます。そこでバックパッカーの田中という男と出会います。

と、3ヶ所に共通しているのが、それぞれ素性の知れない男が登場してくるということ。
見ている側からしても、これがあの八王子事件の犯人かもしれない、という疑念を抱くことになります。

そして、それぞれの場所で事件が起こります。
千葉では、田代が偽名を使っているということが発覚します。洋平が愛子に聞いたところ、愛子は「田代が親戚の借金を肩代わりしなければいけなくなって、それが払えなくて逃げているのだ」と言うのですが・・・。

東京では、優馬の友人たちが連続で空き巣に入られるという事件が起きます。その時期がちょうど直人がやってきた時期と重なっていることに優馬は気がつきます・・・。

沖縄では、那覇に遊びに来た泉と辰哉は、偶然出会った田中と夕食を食べます。田中と別れた2人でしたが、泡盛で酔いつぶれていた辰哉がどこかに行ってしまい、それを探していた泉はいつしかアメリカ兵ばかりがいる地域へと足を踏み入れてしまい・・・。

彼らに共通しているのは、自分が大切な人をどこまで信じることができるのか、大切な人を守るために自分が何をできるのか、という究極的な問いを投げかけられるということです。
そして、それが叶わなかった時に湧いてくるのが、悲しみではなく、自分に向けての怒りなのでしょう。

愛子は、最後の最後のところで田代を信じられなくなり、彼が八王子事件の犯人ではないかと疑ってしまいます。

洋平は、愛子が人並みに幸せになれるとはどうしても思うことができず、愛してはいるもののどこか後ろめたい存在としてとらえていることに気付かされてしまいます。

優馬は、直人のことを気に入っているし、自分自身もゲイであることを隠していませんでしたが、それでも昔の地元の知り合いと会う時には直人を遠ざけ、そのことを隠しています。
そして、彼もまた直人が八王子事件の犯人ではないかと疑いだし、彼との関わりを否定してしまいます。

辰哉は、泉を守りきれなかったという弱い自分に、そして自分が信じ切っていた相手に裏切られたことに対して、大いに怒りを感じます。

泉はどうしようもない大きな力に対して、それに屈してしまうことに対して、そしてそのことを忘れようと誰にも会わずにふさぎ込んでいる自分に対して、怒りを感じます。

田中の怒りは一番解釈が難しいのですが、新しい環境で生まれ変われると思ったのに、結局は変われない自分に対して、怒りを感じていたのでしょう。

そして、八王子事件の犯人は、現場の壁に「怒」という1字を書き残すほどに露わにしていたように、日雇いで明日をもしれぬ生き方をせざるを得なくなったこと、そしてそんな立場の自分を嘲笑するかのような世の中に対して、怒りを感じます。
この犯人だけが、社会や世間といった実体のないものに対する身勝手な怒りを感じているのもまた印象的でした。

出演陣も軒並み好演を見せてくれていました。
特に印象的だったのが、まず宮崎あおいです。原作では太っていてこれといった見栄えのしない容姿ということですが、本作のために体重を増やして、知的障害があるという雰囲気もうまく出していたように思います。
それから、広瀬すずですね。
「ちはやふる」「四月は君の嘘」など天真爛漫な主人公といったキャラクターが多かったのですが、本作ではその明るさを内に押さえ込んだ、繊細な少女を演じています。
そして、この広瀬すず扮する泉に心を寄せながらも終盤の事件により大きく心が揺れ動く少年・辰哉に扮した佐久本宝。
彼はオーディションで選ばれて本作が初出演だそうですが、錚々たる出演陣に勝るとも劣らないインパクトを見せてくれています。
知名度からポスターにその姿はありませんが、重要な役どころを演じています。
沖縄の素朴な少年の雰囲気も残しつつ、少年ゆえの弱さと感情の高ぶりを巧みに表現していると思います。

同監督、原作の「悪人」もかなりお気に入りの作品なのですが、本作もそれに匹敵するぐらいの完成度だったと思います。
最近歳のせいか、映画で泣くことも多いのですが、本作は気がついたら涙が流れていたというタイプの感動で、これは今までに経験したものとは全く異質のものでした。

「悪人」では、悪とは何なのか?という人間の原罪についてがテーマでしたが、本作は愛する人を信じられるか?というのが根底にあるテーマとなっています。
「悪人」でも、祐一と光代がもしもっと早く出会っていれば、という気持ちにもなったのですが、本作でも、ふとしたきっかけでできあがった人間関係が物語の軸となっています。
人間関係が希薄とも言われる現代だからこそ、改めて大切にしたい絆というものを痛感させられる内容でもありました。

「君の名は。」の大ヒットの影に隠れて興行的にはそこまで目立っていませんが、これもまた日本映画の1つの傑作だと思います。

なかなかに重い内容なのですが、ぜひご鑑賞いただきたいと思います。

「四月は君の嘘」から考える選択的聴取と創造性



「四月は君の嘘」では、主人公の公生が、自分のピアノの先生でもある母親に汚い言葉を浴びせてしまったことで、ピアノの音が聞こえなくなってしまいます。

実際にそんな症例があるのかというと、さすがにピアノの音だけ聞こえなくなるというのは考えづらいのですが、心因性の理由によって聴覚が失われる現象として、突発性難聴があげられます。

突発性難聴は、文字通り、突然耳が聞こえなくなる、聞こえづらくなるというのが症状で、その原因は明確には分かっていませんが、多くの場合が心因性、つまりはストレスなどが原因で起こるとされています。
公生もある種の突発性難聴と考えたら良いのかもしれませんね。

ところで、人の聴覚には、注意を向けた音声だけを選択的に聴取し、それ以外の音を聞かないようにするという機能があります。
このことを選択的聴取と言っているのですが、大勢の人が雑談をしている最中でも、自分の聞きたい人の声だけを聞き分けることも可能であることから、カクテルパーティー効果とも言われています。
この選択的聴取によって、聞きたい音に注意を向ける一方で、それ以外の音は聞かないようにするわけですが、ただ、どうしてもまわりの雑音が気になるタイプの人もいるかと思います。
そんなときに、「自分は集中力がないのでは?」などと心配してしまう方もいるかもしれませんが、必ずしもそうとは限りません。

Zabelina et al.(2015)では、雑音が気になるということは、それだけ多くの情報を同時に処理しようとしているためであり、それは創造力がある人ほど当てはまるのではないかと考え、以下のような実験をしました。

まず、事前に芸術・科学など創造性が求められる分野での実績を調査した後で、ある計画における問題解決案を考案するというテストを実施されます。このように明確な正解のないような課題についての思考のことを拡散的思考と呼びますが、これが創造力と関係しているとも言われています。
実験参加者がこの課題をしている間、ビープ音が流され、その音をどれぐらいフィルタリングしたかのチェックも行われました。

実験の結果、拡散的思考の得点が高い人ほど、学力の試験も比較的優れており、ビープ音に対するフィルタリングもよく行われているという結果になりました。
一方で、創造性に関わる分野で実績を残していた人に特徴的にフィルタリングの"漏れ"が見られたそうです。
拡散的思考は創造性と密接に関わっているものではありますが、創造的な分野で実績を残す人は、単に考えやアイデアが思いつくだけでは不十分なのかもしれませんね。
それよりもむしろ周囲の情報に対して常に鋭敏な感覚を持っていることのほうが重要なのかもしれません。

感覚が鋭敏だったとして知られているのが、進化論のダーウィンや作家のカフカやプルーストなどがいます。

公生も感覚が鋭いからこそ、逆に繊細にもなっているのかもしれません。だからといって、完全に耳をふさいでしまうのではなく、雑音の中にも重要な情報が紛れ込んでいるかもしれないので、時には耳を傾けてみるのもいいのかもしれません。

[引用]
Zabelina, D. L., O'Leary, D., Pornpattananangkul, N., Nusslock, R., & Beeman, M.(2015). Creativity and sensory gating indexed by the P50: Selective versus leaky sensory gating in divergent thinkers and creative achievers. Neuropsychologia, 69, 77-84.

「四月は君の嘘」感想。


(公式HPより引用)

[story]
神童とも言われた天才ピアニストの公生(山崎賢人)だったが、ピアノの先生でもあった母親の死後、全くピアノが弾けなくなっていた。ある日、幼馴染の椿(石井杏奈)にバイオリニストのかをり(広瀬すず)を紹介される。自由奔放な彼女は、公生を強引に自分の伴奏者に指名する。最初は戸惑う公生だったが、再びピアノに向き合うようになり・・・。

新川直司の大人気コミックスを「僕の初恋をキミに捧ぐ」「潔く柔く」の新城毅彦監督により実写映画化したのが本作です。

原作コミックは未読なのですが大人気なようで、TVアニメ版も好評を博しての満を持しての実写映画化となりました。
人気コミックともなれば映画化の流れは避けて通れないものではありますが、結果はかなりはっきりと分かれている気がしますね。本作ははたして。

というわけで、今回もだいぶネタバレを含みますので、ご鑑賞後に再読いただけたらと思います。



で、まあ、結論から言うと、ありきたりの難病カワイソウモノになってしまっているんですよね。
まあ予告編からなんとなく予感はしていたんですが、まさにその通りの結論だったので、肩透かしというか、もったいないというか、そんな印象でした。

以下気になって点をいくつか書いていきたいと思います。


1. かをりが公生と会うきっかけ

かをりが親友の椿に、公生の親友である亮太を紹介して欲しい、というのがきっかけで、数合わせということで公生も呼ばれます。
その時、子どもたちと一緒に楽しく音楽を演奏している姿を見て、さらにはかをりのコンクールで楽しそうに演奏する姿を見て、それ以降、公生はかをりのことが気になっていきます。
かをりも、公生を半ば強引に自分の伴奏者に指名して、公生は再びピアノを始めることになるわけですが・・・って、このあたりに亮太があまりに絡まなさすぎますね。
もちろん予告編を見るまでもなく、主人公の2人はわかっているのですが、もう少し、かをりが亮太のことが好きである、という演出があっても良かった気がします。
タイトルにもなっている"嘘"は、最後にかをりの手紙で明かされるのですが、それが実は亮太のことが好きってのは嘘でしたよ、というもので、それだけ?と思ってしまいました。

2. かをりの病気について

かをりは"ちょっと悪い病気"で入院をし、それでも再び公生と一緒に音楽を奏でたいという思いから、助かる確率の低い手術に望むことになるのですが、結果、それが叶わず、公生たちはかをりのいない春を迎えることになってしまいます。
ところで、この病気はなんだったんですかね?
症状からすると筋萎縮性側索硬化症(ALS)のような感じもするのですが、それだとしたら手術で回復というのはあわない気がします。
白血病や腫瘍だとしたら、そこまで重篤な状態になるまでに抗がん剤などを利用していると考えられるのですが、その気配もなかったですし。
病名は原作でも明らかにしていないので、映画もそれに忠実にならっただけなのでしょうが、どうも無理やり感動モノに結びつけようとしている印象は否めませんでした。
元気な時に川に飛び込んだりしているのも説得力にかける展開になってしまっている気がしました。

3. 説明的なセリフが多いのに、説明不足?

本作、というか邦画の良くないパターンとして、登場人物が自分の心情を語りすぎるというところがあります。
本作でも、ナレーションでいろいろな状況が語られますし、それ以外でも登場人物が自分の心情を次々と吐露します。
極めつけだったのが、後半に椿が自分の気持ちを公生に伝えるシーンで、もうね・・・。
演じている石井杏奈は頑張っているんですけど、さすがにこのセリフというかシーンはどうかと思いましたね。
と、これだけ心情を隠すことなくしゃべっているのに、全体としては説明不足でよくわからない部分も多々あります。
公生が母の友人でピアノの先生をしてくれる紘子に、「聞こえなくなるのは、贈りものだよ。」と言われるシーンがあるのですが、この謎は最後まで明かされません。


とまあ、良くないところばかり書いてしまいましたが、原作未読の自分の印象では、おそらく原作はもっと音楽が中心なのではないかと思います。
とにかく譜面を追いながら正確に演奏しようとする公生と、譜面にしばられない自由な演奏をするかをり、自分のせいで母親が死んだと思い、ピアノを弾くことすらできなくなっている公生と、残された時間がわずかでも聞いてくれる人がいるならば演奏したいというかをり、この対称性はとてもキレイなんです。
映画では、2人の恋愛をメインに持ってきてしまったために、このあたりの要素が弱まってしまったのも欠点のように感じてしまいました。
(原作もそのままだったらゴメンナサイですが・・・)

では、良かった点も。
主演の広瀬すずは、「ちはやふる」でもマンガの主人公を演じていましたが、本作の自由奔放な部分はさすがの魅力でした。
公生が最初に見かけた時、そして演奏している時はそれが顕著で、とにかく絵になります。
ただ、その半面、病気の部分のインパクトが薄れてしまうのが難点でしたけどね。
山崎賢人も、もう何度目のマンガキャラを演じているのかわからないほどですが、陰のある天才という雰囲気は出ていたように感じます。
その2人を支える親友役の石井杏奈もツンデレっぽいところも出ていて魅力的でした。先に「ソロモンの偽証」見ておくと、その魅力は倍増ですよ。
そして亮太。見た目の爽やかさもさることながら、キャラが良い。
ここまで良いやつなんだから、かをりも好きになってもおかしくないのに、そこをあまり描かなかったのも映画としての欠点でした。

鎌倉、江ノ島で撮影した風景も良く、要素としての魅力は多かっただけに、これはちょっともったいなかったですね。

原作・・・どうしようかな・・・。読もうかな。

「スーサイド・スクワッド」から考える転移・逆転移



「スーサイド・スクワッド」はとにかくハーレイ・クインだけ見てればそれでいい!と言い切ってしまうぐらいに彼女の活躍ぶりが目立つ映画でした。ハーレイ・クインは、DCコミックスの実写映画版には初登場なのですが、あのジョーカーの恋人という役どころであります。

元々は精神科医ハーリーン・クインゼルで、ジョーカーの精神構造に興味を持って近づいたところ、逆にジョーカーの虜になってしまい、ジョーカーの望むままに行動するハーレイ・クインとなったのです。

そんなことあるのか?と思うかもしれませんが、実はこれはカウンセラーとクライアントの関係としては起こりうる1つの現象として紹介されているものなのです。

クライエントが自分にとって重要な他者(両親など)との間に生じた欲求、感情、葛藤などが、別の対象(多くの場合は治療者やカウンセラーなど)に対して向けられるようになることを転移と言います。
愛情や依存欲求が向けられる場合を陽性転移、敵意や攻撃欲求が向けられる場合を陰性転移と呼んでいます。

それに対して、カウンセラーなどの治療者に立つ側の方が、クライエントに対して自分自身が過去に持っていた欲求や葛藤などを向けることを、逆転移と言います。
この考えを提唱したFreud(1910)は、クライエントを理解したり、適切な働きかけを行うのに妨害となるものだとし、それを克服することの重要性を述べていますが、広義の意味では、クライエントの深層を理解し、その問題点を修正する上で不可欠なものという考えもあるそうです。

陽性転移は、例えば親に虐待されていた子どもが、お医者さんやカウンセラーなどに優しく接してもらうと、自分が親にしてもらいたかったと思うことを要求するようになる場合などが挙げられます。
両者の関係性によっては、恋愛感情が芽生える場合もあります。

ただし、このような感情を抱いているときに冷たい対応をされたり、あるいは自分を虐待していた親と同じような仕草を見せたりすると、その相手に対して拒絶反応を示すなどの陰性転移が生じます。

これがお医者さんやカウンセラーなどの治療者側から起こるのが逆転移で、本作のハーレイ・クインはまさにその状態にあるわけです。

この転移と逆転移を提唱したフロイト、ユングが、まさにその現象に飲み込まれるさまを描いた「危険なメソッド」という映画もありますので、このことを理解してから見るとより楽しめると思います。

日本でも最近のドラマで「Dr. 倫太郎」や福山雅治主演の「ラブソング」あたりでも取り上げられていて、何かと話題でしたね。


[引用文献]
Freud, S.(1910). Die zukünftigen Chancen der psychoanalytischen Therapie. Internationaler Psychoanalytischer Verlag.

「スーサイド・スクワッド」感想。


(公式HPより引用)

[story]
スーパーマンがいなくなった世界。政府はさらなる敵に備えるために、服役中の悪党たちを集めた特殊部隊“スーサイド・スクワッド”を結成することを考案する。百発百中の冷酷スナイパー“デッドショット”(ウィル・スミス)やジョーカーに一途な想いを寄せるクレイジー・ガール“ハーレイ・クイン”(マーゴット・ロビー)などを招集し、減刑と引き換えにミッションに挑むことに。しかし首には信号で即座に爆発する小型爆弾が取り付けられていて・・・。

スーパーマンやバットマンでお馴染みのDCコミックスの悪役キャラクター総出演で贈るバイオレンス・アクション超大作。
監督は「エンド・オブ・ウォッチ」「フューリー」のデヴィッド・エアー。

日本公開前にアメリカでは大ヒットを遂げており、鳴り物入りでの日本公開となりました。
ちなみにこの公開時にわたくしニューヨークに行っていたんですが、そちらでの宣伝も大々的でタイムズ・スクエアにも巨大看板がキャラクターごとにずらりと並んでいました。

というわけで、期待もしつつ、ただアメコミなのでやや誇張的なまでに宣伝しているだろうなあという不安も持ちつつといった状態での鑑賞になりましたが、結果は、一言で言うと、ふつうなんですよね。
アクションシーンもそれなりにあるしキャラも個性的だし、普通に面白いという感じもあるんですが、それ以上ではなかったというか。
以下、その問題点をあげてみたいとおもいます。

1. スーサイド・スクワッドの結成の意義

本作は「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」以降の世界という設定になっており、スーパーマンが不在の今、未知の力を持った敵が現れたら地球はどうなるのか?という危惧を感じている状況になっています。
そこで政府が「今捕まえている凶悪犯たちにチームを作らせて戦わせよう!」と考えたことが「スーサイド・スクワッド」結成に至るのですが、この時点では敵の存在が描かれておらず、仮想的ですらないんですよね。

未知の敵に襲われる→スーパーマンがいない→悪党たちに戦わせよう!なら分かるんですけど、映画の順番だとわざわざ悪党たちを外に出して戦わせる意味がわかりません。

このスーサイド・スクワッドをまとめるために政府が考えていたのは、エンチャントレス(カーラ・デルヴィーニュ)という古代の魔女。考古学者のジューンが発掘調査で憑依されており、時折ジューンの体を乗っ取り外に出てきます。ちなみにジューンが寝言でエンチャントレス・・・ってつぶやいただけででてくるのでわりと簡単に乗っ取られます。

スーサイド・スクワッドの結成を決めた政府高官のアマンダ(ヴィオラ・デイヴィス)が、エンチャントレスの心臓を入手しており、それによりエンチャントレスを制御できると言っているのですが、余計なことしたら針で心臓をチクチクするっていうやり方なので、こりゃマズイ・・・。

エンチャントレスはアマンダの部下でスーサイド・スクワッドを統括するリック・フラッグ大佐(ジョエル・キナマン)が自分に(正確にはジューンにですが)惚れていることにつけ込み、弟を召喚することに成功します。この弟は地下鉄で暴れ放題、さらにはエンチャントレスとともに泥人間みたいな怪物を大量に解き放ちます。こいつらとの戦いがスーサイド・スクワッドの最初のミッションになります・・・

ん?

あれ、もしかして敵も自分たちで用意しちゃった?

エンチャントレス召喚しなければスーサイド・スクワッドいらなかったんじゃないの?という疑問がずっと頭を駆け巡ります。


2. 悪とは何なのか?

本作は巨悪に対抗するためにさらなる悪ということで、凶悪犯たちのチームを作ったということになっているのですが、このスーサイド・スクワッドの悪人感がイマイチ弱かった気がします。
序盤のキャラクター紹介のところでは、デッドショットやハーレイ・クインはじめみんな何人も殺していたり様々な破壊工作をしていたりとプロフィール的には紹介されているのですが、それだけです。
戦っていく上では普通のヒーローと変わりありません。
ハーレイ・クインがお店のウィンドウに飾ってあったバッグを泥棒するぐらいでしたかね。

それ以上に悪党に見えるのが政府高官のアマンダですね。
相手が凶悪犯だからとブラック企業も真っ青の扱い方で、少しでも反抗したり脱走しようとしたりしたら首につけられた爆弾を爆発させられてしまいます。極めつけは、スーサイド・スクワッドが最初のミッションを終えて潜入したビルにいたアマンダと部下たちでしたが、その場所を立ち去る時にアマンダはこの部下たちを全員殺害します。
理由は、スーサイド・スクワッドが機密なので、その機密を守るためでした。これには名うての暗殺者デッドショットも絶句でしたね。

後半には友情みたいなのも芽生えだして、もはや悪党感ゼロに。
しかも2年前にスマッシュヒットを遂げた「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」や今年の上半期に公開した「デッドプール」などで、悪党キャラや破天荒キャラが活躍するアメコミをすでに見てしまっているので、新しい魅力とまでは言えなかった印象でした。


3. 予告編サギ

アメコミ作品なのでストーリーや伏線、細かい設定などは多少目をつむるにしても、その分、アクションや映像の凄さなどに期待してしまうわけですが、本作の魅力の大半が予告編で流れてしまっているのも残念でした。
一番印象的なのが、本編でも使用されているクイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」の使い方ですね。
予告編では、説明もなく「ボヘミアン・ラプソディー」が流れ、後半のテンポアップともに一気にアクションシーンを見せるという構成で、曲のイメージも相まって疾走感が強く、期待も高まる作りになっています。
ところが本編では、終盤に「ボヘミアン・ラプソディー」が使われていることは使われているんですが、だいぶカットされている上に、サビまでたどり着かないという衝撃!盛り上がる前に曲が終わっちゃうんです。
そのせいで予告編で感じたような疾走感が感じられないデキになってしまいました。逆に言えばそれだけ予告編が秀逸だったということにもつながるのですが、期待はずれという評価にもなってしまいそうですね。もちろんあの予告編を見て映画館に足を運んだという人もたくさんいると思うので、マーケティングの面では成功なのかもしれませんが、肩透かしを食らったという感じは否めませんでした。
その点、「君の名は。」の予告編はストーリーの核心に関わるような部分を一切出さずに映画の魅力的な部分をしっかりと出していてなんとも対照的だったように思います。


とまあ、なんだか批判点ばかりあげてしまいましたが、良いところももちろんあります。

それは、ハーレイ・クイン役の

マーゴット・ロビーがカワイイ!!!

もう彼女見るためだけに映画館に行って大丈夫です。
むしろ最初からそのためだけに行った人は大満足して帰ることができるでしょう。
奇抜な化粧やホットパンツのクールカワイイ姿、立ち居振る舞い、破天荒なようでいて繊細なところもあったり、仲間思いだったりするところなど、どれをとっても素晴らしかったです。
そして本作の設定でもある悪党としての自覚をちゃんと持っています!これ大事!
他の奴らは変にヒーローらしさが出てきちゃってるのですが、彼女はちゃんと悪に染まっています(謎のフォロー)。
最後に再び収監されることになるも1人ずつ要望を聞いてくれることになって、デッドショットは娘と会いたいとまっとうなこと言っているのに、「わたし、エスプレッソマシン!」ってニコニコしながら言っちゃうのもカワイイ。
リック・フラッグの片腕として出てきたカタナに対して、「ナイストゥーミッチャ!」って挨拶してるのもカワイイ!(そのあと「殺すか?」って言われてるけど)

ジョーカー役のジャレッド・レトも良かったと思います。
ヒース・レジャーのまさに命を賭けた役どころだったので、他の人が演じるというのは相当なプレッシャーだとは思うのですが、クレイジー度合いではなかなか好勝負だと思います。

この2人のスピンオフならみたい!と思ってしまったのが正直な感想ですが、他のキャラクターも魅力的だったので、続編で脚本さえ良ければもっと化けそうなイメージはありました。
長い目で見守りましょう。

「セルフレス/覚醒した記憶」から考える記憶転移



注!当記事には「セルフレス/覚醒した記憶」のネタバレが含まれております。



「セルフレス/覚醒した記憶」で"脱皮"をした人物は、その副作用を抑えるために定期的に飲んでいた薬は、以下のものを調合したものでした。

プロマジン ・・・ 精神安定剤
オランザピン ・・・ 抗精神病薬
トリレプタル ・・・ 抗てんかん薬
バルプロ酸 ・・・ 抗てんかん薬(遺伝子の複写を阻止)
フェノバルビタール ・・・ 抗てんかん薬

確かに副作用が現れた時のリアクションはてんかんっぽいとは思っていたのですが、その薬も実在のものにしているあたり、SFながらもリアリティーをもたせようとしたんですかね。なお、転送装置は・・・。


コホン。さて、本作では、脳内の情報を遺伝子操作によって作られた若い肉体に移動することで、第2の人生、どころか永遠に生き続けられるシステムが"脱皮"ということになるのですが、建築王のダミアンも若い男性の肉体に記憶を転送し、エドワードとしての第2の人生を謳歌し始めます。

しかし時折襲われる副作用によって、自分の見たことのない光景が幻覚のように現れだします。母親と娘、戦争の1シーン、そしてカボチャ型の給水塔・・・。
あまりにも鮮明なそれらの光景が気になったダミアンは、その給水塔を探し出し訪ねてみると、そこには副作用で見た母親がいました。

実はダミアンが記憶を転送した先の肉体は、遺伝子操作で作られたものではなく、マークという実在の人間の肉体で、ダミアンが副作用で見ていた幻覚も、マークの実際の記憶だったのです。

もちろん本作はSFなので、なぜそのようなことが起こるのか、などと議論しても仕方ないのですが、実は移植によって移植を受けたレシピエントが臓器を提供してくれたドナーの記憶を保有しているという例があるようです。このことは記憶転移と呼ばれています。

シルヴィア&ノヴァック(1998)では、著者自身が心臓と肺の移植によって今までになかった嗜好を持つようになったことが記述されています。
具体的には、これまで好きではなかったビールを飲みたいと思うようになったり、苦手だったピーマンが大好物になったり、ケンタッキーフライドチキンのチキンナゲットを食べたくなったりしたそうです。
また、彼女は元バレエダンサーだったのですが、歩き方がこれまでと違って男性的な歩き方になっていたことも報告されています。

そして同じ頃に、夢の中で、"ティム"という名の若い青年の姿をよく見るようになりました。
不思議に思った彼女は自分のドナーのことを調べることにします。
一般的に、ドナーとレシピエントの接触は禁止されているのですが、交通事故で死亡した18歳の青年がドナーだということを聞かされていた彼女は、その情報から新聞記事などを調べて、そのドナーが夢に出てきたティムという名前だということを知ります。そしてティムの両親と面会し、ティムがビールが好きだったこと、ピーマンが好物だったこと、ケンタッキーフライドチキンのチキンナゲットをよく買っていたということを聞かされたそうです。

彼女の場合、脳ではなく臓器移植ですが、それでも本作「セルフレス/覚醒した記憶」と似た構造ですね。

他にも、人種差別団体のクー・クラックス・クラン(KKK)の幹部だったグランド・ドラゴンという男性が腎臓の移植手術を受けた後、急に黒人に対して寛容になり全国黒人地位向上協会に加入するなど、これまでと180度異なる姿勢を示しました。後に、彼に腎臓を提供したドナーが黒人だということが判明したそうです。

Bunzel, Schmidl-Mohl, Grundböck, & Wollenek(1992)では、ウィーンで心臓移植を受けた47人の患者を2年間に渡って観察したところ、全体の15%の患者が、手術の前後で人格面に変化が現れたと自覚し、6%の患者は、以前と比べて劇的に変化したと報告したそうです。
それがドナーの人格と類似するものであるかは定かではありませんが、移植手術が1つの要因となっているようです。

Pearsall, Schwartz & Russek(2000)では、10人の心臓移植を受けたレシピエントに対して、手術前後での違いを調査したところ、術後に変化したもので、ドナーと類似していた点が、1人につき2~5個あったという結果になりました。
食べ物や音楽の好み、芸術的嗜好、性的嗜好、趣味、キャリアに対する考え方などがドナーとレシピエントの間で共通していたそうです。
また、顔を銃で撃たれて亡くなったドナーから提供されたケースでは、そのレシピエントは夢の中で顔に熱い閃光のようなものを感じたそうです。

このように臓器移植に伴う記憶や価値観、嗜好などにおいてドナーとレシピエントの間に共通するものが現れる現象はいくつか報告されていますが、そのメカニズムについては未解明な状態です。
一説には、細胞にも記憶の痕跡が残り、それが他者に移植されることでこのような現象が見られるのではないかとも言われています。

ただ、先述したようにドナーとレシピエントのやりとりは原則禁止していることが多く、またこのような事例そのものが多くないため、まだまだ実証的な研究は難しいようです。

誰かの記憶が共有されるというのもドラマチックではありますが、怖い現象でもありますね。
本作もSFではありますが、近い未来には実現可能になっているかもしれませんね。


[引用]
Bunzel B., Schmidl-Mohl, B., Grundböck, A., & Wollenek, G.(1992). Does changing the heart mean changing personality? A retrospective inquiry on 47 heart transplant patients. Quolity of life research, 1, 251-256.

クレア・シルヴィア・ウィリアム・ノヴァック(1998). 記憶する心臓 ある心臓移植患者の手記. 角川書店.

Pearsall, P., Schwartz, G.E., & Russek, L. G.(2000). Changes in heart transplant recipients that parallel the personalities of their donors.
Integrative Medicine, 2, 65-72.

「セルフレス/覚醒した記憶」感想。


(公式HPより引用)

[story]
"NYを創った男"と称される建築家のダミアン(ベン・キングズレー)は政財界にも顔の利く大物だったが、末期ガンのため余命半年と宣告される。疎遠になっている娘クレア(ミシェル・ドッカリー)との溝を埋めようと会いに行くも拒絶されてしまう。そんなダミアンに科学者のオルブライト(マシュー・グード)が、年老いた肉体を"脱皮"し、遺伝子操作で作り出した若い肉体に頭脳を転送することを提案される。かくして若い肉体を手に入れたダミアンは、エドワード(ライアン・レイノルズ)という別人として文字通り第二の人生を謳歌するのだが、時折、見たこともない風景が見える副作用に襲われて・・・。

「ザ・セル」「落下の王国」のターセム・シン監督がライアン・レイノルズとベン・キングズレーを主演に迎えて贈るSFサスペンス・アクション。

上記の2作では、独特の映像世界を表現してみせたターセム監督ですが、本作はビジュアル面では割りとありきたりというか、どちらかと言うとチープな感じが強く、B級映画感が否めません。
肉体を入れ替えるための頭脳の転送システムが普通にMRIかなんかにしか見えませんしね・・・(^_^;)
それでも建築王ダミアンの豪邸なんかはやはり目をみはるものがあるんですけど。

本作では頭脳を若い肉体に転送して、第2の、第3の人生を送ろうという現代版の不老不死物語とも言えます。

表向きは"死んだ"ことになっているため、名前を変えて全くの別人として生きていくことになります。
ガンに冒されて余命半年だったところから、病気はおろか、年齢も若返ったダミアンはエドワードとして人生を謳歌しだします。
アレルギーだったピーナッツバターを思いっきり食べたり、ストリートバスケに汗を流したり、クラブで気の合った女性とそれはそれで汗を流したりします。

順風満帆に見えたダミアンのセカンドライフですが、唯一の難点は指定された薬を飲まないと幻覚が見えるという副作用に襲われます。
この幻覚があまりにもリアルすぎて、ダミアンは考えます。
これは実際にあるどこかの風景なのではないかと。
ダミアンの幻覚の正体を突き止めようとする過程で、恐るべき事実が露呈していきます。

この先はぜひ自分の目で確かめていただきたいのですが、いろいろトンデモ設定が入ってきています(そもそも最初の設定からそうですけどね)が、それなりに辻褄を合わせてあるのでそこに違和感を感じることはありません。
むしろSFとしてその世界観に飛び込んでしまう方が存分に楽しめるかと思います。

タイトルですが、原題では「self/less」となっているのですが、これは、selfless = 無私無欲の、無償の、という意味になります。self lessと分けて考えると、自分を失った、自分のない、などといった形になるでしょうか?
このあたりも作品のイメージを上手く捉えたダブルミーニングとなっているんでしょうね。
ちなみに邦題では、「セルフレス/覚醒した記憶」となっています。
うーん、普通の区切り記号にしちゃってますね・・・。
でも公式サイトで見ると、/の位置は原題と同じところにもかかっているんですけどね。

認知度はあまり高くない作品かもしれませんが、なかなかの拾い物だったと思いますよ!

「青空エール」から考える応援の効果



「青空エール」では登場人物がそれぞれお互いに相手を応援し支えていくという美しい姿が描かれていました。

スポーツなどの場面でも、今年のオリンピックやプロ野球、サッカーなどで、インタビューの際に、選手が「ファンの皆さまの応援のおかげで勝つことが出来ました!」みたいなコメントをよく耳にします。
確かに、応援してもらうことで後押しになるというのは正直な感想だとは思いますが、それでは実際にどれぐらいの効果があるのでしょうか?

Neto et al.(2015)では、20mのシャトルランの際に、「いいぞ!」「行け!」「その調子!」「頑張れ!」などの言葉をかけたところ、そうした言葉をかけられてない人と比べて、最大酸素摂取量、心拍数、走行距離がいずれも高くなっていたという結果になりました。
応援によって頑張ろうという意識が芽生えて、それが結果にも現れているということになりますね。

ただし、必ずしも応援をするのが良いかというとそうでもないようです。
Epting et al.(2011)では、いくつかのスポーツの場面において、応援、あるいはブーイングの効果があるかを調査しました。その結果、バスケットボールのフリースローにおいては、これらの効果が見られず、野球のピッチングにおいては、ブーイングをされるとパフォーマンスが下がるという結果になりました。そして、ゴルフのショットにおいては、応援もブーイングもどちらもパフォーマンスを下げるという結果になっていました。ゴルフの時に、「お静かに」っていうプレート出されているのにも意味があったんですね。

体力や気力が問題となるような場面では応援は効果的ですが、集中力が必要とされる場合には効果がないか、かえって逆効果になる例もあるようです。
競技の種類や場面に応じて、適切な応援ができると良いですね。

ただ、応援の効果というのはなかなか検証しづらいためか、あまり研究の数が多くないようです。
確かに、実際の試合では1試合1試合の勝ち負けが重要なのに、調査のために全く応援しないでみるなんてことはできませんものね。
無観客試合のときなんかと比較できれば面白いとは思うんですけどね。

最後に、相手を応援することはその相手だけでなく応援している自分自身にも効果があるそうです。
プロゴルファーのタイガー・ウッズは、相手のパッティングのとき、カップインするようにと心の中で願っているそうです。
これは相乗効果的に自分のパフォーマンスを高めることにもつながるようで、お互いにエールを送り合うことの効果が実践されている証拠ですね。

いや、到底そんな気持ちになれないという方は、ぜひ「青空エール」を見て、その大切さを確認してくださいね。

[引用]
Epting, L. K., Riggs, K. N., Knowles, J. D. & Hanky, J. J.(2011). Cheers vs. jeers: effects of audience feedback on individual athletic performance. North American Journal of Psychology, 13, 299-312.

Neto, J. M. M. D., Silva, F. B., Oliveira, A. L. B., Couto, N. L., Dantas, E. H. M., & Nascimento, M. A. L.(2015). Effects of verbal encouragement on performance of the multistage 20 m shuttle run. Acta Scientiarum. Health Sciences, 37, 25-30.

「青空エール」感想。


(公式HPより引用)

[story]
高校野球の応援をしているブラスバンドに憧れ、吹奏楽部の名門、白翔高校に入学したつばさ(土屋太鳳)。トランペットがやりたくて初心者ながら吹奏楽部に入部するも、全国レベルの実力を持つメンバーを前に自信を失ってしまう。そんなつばさのクラスメイトで野球一筋だった大介(竹内涼真)は、つばさを勇気づけてくれる。2人で一緒に甲子園行くことを約束して、懸命に練習に打ち込むのだが・・・。

河原和音の同名少女コミックスを土屋太鳳と竹内涼真の主演で実写映画化した青春ストーリー。監督は「陽だまりの彼女」「アオハライド」の三木孝浩。

原作はこれまた未見でしたが、本作の予告編は今年映画館で1,2を争うんじゃないかっていうぐらいに見ていました。そして、

甲子園に行く約束→主人公応援ラッパのために吹奏楽部希望も動機が不純で煙たがられる→頑張って認められだす→彼氏ケガ→激励するも恋のライバル女子マネに制される→吹奏楽部メンバー病院で激励演奏→彼氏奇跡のカムバック。

なんてストーリー展開だろうなあと見えてしまったためにそれほど乗り気じゃなかったんです。
でもみずみずしい青春映画を撮らせたら定評のある三木孝浩監督だし、モデルとなっているのが札幌の白石高校ということでなんとなく馴染みもあるし、という感じで見に行きました。

結果・・・

大感動である!

確かにストーリー展開とかに奇をてらった部分は少なくて、先述した展開予想も大きくハズレているわけではなかったのだけど、その少しもブレのないド直球に年甲斐もなく心動かされましてね・・・。

本作はタイトルにもあるようにエール、つまりは相手を励まし応援するというのがテーマになっているんですが、これが単に主人公の2人だけではなく多くの登場人物に対して贈られているというのが素晴らしいところ。

1. 大介からつばさへのエール

大介は常につばさに対してエールを送っています。
つばさが吹奏楽部のレベルについていけなくて悩んでいるときも、一緒に甲子園を目指そうと約束していますし、教室で落ち込んで泣いている時も、下を向いても元気出せるようにと、上履きにスマイルマークを書いてくれます!
さらには神社に願掛けに行った時絵馬に書いていた願い事も・・・あ、これはぜひ本作を見て確かめて下さい(映画でも最後の方まで引っ張ります)。

2. ひまりからつばさへのエール

大介と同じくらい常につばさの味方でいてくれるのが親友のひまり(松井愛莉)です。高校に入った当初、引っ込み思案だったつばさに同じ中学校の出身だからと積極的に話しかけて、最初に吹奏楽部を始めるときや、野球部が勝ち進んでスタンドで演奏できるときまったときも、常に一緒になって喜んでくれるのです。
最終的に、ひまりは「つばさの姿を見てわたしも誰かを応援してみたくなった」ということで、チアに入部しつばさら吹奏楽部と一緒に応援をするのです。
ひまりちゃん、良い子すぎや・・・(´;ω;`)ブワッ

3. 森先輩からつばさへのエール

森先輩(志田未来)は、初心者だったつばさに基本的なことからレッスンをしてくれます。これは自分の練習時間を割いてやってくれていて、吹奏楽部の強豪校においてはオアシス的存在でした・・・。
そしてこれがあったからこそ、つばさが先輩となった時、新しく入ってきた部員にもレッスンをしたり、その部員が自分を差し置いて選抜メンバーに選ばれた時もしっかりとエールを贈ることができたのではないでしょうか。
森先輩は卒業後も学校を訪ねてきて、またつばさにエールを贈ってくれます。森先輩、ええ子やな~。(´;ω;`)ブワッ

4. 吹奏楽部から森先輩へのエール

森先輩は腱鞘炎になってしまい演奏できなくなってしまいます。
そのことが原因で部活にも来なくなってしまうのですが、それでも一緒に演奏したい思いで、つばさは練習後に森先輩の家に駆けつけます。
しかしふさぎ込んでいる森先輩は会ってくれないどころか、「素人のあんたには選抜メンバーに選ばれるのは絶対にムリだ」とヒドイことを言われてしまいます。
それでもめげずに森先輩のところに来ていると、いつしか同じパートのメンバー、そして最後には部活のために選抜メンバーから森先輩をはずした部長の春日先輩(小島藤子)までもがやってきます。みんな涙ながらの説得に、森先輩もまた部活に来てくれるようになります。
このシーンはちょっとジーンと来ちゃいましたね。

5. 城戸から大介へのエール

大介とずっとクラスメイトで後半にはピッチャーとしてキャッチャーをしている大介とバッテリーを組むことになる城戸(堀井新太)は、ケガをしてもなおチームのことばかり気にかけている大介に対し、「自分の前ではキャプテンじゃなくていいよ。オレといるときぐらい弱音を吐けよ!今のオレはピッチャーじゃなくてお前の友だちだろ?」と叱咤激励します。決して弱さを見せようとしなかった大介の心が和らいだ瞬間だったかもしれませんね。

6. 碓井先輩から大介へのエール

碓井先輩(山田裕貴)は大介と同じキャッチャーでスタメンでしたが、地区予選の決勝戦で負傷してしまい、大介と交代します。このとき大介のミスでチームは敗退してしまいますが、碓井先輩はそれを責めることはなく、自分では果たせなかった甲子園への夢を大介に託します。そして大介に、「お前は後輩たちを連れてってやれよ、甲子園に。」と。この構図はそのまま大介がケガで出られない時に代わりに出ていた後輩キャッチャーにもそのままつながっていきます。さらには、「吹奏楽の甲子園」とも言われている普門館を目指している吹奏楽部の面々とも重なります。

7. 吹奏楽部から大介へのエール

大介は練習中のつらい時も、グラウンドでも聞こえていた吹奏楽部の練習の音楽に励まされていました。それが力になるのだと思ったつばさは吹奏楽部のメンバーに頼んで、大介がリハビリをシている病院へと駆けつけてそこで演奏します。この演奏を聴いた大介もまた自分がしっかりと治してまたグラウンドに立つことが大事なんだと決意します。
ちなみにこのシーンは映画のオリジナルで原作では吹奏楽部の演奏CDを渡すだけなようで、これは映画の演出のほうが良いですね。

8. 水島からつばさへのエール

水島(葉山奨之)はつばさと同学年で楽器も一緒ですが、1年にして選抜メンバーに選ばれるほどの実力の持ち主で、最初は初心者でしかも「野球の応援スタンドでトランペットを吹いてみたい」という単純というか不純な動機で入部してきたつばさを疎ましく思っています。最初に話した時に「部活をやめてほしい」と言ってくるぐらいです。
しかし、それでも一生懸命ひたむきに練習しているつばさに、「学校の楽器じゃなくてやはりちゃんとしたものを用意したほうがいいよ。」とアドバイスをしてくれます。
一方で、初の公の舞台ではつばさが調和を乱さないようにわざとトランペットを吹いていないことを見抜いて、きちんと叱ってくれます。このあとつばさも叱ってくれたのに対し、ありがとう、というのがまたいいですね。
そして、つばさが初めての野球の応援スタンドでの演奏の時、大介を励まそうと、チームが負けたにも関わらず勝手に演奏してしたのをマナー違反だからと止めたのですが、次の年には自分のソロのパートをつばさに譲るのです。
映画ではあまり描かれませんが、水島もつばさのことが気になっている感じなのに、つばさと大介をそっとサポートするかのような彼の行動にはただただ感動です。

9. つばさから大介へのエール

つばさは終始、大介に何もしてあげられなかったと悔やんでいるのですが、その演奏の音色を聴くだけでも十分にエールになっていました。
大介は趣味も特技も野球と言っていたぐらいに野球一筋だったのに対し、つばさは全くの素人で強豪校の部活に入っているのですから、その大変さは大介も十分に理解しているのでしょう。
だからこそ一生懸命に、いや、一心不乱に頑張るつばさの姿そのものが大介にとって何よりのエールとなっているのではないでしょうか。


と書き出しただけでも、誰かが誰かにエールを送り、それも一方向ではなく双方向で互いに励まし合い、支え合うという姿が感じられるのが本作の素晴らしいところだと思っています。
こういう作品だとどうしても2人の主人公にスポットが当たりすぎて、他の人物についてあまり深く描くことができないことも多いのですが、本作はそのバランス感もとても良いものだと思います。
2時間の尺の問題もあって、やや駆け足の印象もありますが、本作の質を考えれば微々たる問題でしょう。

余談ですが、本作のモデルとなった札幌白石高校の吹奏楽部だった人からもいろいろ話を聞いたのですが、実際には映画で描かれるよりももっと体育会系寄りだったそうです。お祭り行っていいよ!なんて言ってくれる雰囲気は全く無かったそうで・・・(^_^;)

「君の名は。」人気にやや隠れてしまっている印象があるかもしれませんが、本作もオススメです!
プロフィール

Author:すぷーとにく0107
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中の人は、北海道は札幌市在住です。
映画館で年間200本は映画を観ます。
当ブログでは、映画のレビューをしつつ、勉強している心理学ネタでも書いていけたらいいなと思っています。

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