「少女」から考える死への興味・関心



「少女」では2人の少女、由紀と敦子が死に魅せられ、それぞれの方法で人が死ぬところを見ようとする、というのが原作の設定でした。
映画では、由紀は原作同様ですが、敦子はそこまで死への興味を持っているようには描かれていませんが、学校の屋上から飛び降りようとする妄想が映し出されるシーンがあります。

彼女たちのように死そのものへの関心については、心理学の分野でもよく研究されていますが、死や生についてその目的や意味を考えたりすることで形成される意識や信念のことを、死生観と呼びます。

死生観について、Gesser, Wong, & Reker(1987-1988)では、死への恐怖は青年期から高まり、中年期でピークとなり、老年期では逆に低下すると報告しています。
本作の主人公たちは青年期の序盤なので、死への恐怖が芽生える時期とも言えます。
また、赤澤・藤田(2007)では、親戚や友人、飼っていたペットなどとの死別経験がある人は、ない人と比べて死への関心が高いということも示されています。映画では転校してきた紫織が自分の親友の死体を見たというところから興味がスタートしているので、友人の話でも間接的に影響があるのかもしれません。

中学、高校生の時期は身近に死を感じる出来事が少ない時期であるとも言われているため、より恐怖を高く感じやすいということも言われていますが、この時期の死因で圧倒的に多いのが自殺なんですよね。これはもちろん若いうちは病死が少ないので結果的にそうなるのですが、なんだか切ない皮肉ですよね。

さて、マイナスなイメージが多い死ですが、それをポジティブな力につなげている研究を1つ紹介します。

Zestcott, Lifshin, Helm, & Greenberg(2016)では、死への恐怖への対処が作業意欲や集中力などを高めることを実験で示しています。

1つ目の実験では、バスケットボールの選手を対象に、それぞれの選手と1 on 1を2ゲームをすることとし、1ゲーム終了後にある半数のグループには、ゲームの感想を書いてもらい、もう半数のグループには、自らの死についてどう考えているかを書いてもらいました。
その後2ゲーム目を行うと、ゲームの感想を書いたグループはスコアに大きな変化がなかったのに対し、死についての考えを書いたグループは、平均して40%以上もスコアが向上しました。

2つ目の実験では、1分間にフリースローがどれぐらい入るかに挑戦してもらうのですが、一方のグループは普通の格好の研究者がルールを説明したのに対し、もう一方のグループは、「death」という単語を組み合わせて書かれたドクロマークのTシャツを着た研究者(画像向かって右側の人が着ているのがそれです)が説明をしました。
その後にフリースローの成績を比べたところ、ドクロマークのTシャツを着た人に説明されたグループが30%近く高い得点をマークしていました。

このようになった原因として、人間は死の恐怖を意識すると自尊心や自分の存在意義を示そうという意識が高まり、その結果として、スポーツをしているときは良い結果を出そうという方向に働くと示されています。
死ぬ気で頑張る、っていうのも案外効果のあるものなのかもしれませんね。

映画ではやや歪んだ形で死への興味・関心が描かれていますが、興味を持つ事自体は決して悪いことではないのです。
自殺や殺人といった間違った方向に振れるのではなく、こうしたポジティブな影響力へと変えていきたいですね。

[引用]
赤澤正人・藤田綾子(2007).青年期の死生観に関する
研究. 日本教育心理学会総会発表論文集, 49, 338.

Gesser, G., Wong, P. T. P., & Reker, G. T.(1987-1988). Death attitudes across the life-span : The development and validation of the Death Attitude Profile(DAP). Omega : Journal of Death & Dying, 18, 113-128.

Zestcott, C. A., Lifshin, U., Helm, P., & Greenberg, J.(2016). He Dies, He Scores: Evidence that Reminders of Death Motivate Improved Performance in Basketball. Journal of Sport and Exercise Psychology, [Epub ahead of print], 1-40.
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「少女」感想。


(公式HPより引用)

[story]
由紀(本田翼)と敦子(山本美月)は親友だったが、由紀はクラスでいじめられている敦子を助けることができずにいた。由紀は敦子をモデルにした小説を書いていたが、それがある時盗まれてしまう。ほどなくして盗んだのが国語の教師、小倉(児嶋一哉)ということがわかり、由紀はある復讐をする・・・。その頃、同じクラスに紫織(佐藤玲)という子が転校してくる。彼女は由紀と敦子に、「人が死ぬとこ、見たことある?」と聞いてくるのだが・・・。

「告白」の湊かなえの同名小説の映画化です。
監督は、「しあわせのパン」「ぶどうのなみだ」の三島有紀子。

湊かなえは、先述の「告白」で鮮烈なデビューをすると、その後もベストセラー連発の押しも押されもせぬ人気作家で、自分もほとんど全ての作品を読んでいます。
そうなると当然映画化も多くなってくるわけで、「告白」、「北のカナリアたち」(原作は「往復書簡」収録の一遍「二十年後の宿題」、)「白ゆき姫殺人事件」と来て、本作となります。

ちなみに「少女」は「告白」につづいて刊行されたので、普段は映画見てから原作チェックが多いのですが、すでに読んでしまってからの鑑賞となりました。

というわけで、映画、原作両方見た側からの感想としては、映画ならではの良いところもある一方で、原作との改変がうまくいっていないところもあるといった印象でした。

良いところで言えば、主人公の2人が通う学校はミッション系の高校でその独特の雰囲気や厳しさが映画全体の雰囲気につながっているというところですね。
それだからこそ、「人の死ぬ瞬間」に魅せられるという人間のタブーに触れようとすることへのギャップも強くなっています。

また、彼女たちがメイポールダンスをするシーンもあり、これも規律正しく動くことを要求されているという点で彼女たちの置かれている環境を巧みに表すことにつながっています。

主演の2人を本田翼と山本美月が演じているのですが、特に本田翼はとかく演技が下手みたいなことを言われていますが、本作においてはそれほど気になりませんでした。
あまり感情を表に表さない由紀というキャラクターなのですが、それがやがて死というものに興味を持つようになったり、最後の方で敦子と一緒にいる時のとびきりの笑顔がより引き立たせたりしています。

その一方で映画化されるにあたって改変された部分として気になった点もいくつかありました。

1. 冒頭、ラストの演出

湊かなえの「告白」は、全編が登場人物の告白という構成になっていました。さすがに映画ではそのままというのはムリですが、それでも冒頭の10数分を、主演の森口先生役の松たか子が生徒を前にして告白し続けるという原作の印象を活かした作りになっています。

本作では、冒頭とラストが遺書というこれまたインパクトのある構成になっているのですが、映画ではこれを舞台劇仕立てのように描いていて、飛び降りるシーンもあるのですが、かえって現実感が損なわれてしまったような印象でした。

2. 敦子はいじめられっ子?

敦子は映画ではいじめられっ子になっていますが、原作ではそんなことはありませんでした。ただ、中学時代やっていた剣道で肝心の試合で自分のせいで負けてしまった時に、表面上は優しくしてくれたチームメイトが学校の裏サイトに悪口を書いていたことで疑心暗鬼となってしまうという設定でした。この演出も試合中の回想で、敦子が心の声が聞こえてくるみたいな展開になっていて、そのシーンもちょっとホラーっぽい感じですが、結局勝手にに疑っているだけという印象にもなってしまいます。
これには、原作が書かれてから映画化までに時間がかかったことに理由があるかもしれません。原作が発表された2010年ごろは確かに学校の裏サイトがニュースになったり、それが原因で自殺したりといったこともあったので、内容的にはタイムリーだったのかもしれませんが、最近はそういったニュースを聞かないので、そのための改変かもしれませんね。

3. 死に魅せられた2人

原作では、転校生の紫織が親友の死ぬところを目撃したということを聞き、由紀、敦子とも死というものに魅せられ、身近で死を目撃するために由紀は小児科病棟のボランティア、敦子は高齢者福祉施設でのボランティアを始めます。この2人の対称性がここでもうまく描かれていたのですが、映画では、敦子はそれほど死に魅せられたという感じにはなっていません。
死を見つめるということは、同時に生を見つめることでもある、といった部分が少し弱くなってしまった印象です。


というわけで原作読んでいた自分からはこのズレは気になるものでしたが、原作を知らない人にとってはたいした問題とならないかもしれません。
物語のテーマでもある因果応報が存分に感じられる作品で、見終わったとも数々の伏線がつながってスカッとする1作でもあります。

三島監督は前に見た上記の2作がいずれも牧歌的な雰囲気の強い作品だっただけに、なかなかの衝撃でした。
ぜひ原作の前に映画の方を先にご鑑賞ください!

「グッドモーニングショー」から考えるスリーパー効果



「グッドモーニングショー」では、朝のワイドショーのキャスターが立てこもり事件の犯人に呼び出されたことで巻き込まれる騒動を描いていましたが、作品の出来もアレなんですが、やはりマス・メディア、テレビってこんななの?という疑問を感じずにはいられませんでした。

今や人々が新しい情報を得たり何か必要なことを調べたりするために用いるのはインターネットであって、テレビは以前のような影響力を失いつつあるのかもしれません。もちろんだからといって好き勝手報道したり捏造したりしてよいということにはなりませんけどね。

立てこもり犯の要求は、朝のワイドショー「グッドモーニングショー」のキャスター澄田を呼び出すことで、彼に視聴者に向けて「くだらない番組を放送してすみません」と謝れということでした。
澄田は、自分の息子からも「朝から甘いもの食べてヘラヘラしているだけ」の仕事と言われ、立てこもり犯からも低俗、低俗と言われ続け、同じテレビ局でも報道部からは明らかに下に見られているという状況です。

それにしても、立てこもり犯が自ら低俗と言っているのに、その低俗な番組で自分の置かれている状況を報道してほしいと思ったのはなぜなのでしょうか?

何らかの情報が信じられるか否かという場合に尺度となるのが、信頼性と専門性の2つです。
信頼性は、その情報源が信頼できるものであるかということで、全然知らない人から言われるよりも自分の知っている人から言われたほうが信頼できるしといったことです。専門性は、その情報源がどれほど専門知識を持っているかきちんとした論拠や裏付けがあるかといったことで、インターネットの掲示板や個人のブログにかかれていたものよりも、国や大学などの研究機関が発表したものの方が専門性が高いと考えられます。

テレビもかつては信頼性、専門性とも高い情報源と思われていたのですが、近年、その評価は下降気味になっているようですね。

しかし、情報源に信頼性や専門性にかかわらず、その内容の影響力が強くなる場合があります。

Hovland & Weiss(1951)では、戦争のプロパガンダ映画を見せられた兵士たちの心境にどのような違いがあるかを調査したところ、映画を見た直後では、さほど士気が上がっていないという結果になりました。これは、兵士たちがこれらの映画が自分たちの士気を上げるために作られ、見せられているということを知っていたのが1つの原因として上げられていました。
しかし、9週間後、映画を見た直後では変化が見られなかった士気の向上が現れるという結果になりました。

なぜこのような結果になったかと言うと、映画を見た直後では、その情報が映画からもたらされたものであることを把握しており、かつこれらの映画が自分たちの士気を上げるためのものだと知っているため、そこから受ける影響は限られたものだったのですが、時間が経過することで、この情報がどこからもたらされたものかを忘れてしまうため、情報そのものの価値が当初よりも高まるからと言われています。

このように、情報源の信頼性が低くとも、時間が経過することによって、その情報の影響力が強くなることを、スリーパー効果と言います。
すぐに影響が見られないためにその間は寝ている(sleep)ということからこの名前がついたそうで、仮眠効果などと呼ばれることもあります。

このスリーパー効果は、最初に伝えられた情報のインパクトが強く、その情報源の信頼性が低い時に、特に現れるとされています。
人は一般的に、情報そのものの記憶の方が、その情報がどこからもたらされたのかよりも長い間覚えていると言われているため、このような現象が見られるそうです。

たとえ低俗と言われようが、情報を発信することで、こういった影響力を与えることもあるんですね。ただ、これだけ多くの情報が溢れかえている世の中なので、いくらウマい情報があったとしても、はたしてそれが本当に信頼できるのか、今一度しっかり確認するようにしたいですね。

[引用]
Hovland, C. I. & Weiss, J.(1951). The Influence of Source Credibility onCommunication Effectiveness, The Public Opinion Quarterly, 15, 4, 635-650.

「グッドモーニングショー」感想。


(公式HPより引用)

[story]
澄田(中井貴一)は朝の情報番組「グッドモーニングショー」のキャスターだったが、視聴率が低下しプロデューサーの石山(時任三郎)からも番組の打ち切り、降板を告げられてしまう。動揺しながらも生放送開始の準備をしている最中に、テレビ局の近くのカフェで立てこもり事件が発生する。犯人の西谷(濱田岳)の要求は、澄田キャスターを現場に呼べというものだった。番組も視聴率のために澄田を現場に向かわせ、犯人の要求を聞きながらもなんとか自分たちだけ特ダネをつかもうとするが・・・。

朝のワイドショーのキャスターがとその生放送中に起こる立てこもり事件に巻き込まれていくさまを描いたコメディ。
監督・脚本は、「踊る大捜査線」シリーズの君塚良一。

とかく映画ファンにはあまり良い評判のない君塚良一ですが、自分はTVドラマの「ずっとあなたが好きだった」「誰にも言えない」のいわゆる冬彦さんシリーズや、浅野温子&玉置浩二主演の「コーチ」なんかは大好きでした。

その後、「踊る大捜査線」シリーズは、テレビドラマから映画化もされて、特に第2作の「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」は空前の大ヒットとなり、173億円という邦画では歴代5位の興行収入をあげています。ちなみに先日「君の名は。」がその興行収入を越えたことでも話題になりましたね。

作品の出来はというと上記のドラマシリーズは楽しく見ましたし、「踊る大捜査線」もドラマ版はとても面白いです。
ただ、スピンオフシリーズあたりでやや違和感が出てきて、その中でも「逃亡者 木島丈一郎」はなかなかの珍作で一周回って楽しめる作品となっています。

映画版は1作目はともかく2作目以降の映画ファンからの評価は燦々たるものがありますね。
それでも自分は2作目までは容認していたのですが、3作目、4作目ではそのデキに絶句した記憶があります。
最新の防衛設備で閉ざされてしまった湾岸署に青島刑事が杭を打ち付けるなんてシーンは脳裏に焼き付いてしまいましたしね・・・(;・∀・)

アンチ君塚良一の総意としては、異常なまでのネット嫌いでとにかくネットや匿名掲示板を悪者に仕立て上げている、というのがあるようですが、本作「グッドモーニングショー」でもバリバリ全開で出てきております。なのでその姿勢が受けつけないという方はやめておいた方がいいかもしれません。
ですが、本作の問題はそんなレベルじゃないと思いましたので、以下、気になった点を列挙してみたいと思います。

今回も大いにネタバレを含みますので、これから観る予定の方はご鑑賞後にお読みください。


序盤はそれほど悪くないんですよ。
まだ夜も開けきらぬうちにタクシーで出勤し、到着したテレビ局ではどのニュースを最初に持ってくるかといった打ち合わせや番組の準備で大わらわ。このあたりは実際の早朝のワイドショーでもそうなってるんだろうなあという想像を掻き立ててくれます。

番組の生放送が始まろうという矢先に、テレビ局の近くにあるカフェで立てこもり事件が発生したとの一報が入ります。ニュースの差し替えを行い、この立てこもり事件のスクープをメインに持ってくることに決定します。しかも犯人は番組のキャスター澄田を呼ぶことを要求してくるので、プロデューサーの石山は、これみよがしに特ダネをつかもうと澄田に発破をかけます。

立てこもり事件はどうなってしまうのか?というなんとも盛り上がる題材を用意しているのに、映画はここから急転、大失速をしていきます。
この立てこもり事件、非常に間延びしている上に犯人の動機も肩透かしなもので、何だそりゃ?という印象しかありません。

なぜこうなってしまったのでしょう?

1. 立てこもり犯の要求

立てこもり事件の犯人は、澄田を現場に呼び出します。その要求に従って(というよりは番組の視聴率のために)現場にやってきた澄田ですが、犯人の顔を見ても、西谷という名前を聞いても、全く思い当たるフシがありません。犯人に「どこかでお会いしてましたっけ?」と聞いてしまうレベルです。

西谷が澄田に要求したのは、

「謝って!」

ということでした。
毎朝低俗でくだらない番組を流して、そこで上から目線でヘラヘラコメントしていることについて、国民に謝れ、というのが要求でした。

澄田のおかげで(というよりは澄田のそばにいた番組スタッフが警察が澄田に言っているのを盗み聞きして)犯人の名前をいち早く報道した「グッドモーニングショー」ですが、その犯人の名前を元に犯人のブログがあることがネットの掲示板に書き込まれます。そこにはバイト先の愚痴が書かれていました。
このブログを見たスタッフが、番組で以前放送したカフェの火事のニュース映像に西谷が映っていたことに気がつきます。

西谷はこのカフェでワンオペさせられるわ、サービス残業させられるわだったのに、店長からは「ここをやめたら働く場所なんてないだろ。」といびられていたのでした。そして店長がタバコの不始末で起こした火事を西谷のせいにされ、そのままクビになっていたのでした。

このことをスタッフから知らされた澄田は、テレビカメラに向かって土下座しようとしていたのをやめ、再び西谷に向き合います。
澄田「あなたは店長にやめさせられたことを恨んでいたんだ!テレビはあなたの力になります。一緒に冤罪を証明しましょう!」

ガーン!

猟銃で撃たれた澄田でしたが、間一髪のところで弾は頬をかすめただけで済みます。

どうやら西谷の要求は違ったようです。

西谷は、上記の火事の一件でやめさせられたことやそれまでの待遇の酷さをニュースにしてもらいたいと以前に澄田キャスターにお願いしようとしていたのでした。
しかし、それが叶わず、自分が深刻な状況に置かれているのにくだらないニュースばかり読んでいる→謝って!ということだそうです。

・・・

逆恨みだねえ。

澄田にこの件が伝わっていたのならまだしも、テレビ局から出るところで訴えを書いた手紙を渡そうとしたものの警備員に抑えられて渡せずじまい・・・ってそりゃ伝わりませんよ!
もっと訴える方法を考えればいいのに。かの田中のとっさまだって足尾銅山鉱毒事件の際には命がけで天皇に直訴していたじゃないか。


正しい直訴の方法。

ちなみにこの手紙はこの立てこもり事件のあとで澄田が見つけて持っていき、番組のスタッフに手渡しているのですが、澄田が全く見ていないどころか、開封さえしないため、本当のところ何が訴えたかったのかはわからないというのもモヤモヤします。

2. 澄田の設定、立てこもり犯への説得方法

澄田は、ある事件がきっかけで現場でのレポートから遠ざかり、現在の朝のワイドショーのキャスターになっています。
この事件は、映画の中でも時折フラッシュバックするかのように映し出されているのですが、その一件が、台風の被災現場を取材した時に、泥まみれになっていた地元の少年を元気づけようと自分も顔に泥を塗っていたところをテレビで放送されてしまい、それがやらせと捉えられバッシングを受けたというものでした。

確かにバッシングがトラウマとなって現場にいけないというのはわからなくもないんですが、特にそれが影響しているシーンはないんですよね。立てこもり事件の一報があったときも渋ってはいるけれど全力で拒否しているわけでもないですしね。
上記の一件については、澄田と同じ現場にいた番組キャスターの三木(志田未来)が真相を話すのですが、澄田がこの少年のために一切弁明をしていないということなのですが、その姿勢を守るために一切現場に出ないと決断した、というのならまだ理解できるんですよ。なんだかどっちつかずの設定になってしまった印象です。
プロデューサーの石山は、澄田は現場に復帰したがっているというニュアンスを持っているようですが、それも特に感じられないんですよね。
澄田は現場でバリバリやりたい→台風災害の取材の件で現場に出るのを自粛→今回は犯人の指名なのでやむなくその自粛を破る、という方が自然なんですけどね。

犯人に対する説得もかなりまずいですね。
警察からは事前に、1.犯人と約束しない、2.犯人を信じない、3.犯人を刺激しない、という忠告をされていますが、もちろん全て破ります
出会いっぱなに、「どこかでお会いしてましたっけ?」というのがいきなりまずいですね。そもそもテレビのキャスターなのだから犯人が自分と会ったことは覚えていても、自分が覚えていないというシチュエーションはいくらでも想定できるじゃないですか。まして人質をとって立てこもってまで自分を呼び出しているのだから、何らかの恨みを抱えている可能性もあるのに、いきなり犯人を刺激してしまいます。
犯人が自暴自棄になって人質もろとも死んでしまおうと思い詰めている時に、「あなたの親はきっと悲しむよ。」と言うのはいいんですが、その後に「自分の息子も子供ができるんだよ、孫がね。」みたいに自分の話をしてしまうのはいかがなものかと。この犯人はいわゆるワーキングプアの状態なので自分の子供などままならない状況の人なのに、孫なんて話をしてしまうのはいたずらに刺激をしてしまうだけです。
現場に向かった時にプロデューサーの石山に、「お前の武器は言葉だろ!」と言われているのに、その言葉の巧みさがあまり伝わってこないのは残念ですね。

3. テレビ屋のあるべき姿

「踊る大捜査線」でも現場の刑事と上層部、支店(湾岸署)と本庁(警視庁)の対立を描いていましたが、本作でもワイドショースタッフと報道部という対立があります(こういうの好きなんですかね?)。
立てこもり事件の一報が入りいち早く現場に駆けつけたのはワイドショースタッフでしたが、報道部はあとからきて番組そのものを切り替えようとします。てか同じテレビ局だし、緊急のニュースはまず報道部に伝わるものじゃないの?出遅れてるけど大丈夫?
しかし現場の映像を切り替えてテレビ局のものにすると視聴者からは非難轟々で、すぐさまワイドショースタッフが主導権を取り返します。
本来、視聴率のためならなんでもするワイドショーサイドとモラルを持ち確かな情報だけを伝える報道部という構図にしなければいけないのですが、あっさり視聴者の意見にほだされる報道部というのもどうなんでしょうか。

終盤、西谷が自暴自棄になって自殺しようとした時に、番組キャスターの圭子(長澤まさみ)が、視聴者アンケートで西谷は生きるべきか、死ぬべきかを決めよう!と提案します。

マジか・・・

確かに地デジ化により視聴者はボタン一つで自分の意見を反映させられるようにはなっていますが、そんなことしたら、ねえ。
ちなみに本来やるはずだった視聴者アンケートは、「別れた恋人からのプレゼント、どうする?」というもので、選択肢は「とっておく」か「捨てる」でした。これを「犯人の命、とっておく?」という設問に変えたのでした。なるほど、これなら選択肢そのままでいける!(白目)

はたして投票の結果は?

とっておく:31%、捨てる:69%

でした。
やっぱり~!

この結果を伝えられた澄田ですが、これはまずいと思いとっさに顎をかきます。これは石山に「嘘をつけ」というサインでした。序盤に嫁から電話がかかってきた時にもやっているというどうでもいいレベルの伏線です。
それを受けて石山は、とっておく:69%、捨てる:31%に改ざんして放送します。
この結果を知った西谷がふぅっと一息ついた瞬間にSATが突入。西谷はそのまま取り押さえられます。

というわけで事件は一応幕引きなのですが、これがテレビ屋の姿勢といことなのでしょうか?
視聴者やネットの住民が面白がって人の命をないがしろにしているから、それを改ざんしてまで救ってやっているのは我々だと。
そもそも視聴率のためにこんなことを仕込んだのはテレビ局側ですし、それが思うような結果にならなかったから改ざんしますということなのか、それとも西谷自身すらそうなると思っていなかったのに、犯人は生きるべきという投票が多くなると本気で信じていたのか、どちらにせよマスコミとしてのスタンスは大きく間違っている気がします。


とまあ、本作の評価を下げる大きな要因としては、特にこの3番目が大きいような気がしますね。
今やマスコミ不信が広まってきており、テレビ離れも叫ばれている中、ユーザーや視聴者の問題を浮き彫りにしようという思惑が見え見えな部分については目を瞑るとしても、これが正しいマスコミのあり方だというのも明確に打ち出してほしかったですね。
うまくおさまるように結果を捏造して、お前らの尻拭いをしてやっていますよ、と言いたいのかもしれませんが、観ている側としては、マスコミがまたやりおった、という印象です。それぐらいに凋落しているということすら認識していないとしたらこれは大問題ですね。

また中心となる立てこもり事件の描き方、犯人像の中途半端な描き方も気になりました。
今年、「マネーモンスター」という映画でもテレビの生放送中に乱入者によってキャスターが人質になるというものが描かれていましたが、これはこの番組のせいで大損をしたから番組のキャスターやスタッフを恨んでいるというのはよくわかりました。
本作ではその矛先が完全にずれちゃってるので逆恨みと取られても仕方がないですし、そもそも西谷自身もさんざん低俗、低俗と罵った澄田のワイドショーでニュースを読んでもらおうと思ったのかがわかりません。

とまあなかなか良いところを見つけにくかったのですが、序盤が良かっただけに後半の残念さが目立ってしまっているのも1つの原因でしょうね。前半もひどかったらブログに感想を書いていないかもしれませんし。←

あと、メインキャスターが長澤まさみと志田未来だったら、わたし確実に毎朝見ますね(鼻息)。

「世界一キライなあなたに」から考える好意の返報性



「世界一キライなあなたに」では、天真爛漫なルーが、元実業家で金持ちながら事故で半身不随となって心を閉ざしているウィルと出会うことで、お互いに関係や考え方が変化していくようになります。

映画のコピーでも、「愛するひとが、半年後に永遠の旅立ちを選ぼうとしていたら・・・」と感動的な謳い文句が掲げられています。

・・・

ちょいちょい!

いや、ルーはその前からずっとパトリックっていう立派な彼氏いますから!
起業家コンテストで2年連続優勝していて、ルーが失業しても優しく見守ってくれていますから!
トライアスロンにも出場しちゃう意識高い系ですから!


大変取り乱し失礼しました。
いや、パトリックもちょっと残念なところあるけど、良いやつなんですよ。
しかし、本作のコピーでも映画全体でもほぼ完全にモブキャラ扱いになってしまっているんですよね。

ルーの心がパトリックからウィルに傾いていくきっかけの一つとなったのが、ルーの誕生日パーティーのときでしたね。
ルーの自宅でのパーティーに招かれたパトリックとウィルでしたが、パトリックがプレゼントしたのは特注のペンダントで"パトリック"と自分の名前がデカデカと刻まれているものでした。一方、ウィルがプレゼントしたのは前々からルーが欲しがっていたミツバチの刺繍の入ったタイツでした。
おそらくパトリックの方が高価なものでしょうが、自分があげたいものをあげるのか、相手の欲しがっているものをあげるのか、その違い以上に受け取った時のルーのテンションの違いで、どちらが良いかは、そしてその後の両者との関係も明白でした。

そんなわけで、今回は好意を抱いている相手に贈るプレゼントはどんなものが良いかということについての心理学です。

Gergen, Ellsworth, Maslach & Seipel(1975)は、6人の実験参加者にお互い顔が見えずに会話ができない状態でポーカーのようなチップを賭けるゲームをやってもらいました。途中、一人の参加者(というように思わせていますが、実は全員)に、「あなたは今ビリです。」ということを知らせたあとで、他の参加者からチップと封筒が渡されます。その封筒にはメッセージが書かれていて、それが以下の3つの条件となっていました。

1. 利息をつけてチップをあとで返して欲しい。(高義務条件)
2. 同じ枚数のチップをあとで返して欲しい。(中義務条件)
3. チップを返さなくても良い。(低義務条件)

このゲームの後で、途中でチップを渡してくれた人に対する好意度を評価してもらったところ、日本人とアメリカ人の実験参加者は、2の「同じ枚数のチップをあとで返して欲しい」と伝えてきた人を最も好意的に評価し、スウェーデン人は、1の「利息をつけてチップをあとで返して欲しい。」と2を同程度に好意的に評価していました。
この3つの国の人全てに共通していたのは、最も評価が低いのが「チップを返さなくても良い。」という低義務条件でした。

なぜこのような結果になったかと言うと、高義務条件は利息がもらえるというメリットが明らかにありますし、中義務条件でも同じ枚数のチップが返ってくる+自分の善意と捉えられるという点でメリットです。
ところが、低義務条件ではチップが減ってしまうという明らかなデメリットが生じてしまいます。
このようなとき、それを受け取る側からすれば、「自分のプラスにならないどころかマイナスになるようなことをしてくるのには、何か裏があるに違いない。」と捉えてしまうのです。
それゆえ、相手のことを警戒したり下心があるんじゃないかと勘ぐってしまったりすることにつながり、好意度が下がってしまっているというわけです。

人は、誰かから自分の利益となるような何らかの施しを受けた時、それに対してお返しをしたい、お返しをしなければならないという意識が働きます。このことを返報性と呼び、特に自分に対して好意的な行動に対しては、やはり好意的な行動で返すというものを、好意の返報性と呼んでいます。

上記の実験では、自分は「チップを借りてゲームが継続できる」のに対し、相手のメリットが高義務条件の場合は、「利息分儲けることができる」ことになり、中義務条件では、「人を助けたということで好印象になる」ということになります。
これが低義務条件の場合、チップをあげてしまう分を相殺するぐらいのメリットが明確ではないため、それに対する好意の返報性を強要してしまうようなところが出てくるのです。

この好意の返報性は日常の多くの場面でも当てはまります。
とりわけ、「世界一キライなあなたに」での相手に対するプレゼントでも同様ですね。
やたらと高価なものをあげてしまうと、相手から、「こんな高いものをくれるなんて、何か下心があるんじゃないか?」と思われてしまう可能性があるわけです。
やはり相手の目線で、相手が欲しいと思っているものをあげるのが一番かもしれませんね。

頑張れ、パトリック!

[引用]
Gergen, K. J., Ellsworth, P., Maslach, C., & Seipel, M.(1975). Obligation, Donor Resources, and Reactions to Aid in Three Cultures. Journal of Personality & Social Psychology, 31, 390-400.

「世界一キライなあなたに」感想。


(公式HPより引用)

[story]
イギリスの田舎町、ルーことルイーザ(エミリア・クラーク)は、働いていたカフェが閉店してしまい、そのかわりの仕事として、事故によって車椅子生活となってしまった元実業家の青年ウィル(サム・クラフリン)のお世話をすることになる。生きる意欲を失っていたウィルだったが、ルーの明るさに徐々に惹かれていく。しかしウィルにはある計画があって・・・。

ジョジョ・モイーズのベストセラー「ミー・ビフォア・ユー きみと選んだ明日」の映画化です。

原作のことはよく知らなかったのですが、世界的な大ベストセラーだったようですね。

事故により車椅子生活となってしまい、心を閉ざした青年と、彼の身の回りの世話をする天真爛漫な女性とのラブストーリーとなっています。

ルーは明るい女性ですが、境遇にはなかなか恵まれていません。
父親が失業し、妹は結婚して子どもができることとなり、一家の家計をささえるために地元のカフェでずっと働いていました。
しかし、そのカフェも不況の煽りで閉店してしまうと、満足な退職金もないまま職探しをしなくてはいけないことになります。
そんな時に見つけたのが、ウィルのお世話係でした。

ウィルは事故に遭うまではやり手の実業家でしたし、実家が元々金持ちということもあって暮らしぶりとしては不自由のないものでした。ただ事故の一件ですっかり心を閉ざしています。

境遇には恵まれないけど天真爛漫な女性と、何不自由ない環境にいるけど、心を閉ざしている男性、この実に対照的な2人が出会ったことで変化が訪れるわけですが・・・。

これもまたいわゆる難病モノに分類されるわけで、ラストはやはり予想できてしまうところもあるのですが、それを補って余りあるのが主演の2人のキャラクターです。特にルーに扮するエミリア・クラークの天真爛漫さは特筆すべき魅力となっています。エミリア・クラークは「ゲーム・オブ・スローンズ」というドラマで人気だそうですが自分はあいにく未見でして、「ターミネーター:新起動/ジェニシス」のサラ・コナー役という印象だったので、本作でのコケティッシュな魅力は新鮮でした。

他にも、ウィルの車椅子にルーも一緒に乗っかったり、そのままダンスしたりとなかなかに素敵なシーンもあり、リア充爆発しろ!と思わないでもないですが、それぐらいにロマンティックなシーンも多いです。

ただ、気になる点もいくつかあって、手放しで評価できなくなったのも事実です。その点を以下に挙げていきたいと思います。

1. ルーのオシャレ

ルーはファッションに興味を持っていて、そのセンスはともかくこだわりは強そうです。ウィルの元に行くときもなかなかインパクトのあるいでだちとなっています。それはかまわないのですが、父親が失業し、自分が家計を支えなくてはならないという状況にしては、オシャレにだいぶお金をつぎ込んでそうなのが気になりました。
そのセンスはともかく、自分で作ったような服ではなく既製品という印象もありましたし、靴も大量にコレクションしています。
このあたりアレンジやコーディネートでなんとかしているといった雰囲気をもっと出せれば良かったですね。

2. 哀れ、パトリック・・・。

ルーとウィルの恋物語のようにあらすじにも書かれていますが、実はルーにはれっきとした恋人がいるのです。
この恋人パトリックも自分で事業を起こしており、起業家コンテストで優勝もしているやり手です。ルーの両親にも面識があるし、ルーのことをサポートしてあげようということも言っています。
ルーがどんどんウィルに入れあげていくのに危機を感じたのか、自分の名前が刻まれたネックレスをプレゼントしちゃうのはさすがにどうかとは思いましたが、良いやつなんですよ。

ルーがパトリックとの旅行をキャンセルして、ウィルとの旅行を選んだことがきっかけで破局してしまうのですが、これはさすがにパトリックに同情してしまいます。
いくら介護士の人も一緒だからとか、あくまで仕事だからとか言われても納得できるわけありません。
結果的に、破局したのを良いことにリゾートでいちゃついてましたからね。

3. ウィルやりすぎ。

ウィルはルーがファッションの勉強をしたいという気持ちを叶えるために、父親に仕事を紹介(ウィルの実家の持っている城(!)の管理人)したり、ルーにパリへの航空券とそこでやっていくのに困らないだけの資金援助をしてくれます。
って、これはちょっとやりすぎではないかと。
父親の件については、家族のために自分を犠牲にしているルーを解放するという意味合いはありますが、ルー自身には自分で自分の道を歩ませようというスタンスを打ち出してほしかった気がします。
大学の学費を全部払っちゃうとか、そういう援助のほうが良かったと思うんですよね。
そして資金的な援助ならパトリックでもできたじゃん、って思っちゃいますからね。

4. なんだこの邦題は???

そして、本作一番の謎にして疑問にして納得出来ないのはこの邦題です。「世界一キライなあなたに」なんてタイトルだったら、ホントはスキなんだけど素直になれない2人が巻き起こす騒動を描いたラブコメとしか思えないじゃないですか。
上記の邦題になったのは、おそらく終盤に、ウィルの意志を変えることができなかったルーが「あなたになんて会わなければ良かった」みたいなことを言っているところからとったんでしょうが、このシーンしか見てない人がつけたんじゃないか?って思ったぐらいに違和感がありました。
邦題がヒドイ以上に、原題の魅力が失われてしまったことが問題ですね。原題のme before youは、あなたに会う前のわたし、ということで、ルー側から見ても、ウィル側から見ても成り立つものでした。お互いに対照的だった2人が出会ったことで、ウィルは心を開き、ルーは自分の道を歩き出そうという決意をするのですから。
me before youだとわかりにくいというのであれば、原作の邦題のようにサブタイトルまでつければよかった話で、ちょっと違和感を拭えませんでした。

というわけで本作は単なる量産型のラブコメではないのですが、邦題で損しているような印象を受けました。
ただ、逆に言えば変に先入観を持たずに見ることにもつながるかもしれないので、素直な気持ちで鑑賞していただけたらと思います。

「メカニック:ワールドミッション」から考える正しい脅迫の仕方



「メカニック:ワールドミッション」では、その正確無比な仕事ぶりから、"メカニック"と呼ばれている凄腕の殺し屋ビショップが、愛する女性を人質に取られて、彼女を解放してほしければ仕事の依頼を受けろという脅迫をされます。

が、しかし!

この犯人たち、人質に銃を突きつけてビショップを脅すのかと思いきや、そんなことは一切せず(途中で勢い余って撃っちゃいますけど)、最後もほっぽりだして自分たちは逃げ出すという始末でした。

そういうわけで、今日は正しい脅迫の仕方について書いていきたいと思います。悪用は厳禁ですよ!

Janis & Feshbach(1953)は、高校生を対象にどのように言われれば歯磨きをするのかを調べました。ここで高校生たちを"脅迫"する条件として、以下の4つのパターンがありました。

A: 「虫歯にならないために、歯を磨きましょう!」(脅しなし条件)
B: 「歯磨きをしないと虫歯になって歯に穴が空いてしまうから、しっかり歯磨きをしましょう!」(弱い脅し条件)
C: 「歯磨きをしないと、虫歯になって歯に穴が空いたり、歯茎が腫れたりするので、しっかり歯を磨いて、歯医者にも行くようにしましょう!」(中程度の脅し条件)
D: 「歯磨きしないと虫歯になって、歯に穴が空いたり歯茎が腫れたりするだけでなく、歯医者で大変苦痛を伴う治療をしなければならなくなります。さらには痛風やガンを引き起こすこともあります。」(強い脅し条件)

この結果、もっともショックを受けて不安と感じたのはDのパターンの強い脅しを受けたグループの高校生でした。まあこれは予想通りの結果かもしれませんが、その後、しっかりと歯磨きをしたのはBのパターンの弱い脅しを受けたグループでした。

なぜこのような結果になったかと言うと、あまりにも強い脅しを受けてしまうと、人はショックで萎縮してしまったり、どうすることもできないと自暴自棄になってしまったりします。その一方で強い反発心を覚えたりもします。このどちらのパターンにおいても脅迫が功を奏さないということがわかりますね。
「メカニック:ワールドミッション」では完全に後者の反発心の方ですね。おかげで依頼したボスも部下たちを大半失っていましたしね。

これが弱い脅しとなると感情的にならずにすみ、伝えられた情報を冷静に判断することができるので、それに筋道が通っている場合にはその内容を受け入れようとするわけです。

「メカニック:ワールドミッション」でも人質の安全を保証しながらも、いつでも殺せるんだぞという姿勢をもっと打ち出す必要がありましたね。
それしなかったから敵さん一味はあわれな結果になってしまいました・・・(;・∀・)

[引用]
Janis., I.L. & Feshbach. S.(1953). Effects of fear-arousing communications, Jounal of Abnormal and Social Psychology, 48, 78-92.

「メカニック:ワールドミッション」感想。


(公式HPより引用)

[story]
その仕事っぷりから"メカニック"と称される殺し屋ビショップ(ジェイソン・ステイサム)。殺し屋稼業から足を洗った彼だったが、幼少期に同じく暗殺者として一緒に育てられたクレイン(サム・ヘイゼルダイン)から仕事の依頼が入る。依頼を断りタイで隠遁生活を送ろうとするも、ふとしたことで助けた女性ジーナ(ジェシカ・アルバ)を人質に取られ、やむなくクラインの依頼を受けることとなる。その依頼とは武器商人として暗躍する3人のフィクサーを暗殺することだった・・・。

ジェイソン・ステイサムが完璧な暗殺を行う凄腕の殺し屋を演じるサスペンス・アクション「メカニック」の続編。共演はジェシカ・アルバ、トミー・リー・ジョーンズ、ミシェル・ヨー。

実は前作の「メカニック」は未見なのですが、ジェイソン・ステイサムのアクション映画なので、前作見ていなくてもたいして問題ないだろうと判断しての鑑賞です。
ちなみに前作は70年代にチャールズ・ブロンソン主演で作られた映画のリメイクだそうで。

というわけで、予備知識ほぼ無しで観に行った結果、予想通りジェイソン・ステイサム印のアクション映画ということで、ツッコミどころ満載でしたので、以下、その魅力を余すところなくお伝えするべく、ネタバレ全開でお送りしたいと思います!

鑑賞を楽しみにしている方は回れ右でお願いします!


ブラジルのリオデジャネイロで名前も身分も隠して暮らしているビショップ(ジェイソン・ステイサム)の元に、見知らぬ女が現れます。彼女はビショップの正体を知っており、殺しの依頼をしてきます。しかし、もう足を洗っていたビショップは依頼を断り、力づくでも依頼を受けさせようとするやつらをヌッ殺し(!)、ついでにこの女の写真を撮って依頼主を探ります。パソコンで女の写真を照会し、依頼主がかつて幼いころともに暗殺者として育てられたクレイン(サム・ヘイゼルダイン)であることが判明します。写真だけで身元照会できるってあんたFBIか何かかよ!と思うかもしれませんがこんなところでツッコんでいては時間がなくなるので先に進みます。

面倒を恐れたビショップはそのままタイに飛びます。そこで旧知のメイ(ミシェル・ヨー)の元に身を隠します。
このまま隠遁生活を決め込もうとするビショップでしたが、ある日、ビーチの沖のボート上で激しく言い争う男女の声が聞こえてきます。
どのぐらいの声かというと、沖にいるのに浜辺に聞こえるくらいの大音声です。

メイに頼まれて様子を伺いにいったビショップは、どうやらDVを受けているらしい女性を救うために、男の方を止めようとした結果、あっさり殺してしまいます。オーバーキル!

仕方がないので女性を救出した後にヨットもろとも爆破!証拠を隠滅します。

ビショップ「あの女はどうした?」
メイ「とりあえずあなたのバンガローに寝かせておいたわ。」

なぜなのか?

メイも実は何かの陰謀に絡んでいるのかと疑ってしまいました。

この女性ジーナ(ジェシカ・アルバ)の素性も怪しいと思ったビショップは彼女を問い詰めると、ジーナは、かつてアメリカの特殊部隊だったが身寄りのない子どもたちを救うために今はカンボジアでNGO的なところで働いていたところ、ある日クレインに脅され、クレインの部下(先ほどオーバーキルされた男です)と夫婦のふりをしてビショップのそばでDV被害を受けているところを見せつければ、それを助けようとして関わってくるだろうという目論見だったのですが、この男がジーナに本気になってしまい関係を迫ってきたので、DVが演技じゃなくなったということでした。

長い!そして、何やそれ!?

クレインに脅されているとあっさりゲロしたジーナによって、ビショップはクレインの陰謀を見抜いたのですが、にも関わらずジーナとイチャコラしてたらクレインの部下たちに襲われます。
ビショップは大切にしている父親の形見の腕時計をジーナに渡し、「何があっても君を守る!」と誓います。その後、クレインの部下たちをだいぶ撃退するも多勢に無勢、ジーナはさらわれてしまいます。

ビショップはジーナを追いかけてクレインの元へ行きます。
この時、ビショップは勝手に立ち上がると爆発するイスに座らされますが、別段意味はありません。てかここで爆発したらみんな死んじゃうのでは???

クレインはビショップにジーナを返してほしくば3人の男を事故に見せかけて殺害するように依頼します。
ここからがワールドミッションのはじまりはじまり~・・・なわけですが・・・。

なぜ、ジーナのためにそこまでするのか?

可愛かったからか?

クレインの陰謀だとあっさり気がついたのに、その仕掛けにあっさり乗ったあげく依頼を受けてしまうって、あんたそれでいいのか!?

クレインも、NGOで働くジーナをビショップとは縁もゆかりもない人だったのに無理やり脅して、なぜかDV演技をさせてまでビショップに関わらせ、その上で誘拐して人質にして、その代償として殺しの仕事を依頼するっていうまどろっこしさ、なんとかならなかったのか!?
お前も殺し屋のはしくれならそんな回りくどいことせずに自分なり自分の部下なりに仕事させなさいよっ!

というわけで、ジーナを救うべく渋々仕事をすることになったビショップ。
最初のターゲットは、クリルというアフリカ人で、今はマレーシアの刑務所で服役中のため、そのミッションは困難を極めます。
というのもこの刑務所は凶悪犯ばかりを収監しているからか陸から離れた孤島にあるのです。孤島の周りはサメがうようよしています。

ビショップは潜入するためにマレーシアの警察にちょっかいを出し、公務執行妨害で取り押さえられます。

・・・。

そのレベルで凶悪犯扱いにならないでしょ!
それともマレーシアでは誰彼かまわず犯罪者は孤島の刑務所送りなのか?

ビショップは、火薬を仕込んだタバコ、発火剤、そしてサメよけクリームを隠し持ち、かくしてこの孤島の刑務所に収監されます。

この刑務所ではターゲットであるクリルが刑務所内を牛耳っていました。ちなみにこの刑務所、凶悪犯ばかりの割に脱獄されないと思っているからかかなり緩い警備になっています。そのせいかクリルに恨みを持つものが、スキあらばクリルの命を狙っています。

ある時、クリルの元側近が、手に仕込んだ刀で命を狙ってきます。
ちなみにこんなやつです。

higanjima_akira.jpg


おっと間違った。正しくはこちらです。(;・∀・)

mechanic_shikomigatana.jpg

間一髪のところ、ビショップが別の暗殺者から奪っていたナイフを投げ、このクリルの生命を救います。

・・・

これやってなかったら、クリル、死んでたんじゃね?

なんて疑問もなんてその。
クリルの命を救ったことで信頼を得たビショップは、クリルに2人きりの食事に招待されます。
いそいそとビショップをもてなそうとしているクリルを後ろから絞め落とします。不穏な物音に駆けつけたクリルの部下たちに、「お祈りの最中だ、邪魔するな。」と言われると、「そうか、お祈りの最中か。なら仕方ないさね(*´ω`*)」とよく確認せずに引き下がる部下たち無能・・・。

でもすぐにバレて刑務所内は大騒ぎに。
先の元側近の刃傷沙汰とかはさして騒ぎになっていないことのほうが問題な気もするが、そこはクリルの権力でそうなっているのだろうと強引に解釈。ビショップはタバコに仕込んだ火薬で刑務所の塀を爆破、その穴から抜け出し海へダイブ!
周りにはサメがウヨウヨいるけど、大丈夫!
なぜなら、サメよけクリームを塗っているから!!!

そんなもの世の中にあるのかと思ったので調べたら、サメよけリングなら見つかりました。その名もシャークバンズ笑
リンク先見るとクラゲよけローションならあるみたいですね。
http://item.rakuten.co.jp/stradiy/sharkbanz/

効果の程はともかく、水に入ったら落ちちゃうのじゃないかとかもともかく、無事に生還します。
ちなみにこのときもクレインの部下が回収に行ったのですが、引き上げた網には引っかかっておらず、いつの間にか後ろ側にいるというどうでもいいビショップのフェイントが入ります。

というわけで最初のミッションを終えたビショップですが・・・

あれ?事故に見せかけてなくね?
あからさまに殺したよね?


・・・

次なるミッションはシドニーに住む武器商人のフィクサー・エイドリアンで、彼は厳重な警備の高層ビルの最上階に住んでいます。
すでにクリルが殺された情報が入っている可能性もあり、一体、どうしたら彼を殺すことができるのか・・・。

ビショップはエイドリアンの行動パターンを調べ、決定的なチャンスを見出します。
それが、こちら!

mechanic_pool.jpg

ファーーー!

いくら強化ガラスとは言え、最上階のビルから張り出してるプールなんて、絶対アブナイですやん!
しかもエイドリアン、プールに入るためにガウンを脱ぐ時、部下たちを睨むと、部下たちは気まずそうな様子で後ろを向きます。

エイドリアン、なんだその恥じらいは!?

しかもこのシーン、無駄に2回あります!

ただ、このせいで死角が生まれ、ビショップがプールにヒビを入れると、あっさりプール崩壊!エイドリアン転落!

エイドリアーン!!!

かくして2人目のターゲットを殺したビショップのもとに、クレインからジーナが無事でいることを示すビデオメッセージが贈られてきます。
ここでジーナの機転でビデオ映像に船のナンバーを映し出すことに成功し、それで船の居場所をつきとめたビショップはクレインの船に乗り込み、部下たちを次々と亡き者にします。

しかし多勢に無勢、ビショップは取り押さえられ、今度こそ依頼を守らないと、本当にジーナを殺すと言われます。

ビショップが部下たち相手に大立ち回りをする前に、なぜ人質に取っているジーナを盾にしないのかは謎ですが、だいたいこれでクレインの部下は半数ぐらいになってしまいます。

ジーナの奪還に失敗したビショップは最後のターゲットのいるブルガリアに向かいますが、ここでクリル、エイドリアン、そして最後のターゲットのマックス・アダムス(トミー・リー・ジョーンズ)に共通しているのが武器商人だということに気がつきます。
そんな彼らに対抗して勢力を伸ばしてきたのがクレインで、彼はこの3人を殺すことで世界の武器の売買を牛耳ろうとしていたのです。

クレインの真意に気がついたビショップは、マックス・アダムスの厳重に警備されたセキュリティールームにあっさりと忍び込みます。どうやって忍び込んだのかは一切謎です!
そこでマックス・アダムスにクレインを騙すために死んだように偽装するというアイデアを持ちかけます。
マックス・アダムスの潜水艦のドックを爆破し、そこでマックス・アダムスが死んだというニュースが流れます。
それを聞きつけたクレインは部下たちを確認にやると、そこにはビショップのし掛けた罠があり、部下たちは一網打尽にされてしまいます。

自分のもとにビショップがやってくると確信したクレインは、ジーナを盾にビショップを脅す・・・のではなく、ジーナを別の場所に移動しようと画策しますが、ジーナはスキを見て逃げ出そうとします。
そうこうしているうちにビショップによって次々と部下を殺されていき、クレインはジーナを置き去りにして船に爆弾をセットします。時限爆弾の起動が始まったので、ビショップはジーナを脱出ポッドに乗せると、自分はクレインとの対決に赴きます。

クレインを船にグルグル巻きにするも、時限爆弾はゼロを刻み、船は爆発してしまいます。
ビショップも巻き込まれたのだと悲嘆に暮れるジーナ。
死亡したと報道さればかりなのにちゃっかり現場に行っちゃうマックス・アダムス。

ジーナは再びカンボジアのプノンペンでNGOの仕事に戻ります。
するとそこに現れたのはビショップでした。

ビショップは船の構造をいつの間にか調べており、船が爆発したとしても安全に隠れられるスペースを把握しており、そこに逃げ込んで無事でした!的なことをマックス・アダムスが気がついて終了です。


とまあ、予想通りお腹いっぱいな作品でした。

他のツッコミどころとしては、

1. ルールは無用だ!

公式サイトに行くと、ビショップの仕事のルールとして、1. 殺人の痕跡を一切残さない、2. 100%事故死に見せかける、3. 誰とも組まず孤独だけを友とする。と書かれているのですが、そもそも1と2が大差ないような気もするのですが、まあ、盛大に破ってらっしゃいます。
3は確かに戦いは1人ですが、ジーナを人質に取られてそれに流されて行動してるので孤独だけが友だちじゃないですしね。
まあ、このルールは映画では特に出てきません。クレインからは事故に見せかけろと言われますが、それも大して成功してませんしね。
このあたり、ジェイソン・ステイサムの「トランスポーター」シリーズでもルールを無視してますので、まあ、らしいやね、ってことで。

2. なぜジーナを人質にしたのか?

上記のネタバレでも書きましたが、元々ビショップとジーナは無関係の他人だったのが、クレインの策略に(見破っていたにも関わらず)はまり、助けるために依頼を受けるという流れになっています。
なぜにここまで周りくどいことをしなければならなかったのか、ということについては、上記のルール3のように一人で仕事をしている上に家族や恋人もいないので弱点がない、なら弱点を作ってしまおうという考え方からすれば、まあわからなくもない。のですが、なぜジーナなのか?

今でこそNGOで働いているという身分ですが、元は特殊部隊なので、そこそこ格闘術もある(ビショップに最初に疑われた時もちょっと戦ってます)し、クレインの部下とも戦うところがありますし、船のナンバーを伝えるなどの機転も利きます。
普通の女性にしておけばこんなことにはならなかったのでは?
メイとかでも全然良かったのではないのか?
謎は深まるばかりですね。

3. 続編なのか?

先述したように自分は前作未見なのですが、前作はチャールズ・ブロンソン主演作のリメイクということもあり、単なるアクションではなくアクション・サスペンスとなっています。
あらすじを追うと、ビショップは親友の暗殺を依頼され、それを成し遂げるも、今度はその息子が復讐のために弟子入りしてきたことで、自分のミッション遂行にも影響がある一方で、この息子が真相に気がついたら、というサスペンス要素があります。

が、本作ではそのあたりの名残は一切出てきません!
しかもクレインの話って前作では全く出ていないのでは?
殺し屋から足を洗うきっかけにはなっているかもしれませんが、主人公の設定以外、何一つ前作からつながってないのじゃないかと疑ってしまいます。
かろうじて関係あるのがルール3ぐらいですかね?
ちなみに本作も前作に引き続き、アクション・サスペンスというジャンルになっております。

4. ウホッ!

それでもジェイソン・ステイサムのキレのあるアクションは健在です。
そして、めったやたらと脱ぎまくるファンサービスもまた健在です。

タイのビーチで、マレーシアの刑務所から脱走する時、惜しげもなくその肉体美を披露してくれます。
ジェシカ・アルバの水着シーンよりも長尺です。

ジェイソン・ステイサムは元々飛び込みの選手だったそうで、マレーシアの刑務所からの脱走ではまさに崖から海へダイブするので真骨頂ですね。

というわけで、最初から最後までツッコミどころ満載の作品でしたが、細かい設定にケチつけるよりは、それをツッコみながら見るというのが正しい楽しみ方だと思います。

悩み事とかあってくよくよしている人にはぜひオススメしたいです。

「ハドソン川の奇跡」から考えるエキスパートの意思決定



「ハドソン川の奇跡」では、ベテラン機長のサリーがエンジン停止というトラブルにおいても冷静に対処し、ハドソン川への不時着を試み、それに成功したことで、犠牲者ゼロを成し遂げたということで、後に、"ハドソン川の奇跡"と称されるようになりました。

しかし、当のサリー機長は、この出来事を、「奇跡」と呼ばれるのには違和感があったようです。それは、感想の方にも書いたように、自分としてはプロフェッショナルとして取るべき選択、しかるべき行動を取ったに過ぎないのだということなのでしょう。

それでは、このサリー機長のようなエキスパートと、私たちのような一般の人とでは、意思決定はどのように異なっているのでしょうか?

クライン(1998)では、消防隊長がいかにして緊急事態における対処をしているのかを調査しました。
その結果、多くの場合、消防隊長は1つの案のみを頭に思い浮かべ、それが実行可能か、実行に移したらどうなるかをシミュレーションし、問題なければそのまま実行し、小さな問題であればそれを修正し、それで不十分だった時に別のアイデアを考えるという意思決定をしていることが示されました。

一般的な意思決定の場面では、たいてい少なくとも2つの選択肢を考えてどちらが良いか比較検討をするとことで良いものを選択するのですが、エキスパートはそのようにはしていないということです。

もちろん1つ目のアイデアを思いつくのには、これまでの実体験や訓練などを通じて蓄積した豊富な知識や行動パターンが必要とされるので、これがまさにエキスパートたらしめる要因とも考えられます。

「ハドソン川の奇跡」でも、サリー機長は、管制の近隣の空港へ引き返して着陸を試みるという提案を一度も受け入れず、エンジン回復のための対処をいくつか試みた程度で、あとはハドソン川への不時着を決定していましたね。

このようなエキスパートの意思決定を参考にして私たち一般の人でもより良い決定をしようという意図で意思決定モデルを構築しようという考え方は、Naturalistic Decision Making(以下、NDM)と呼ばれています(Zsambok & Klein)。これ日本語訳が当てられているのを見たことがない(直訳すると自然主義的意思決定、とかになるのかもしれません)のですが、エキスパートの決定は迅速かつ的確なものであることが多いので、それをありのままに観察し取り入れようという意味を表しているようですね。

このNDMでは、状況診断と行為選択が一連の流れとして示されているのが特徴で、状況判断が的確だからこそ、その後の決定もスムーズに行うことができるというのが特徴です。

そして、クライン(1998)は、エキスパートの意思決定を、認知主導的意思決定と名付け、これがチェスの名人といった他分野のエキスパートにも当てはまるということを主張しています。

認知主導的意思決定によれば、エキスパートは一般の人と比較して、より早く最適な選択肢を思いつくだけでなく、その選択肢が最適だと確信した時点で行動に移せるので、他の選択肢との比較や吟味をする時間もかからないため、極めて短い時間で意思決定が可能になっています。
「ハドソン川の奇跡」でサリー機長が208秒という短い時間でもすべての乗客の命を救うことができたのは、まさにこの敏速性があったからです。これがはたから見れば一瞬で意思決定をしたかのように感じられるため、直感的な意思決定とも言われています。

ただこのエキスパートの直感はいつも正しいのか?という疑問も生じてきます。多くのエキスパートの意思決定の場合、その根拠がうまく説明できないことが多いため、本作の事故調査委員会のように追及されてしまうことにもつながりますし、もちろん、常に正しいという保証がないのも事実です。

この点については、また別の機会で。

[引用]
ゲーリー・クライン(1998).  決断の法則―人はどのようにして意思決定するのか?(佐藤洋一訳)  トッパン.

Zsambok, C.E. & Klein, C. (1996). Naturalistic Decision Making, Chapter 1 Naturalistic Decision Making, Lawrence Erlbaum Associate, Inc.

「ハドソン川の奇跡」感想。


(公式HPより引用)

[story]
2009年1月15日、ニューヨーク上空850mで155名を乗せた航空機がバードストライクによりエンジン停止してしまう。近隣の空港への着陸が間に合わないと判断した機長のサリー(トム・ハンクス)は、ハドソン川に不時着することを決意する。はたして、乗客乗員155名全員の生存が確認され、"ハドソン川の奇跡"と称されることに。しかし、その判断がより乗客を危険な立場に追い込んだのではないかと事故調査委員会から追求されてしまう・・・。

2009年に実際に起きた旅客機のハドソン川不時着のエピソードを、クリント・イーストウッド監督により映画化。

このエピソードは当時も大々的にニュースでも報じられたこともあり、知っている方も多いのではないでしょうか?
自分も当時のニュースも記憶していたので、そうなると当然問題となってくるのは、実話ベースの映画という限界ですね。

実話ベースのもの、それもメジャーなニュースにもなっているエピソードとなるといかんせん周知の事実となってしまっているので、展開や結末を知っていることになります。本作で言えば、全員助かるということを知ってしまっているわけです。

にも関わらず!

結果を知っているのに、エンジンが止まり、不時着するまでの208秒の緊迫感といったらないんです。
そして、その後の救出劇、さらには事故調査委員会の追及とそれに弁明する機長を始めとするクルーたちの関係性、そういったものを丁寧に描いているのです。

冒頭、旅客機がマンハッタンの街中に墜落するという衝撃的なシーンから始まります。
これは、サリーことチェズレイ・サレンバーガー機長の想像だったのですが、もしエンジンストップ後の対処が間違っていたら、現実のものとなっていたのかもしれないのです。

このハドソン川の奇跡と称されたエピソードは、映画にも描かれていますが管制塔のスタッフは通信が途切れたことで墜落したものと思い込んでいましたし、ハドソン川に不時着した飛行機を目撃した人も、否が応でもあの911の同時多発テロを思い起こしていたはずです。映画でも見ている人にそれを想起させるような演出になっています。

ただ、なんといっても映画一番の魅力となるシーンは、実際の不時着までのシーンでしょう。不時着するまでの208秒の間、サリー機長は決して慌てることなく落ち着いて可能な対処方法を実行に移します。
エンジンの再起動が困難だと見るや、補助動力装置(APU)を起動し、操縦を代わると、副機長のジェフ・スカイルズには、緊急時の対策マニュアルを確認させます。ただこのマニュアルは本来高度2万フィート以上のところでのトラブルへの対処を想定されていたため、非常に長く、この極めて短い時間での対処が困難だったようです。
さらには、川に着水するといっても、下が水だから安全というわけではなく少しでもバランスを崩すと飛行機の機体は損壊してしまいます。
そんな中、バランスを崩すことなく無事に着水を成功させたのはサリー機長の冷静な判断と熟練の技術の賜物だったのでしょう。

しかし、着水に成功したから確実に助かるというわけではありません。
機内に浸水してしまえばやがて川の底に沈んでしまいますし、真冬のニューヨークで気温も氷点下という状況では、もし助かったとしても凍死の可能性もあります。

これには、機長だけじゃなく、十分な情報は伝えられていなくとも冷静に乗客の避難誘導や救命胴衣や毛布の配布をした客室乗務員、音信が途絶えた管制塔からの指示で目視による確認を続けたヘリコプター、着水した飛行機にいちはやく救助に駆けつけた水上タクシーや観覧船(これは船員だけでなく乗客も救助の手伝いをしたそうです)、本格的な救助活動をおこなった消防局や沿岸警備隊など、多くの人たちの迅速な救助活動が功を奏して、全員無事という偉業を成し遂げたのです。
当然、彼らの脳裏にはあの911同時多発テロの記憶がよぎっていたでしょう。そして、その悲劇を決して繰り返すまいという意識があったからこそ、この奇跡が生まれたのでしょう。

とまあ、いわゆる美談で終わらないのが本作のスゴイところです。
この緊急着水は回避可能だったのではないか、空港に帰還することができたのではないか、乗客をいたずらに命の危機に晒したのではないか、という疑惑が出てきます。

ところで、本作の原題は"Sully"となっていて、この事故全体というよりは、サリー機長という人物に焦点を当てられているということが分かります。
無事に着水した直後、乗客を外に避難させてからも入念に機内を探します。そして無事に救助された後も、乗客全ての生存が確認できたのかをずっと気に病んでいるのです。
隣でさっさとお風呂に入って着替えを済ませた副機長と、また実に対照的です(副機長も別に悪い人じゃない、むしろ良い人なんですけどね)。

彼自身、あの場面において最善だと思われる選択をした結果だとは思っていたのでしょうが、事故調査委員会によって疑惑をかけられると、その通りに空港に帰還することが可能だったのか、自分は多くの人の命を犠牲にしてしまうところだったのかと思い悩むようになります。
眠れずにニューヨークの街を徘徊したりもするのですが、見かけた人は彼を英雄と呼び、奇跡を称えるのです。この状況への葛藤がまさに本作が焦点を当てているところとなります。

結果は、事実の通り、緊急時のチェックリストを確認してからの空港への期間はシミュレーションで不可能だということが証明されるのですが、その結果に喜ぶというよりは、そういった疑惑を挟まれるということについて、より良い判断があったのかもとまだ思念している印象でした。

本作のタイトルのようにこの一連の出来事は、ハドソン川の奇跡と称されるようになるのですが、サリー機長は、"奇跡"と捉えられることに違和感を感じているようですね。
彼はプロフェッショナルとしてその状況におけるベストな選択をしたにすぎないということなのでしょう。

映画では、サリー機長をはじめそれぞれの登場人物をしっかりと描ききり、この奇跡を決して仰々しくない落ち着いた演出で作り出しているのです。それでいて96分という短い時間にまとめ上げたのは、まさにクリント・イーストウッド監督の手腕ならではでしょう。

このニュースを知っていた人も知らない人も十分に楽しめる作品になっていると思います。

余談ですが、自分は先日ニューヨークに行っていたのですが、そこで現地のガイドさんに聞いた話で、ニューヨークの当時の市長がこの事件をきっかけとしてバードストライクのカナダガン駆除に本腰を入れたそうです。それがもう完全に絶滅させる勢いで、動物愛護団体から訴えられたのだとか。さすがは、ニューヨーク、やることのスケールがスゴイですね・・・。
プロフィール

すぷーとにく0107

Author:すぷーとにく0107
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中の人は、北海道は札幌市在住です。
映画館で年間200本は映画を観ます。
当ブログでは、映画のレビューをしつつ、勉強している心理学ネタでも書いていけたらいいなと思っています。

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