「インフェルノ」感想。


(公式HPより引用)

[story]
ラングドン教授(トム・ハンクス)は、フィレンツェにある病室で目覚める。この2日間の記憶がない彼の前に刺客が現れるも、担当の女医シエナ(フェリシティ・ジョーンズ)の手を借りてなんとか逃げ延びる。ラングドンはポケットに入っていた指紋認証式の小型プロジェクターを操作すると、ダンテの地獄篇を模した図が映し出される。そこから大富豪で生化学者のゾブリスト(ベン・フォスター)にたどり着いたラングドンとシエナは彼の恐るべき計画に気がつくのだが・・・。

「ダ・ヴィンチ・コード」「天使と悪魔」に続き、宗教象徴学者ロバート・ラングドンの活躍を描くダン・ブラウンのベストセラー・シリーズの映画化。
ラングドン・シリーズとしては、本作の前に「ロスト・シンボル」という第3弾があるのですが、それをすっとばして第4弾のこちらが先に映画化されました。
まあ、「ダ・ヴィンチ・コード」も第1弾の「天使と悪魔」すっとばして作られてるし、順番はたいした問題じゃないのでしょう。
監督ロン・ハワード、主演トム・ハンクスというのも前2シリーズと同様です。

ただ、本作はいきなりラングドン教授が大怪我をして、フィレンツェの病院に運び込まれているところから始まったと思ったら、突如として刺客に襲われたりと、サスペンス全開でスタートします。
しかも2日間の記憶を失っており、時折見えるのは、地獄かと思えるような幻覚ばかり。

とまあ、多くの疑問を抱えてスタートするのですが、その後の謎解きは、さらなるジェットコースター状態です。
これはこのシリーズに一貫してそうなのですが、本作も単行本時には上下巻にわかれて発売された長編となっています。
それを2時間程度の映画にまとめているのでやむを得ないといえばそうなのですが、もはやラングドン教授がなんでも知っている、としか思えない展開でバンバン謎を解いていきます。
そして、本作の登場人物の大半がその謎解き能力を把握しているからか、ラングドン教授に謎を解いてもらおうという姿勢が見え見えになっているのは、もはやセルフパロディーなのかとすら思ってしまいます。

以下、気になる点がいくつか。
ネタバレを含みますので、未見の方は、鑑賞後にお読みください。


1. なぜシンスキーを信じないのか。

記憶を失ったラングドンは多くの人に狙われています。

・病院で襲ってきた警察官の格好をした女性(ヴァエンサ)。
・WHOのブシャールと名乗る男(オマール・シー)。
・シンスキー(シセ・バベット・クヌッセン)率いるWHO。
・シムズの民間警備会社。

あからさまに銃撃してきたヴァエンサはともかく誰が敵で味方がわからない状況ではあるのですが、それならば旧知の、そしてただならぬ関係でもあるシンスキーはもう少し信用されてもよさそうなもんじゃないですか?
プシャールはラングドンの記憶がないことを利用して近づいてきますが、それなぜ知ってるの?仕掛け人のシムズ側の人間しか知らないことじゃないの?
シンスキーもシンスキーで大勢で大挙して押し寄せるから誤解招くんだってって思っちゃいましたね。

2. シエナの設定がブレブレに。

ラングドンを助けて以降、ともに行動する女医のシエナですが、彼女もまた聡明な人物で、9歳にしてラングドン教授の講義を聞いたことがあるというエピソードが語られています。
まあ、思いっきりネタバレで言ってしまうと、彼女が実はゾブリストの恋人で、彼亡き後、彼のかわりに人類を滅亡させるウィルスをばらまこうとするわけですが、まだラングドンと行動をともにしている時、追跡してきたヴァエンサを正当防衛とは言え、突き落として殺してしまいます。そしてそのことにさいなまれるのですが、ちょっと待って!あなたこれから人類の半数が滅亡するウィルスばらまくんですよね?そんな人が不慮の事故で人を死なせたことでショック受けます?
もちろん、これも演技だったと言えなくもないですけどね。

3. 謎解きとしての魅力は?

これはシリーズに一貫して言えることなんですが、見ている側がワクワクするタイプの謎解きがないんですよね。
本作も、

・小型プロジェクターで投影された地獄篇に隠された文字のアナグラム。
・ダンテのデスマスクの場所(天国の25)
・ゾブリストの詩(馬の首を断ち盲人の骨を奪った不実なヴェネツィアの総督を探せ)

といった謎が出てきますが、観ている側に考える、ワクワクさせる暇すら与えられず、ラングドン教授がスパッと答えを見つけるので、「あ、そうなんだ・・・」って感じでどんどん進んでいってしまいます。
原作ではもう少し時間がかかっているのかもしれませんが、映画では次々と謎を解いていくのに必死についていくだけになってしまいます。

4. ゾブリストの行動

ゾブリストはオープニングにプシャールたちに追い詰められ高い塔から身を投げて自殺しています。
観ている側からすればこの時点では、ウィルスをばらまこうとするゾブリストと、それを阻止するWHOのプシャールという構図として理解できるのですが、プシャールがWHOを傘にウィルスを入手して高値で売りさばこうとしている陰謀が後に明らかになっています。つまり、プシャールもウィルスがばらまかれても構わないと考える側の人間です。

・・・

ゾブリスト、売っちゃえばよかったんじゃないの?

・・・

ゾブリストはウィルス発動まで実に用意周到に準備をしていて、その決行までの自分の身を守るためにシムズの警備会社に依頼をしていたのです。
結局ゾブリストはプシャールに追い詰められて死ぬんだから警備会社も仕事してない気がしますが・・・(;・∀・)、まあそれはともかくとして、もし自分の身に何かあったらメッセージを公開することなどを指示していました。
そして自分に何かあった場合に、自分の代わりにウィルスを発動させるために、ウィルスを隠し、その場所を暗号として残したのですが、その暗号が難しすぎて解けない→ラングドン教授に代わりに解かせよう、というのが本作の発端ともなるわけです。

・・・

ウィルス発動させたいならそこまで隠す意味なくない?

暗号解けなくても、仕掛けられていた地下洞窟に名士を招待したのゾブリストだったんだから、それで気がついちゃわない?

そもそもこんなにもったいぶった意味あるの?


・・・

うーん、謎はつのるばかりですね・・・。

ゾブリストは予告編にも流れているように、人類の爆発的増加を危惧しており、それを食い止めるためにウィルスをばらまこうと計画しています。
今ウィルスによって人類の半数を死に追いやるか、それとも100年後に全ての人類が滅亡を迎えるか、その選択だということを言っています。


というわけで、考古学ミステリーとして雰囲気こそありますが、ミステリーとしては観ているものを完全に置き去りにしていること、さらには根幹の設定や登場人物の意図がいろいろぐらついてしまうのが気になってしまいましたね。

良いところといえば、何と言っても謎解きの過程で訪れる街々の美しさでしょうね。
フィレンツェ、ヴェネツィア、そしてイスタンブールと歴史的な名所をじっくりと堪能できます。

原作は未見なのですが、どうやらラストや設定に違いがあるようなので、ぜひ読んでみたいと思います!
上下巻あわせて600ページ超えるのか・・・むぅ・・・(;・∀・)
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「永い言い訳」から考える劣等感



「永い言い訳」では、主人公の衣笠幸夫が、広島カープの鉄人・衣笠祥雄と同じ名前だったことから常に劣等感にさいなまれており、作家として独り立ちしたときにようやく別のアイデンティティーを手に入れたという形になってはいますが、この劣等感は決して消えたわけではなく、不慮の事故により妻を失い、さらにその部分が露呈したかのような描かれ方をしています。

人はなぜ劣等感を感じるのか?

Feld(1991)は、実験参加者に、自分の任意の友人に対して、「あなたの友人は何人いますか?」という質問をさせたところ、平均して自分の友人の数よりも多い人数の回答を得たという結果になりました。
たとえば自分の友人を10人だとしたら、友人に質問して聞いた得られた回答の平均が14~5人というような結果になったということです。

この研究結果から、自分の友人がまわりよりも少ないことを実感してしまい、それが劣等感につながるということも考えられますが、裏を返せば、自分よりも友人が多そうな人、たくさん友人がいそうな人にばかりこの質問をしてしまっているということでもあります。つまりは、自分からわざと劣等感を感じるような状況を作ってしまっているということです。

この実験はあくまで一例ですが、自分が劣等感を感じるような場面は数多く存在しています。
例えば、自分の乗っている車よりも高級な車に乗っている人を見たり、ジムでトレーニングをしている時に隣の人を見たらその人のほうが良い体をしていたり、クリスマスに街を歩いていたら幸せそうなカップルを見たりしたとき・・・などです。

しかし、この劣等感について、本質的に誰にも存在するもので成長には欠かせないものであると捉えていたのが、アルフレッド・アドラーです。

Adler(1992)では、劣等感を細かく定義しています。

まずは、器官劣等性というもので、身体的、機能的側面において、他者よりも劣っている部分があることを指します。
例えば、背が低い、とか、見た目が悪い、とかはここに分類されます。
アドラー自身も身長が150cmほどしかなく、さらには運動音痴でもあり、何度も馬車に轢かれたなんてエピソードもあるぐらいです。
だからこそそれを克服して医者になることができたのは、この器官劣等性からくる感情をうまくコントロールしたからだと言われています。

劣等感とは、こうありたいという理想像と現実像とのギャップに直面した時に生じる感情であり、先述の例のように、自分よりもお金持ちの人、自分よりも幸せそうな人なんかを見ると、自分なんて・・・って感じるのはまさに劣等感なのですが、それを感じた時にどのように反応するかは人それぞれです。

お金持ちの人を見たら、自分がもっと頑張って稼いでやろう、とか、幸せそうな人を見て、自分はもっと幸せになってやろう、というようにその劣等感を行動のための原動力とすることができれば、劣等感はまさに成長に糧となるものなのです。

しかし、そのようなエネルギーに変換できずに、うじうじと悩んでしまう人も多いことでしょう。このように自分の行動や考え方の変化を諦めてしまった状態を劣等コンプレックスと呼んでいます。
一般的なイメージでは、こちらが劣等感ととらえられているかもしれませんね。

劣等コンプレックスを抱くと、自己防衛のためにあえて他者に攻撃的になったり、逆に、自虐的になったりします。
例えば、お金持ちの人に対して、「裏で悪いことして儲けているに違いない。」と決めつけたり、結婚を控えて幸せそうなカップルに対して、「結婚なんて人生の墓場だ。」なんて言うのもそうですね。
反対に自虐的になって、例えば「どうせ自分はモテないから・・・」などと決めつけてしまうと、人と接したりコミュニケーションをとったりするのが億劫になったり怖くなったりしてしまいます。

また、劣等コンプレックスを感じさせない、周りにも気が付かせないために、あえて自分を誇張したり、自分が優れている部分を強調したりすることもあります。こちらは、優越コンプレックスと呼ばれています。
例えば、ブランドもので身を固めたり、インテリぶったりするのもその1つですし、ほかにも、人にやたらと言い訳をする、他人の劣っている点を見つけて見下す、相手にとって不必要な協力を自ら申し出て、助けてやった感を出す、失敗の原因を誰かのせいにする、自分がされた嫌なことを、ほかの人にもする、などが該当します。

こう考えると、幸夫は優越コンプレックスの塊だったのかもしれませんね。

最後に、アドラーはこうも言っています。
コンプレックスを言い訳にしてしまうひとは、もしそのコンプレックスを解消できたとしても別のコンプレックスを言い訳にしてしまうと。
なかなか身に染みる言葉ですね。
自分もいまいちど戒めたいと思います。

[引用]
Adler, A.(1992). Understanding Human Nature, Lightning Source Inc.
Feld, S. L.(1991). Why your friends have more friends than you do? American Journal of Sociology, 96, 1464-1477.

「永い言い訳」感想。


(公式HPより引用)

[story]
人気作家の津村啓こと衣笠幸夫(本木雅弘)は、妻の夏子(深津絵里)がスキーバスの事故で亡くなってしまう。夫婦仲は冷めきっており、事故の知らせを聞いた時も編集者の智尋(黒木華)と不倫中だった彼は、素直に悲しむことができないままでいた。そんなある日、バス会社による遺族への説明会で、激昂する男性、陽一(竹原ピストル)と出会う。陽一は夏子の親友ゆき(堀内敬子)の夫で、このことがきっかけで陽一と話すようになった幸夫は、トラック運転手で家を空けることが多い陽一の代わりに、子どもたちの面倒を見ることを買って出るのだが・・・。

「ゆれる」「夢売るふたり」の西川美和監督が直木賞候補にもなった自身の手による同名小説を映画化した人間ドラマ。

西川監督作品は、「ゆれる」以降は全て見ていますが、どれも傑作揃いだと思っています。その中でも「ゆれる」はこれまで見た邦画全体を含めても1、2を争うぐらいの出色の出来の作品だと思っています。

そんな西川監督の最新作が本作となります。

これまでの作品でも人物描写が見事だったのですが、本作の主人公、津村啓こと衣笠幸夫がとにかく人でなしで、最高です!(褒め言葉)

衣笠幸夫という名前で連想されるのは、元広島の鉄人、衣笠祥雄ですよね。かろうじて漢字は違うとは言え、この偉大すぎる名前に萎縮しきっていたのが衣笠少年だったわけで、そのコンプレックスから、彼は別の人間になろうとします。それが、ペンネームで仕事できる作家だったわけですが、処女作こそ話題になったものの、その後は泣かず飛ばずの状態で、今は新作に手を付けることもなく、文化人枠でテレビのクイズ番組に出たりしています。

冒頭、幸夫は家で妻の夏子に髪を切ってもらっているところからスタートします。テレビには幸夫が出ていたクイズ番組が映し出されています。
夏子に対して傲慢な態度で接していた幸夫ですが、夏子は意に介さない様子で散髪を続けています。
散髪が終わって彼女はスーツケースとともに出かけていくのですが、その後、親友のゆきとともに出かけた旅行先でバスの事故のために亡くなってしまいます。

ここからが永い言い訳の始まり、ということになるわけですが、それは妻に対する浮気の言い訳とか、自分が新作を書けないことへの言い訳とか、そんなレベルではない気がします。
それは、彼がこれまでに生きてきた中での劣等感の強さや、プライドの高さについての言い訳であるように感じました。
それを以下に書いていきたいと思います。

1. 妻・夏子に対する言い訳

夏子とは同じ大学でしたが、幸夫は2浪しているため大学では後輩です。
ようやく大学に入った頃、夏子は大学をやめ美容師として生きていくことを決めていました。幸夫もやがて大学をやめるのですが、その時にたまたま入った美容室で夏子と再会します。この時に夏子にアドバイスされたこともあり、物書きを目指すようになるのですが、常に夏子は幸夫の一歩先を行き、また幸夫の行き先を先導しているのも彼女だったのです。
映画では描かれていませんが、幸夫が小説家として食っていけるようになるまでは夏子が生計を支えていたのでしょう。ようやく小説家として独り立ちした幸夫が、ペンネームである津村啓の方で呼ばれたがっていても、一貫して、「幸夫くん」と呼び続けています。
彼女からすれば、これは普段の呼び方だし、昔からそう呼んでいたし、何気ないつもりだったかもしれませんが、幸夫からすればそれはまだ自分を下に見ているのではないかという劣等感を感じる一因だったのかもしれませんね。

2. 智尋に対する言い訳

女性編集者の智尋(黒木華)との不倫も、本気で相手に入れあげているわけではなく、妻との関係性において優位に立とうとする1つの手段だったのかもしれません。
妻を亡くしたと知った時も平常心でいようとした幸夫ですが、それがうまくいかなかったのか、智尋との常時に及ぼうとした挙句、「気持ち悪い顔」と言い放たれてしまいます。自分に憧れていたと思っていた相手からの一言だけに、彼には重く突き刺さったことでしょう。

3. 出版社に対する言い訳

幸夫は処女作以降は鳴かず飛ばずの状態になっています。今回の幸夫の妻の事故は悲しい出来事ではあるけれど、小説家としては芸の肥やしとばかりにこのネタで再び良い作品が書けるのではないか、という期待が出版社の人たちの中では湧き上がっていたことでしょう。
その思いが花見の席でお酒の力もあったのでしょうか、瓦解してしまいます。酔っ払った編集者が幸夫に突っかかり、それに対し幸夫も反撃しようとしたことで、花見の席はめちゃくちゃになってしまいます。
しかし、それと同時に幸夫の、いや津村啓の評価も公然のものとなり、幸夫は津村啓としてのアイデンティティーが失われつつあることを感じるのです。

4. 陽一に対する言い訳

幸夫のことを認めてくれる人がいなくなってしまった状況において、無邪気なまでに彼を尊敬するのが、妻の親友ゆきの夫、陽一でした。
彼は隅から隅まで幸夫とは対照的で、妻の死に怒り、悲しみ、携帯電話に残されていた何気ないメッセージすら、それが最後のメッセージだからと消すことができずにいました。対して、幸夫は警察の捜査の際に、妻が出かけた時に着ていた服すら思い出すことができませんでした。
また、インテリぶっている幸夫とはやはり対照的に陽一はよく言えば飾らない、率直言うと無邪気なまでの単細胞な性格でした。
幸夫が連れて行った高級そうなイタリアンでも「すげー!こんなの食ったことねえ!」と素直に驚いています。
幸夫は彼といるのは、妻を失った悲しみを共有したり再確認したりするわけではなく、自分を手放しに尊敬しスゴイと言ってくれる陽一がいることで、自分のアイデンティティーを回復しようと考えていたのでしょう。

5. 陽一の子ども、真平・灯に対する言い訳

陽一たちと過ごすことが何より自分のアイデンティティー回復につながると実感した幸夫は、トラック運転手で家を空けることが多い陽一のかわりに、陽一の子どもたち、真平や灯と一緒に過ごすことを提案するのです。
ここまで、クソ野郎感全開だった幸夫ですが、彼らと過ごすことによって大きな変化が見られるようになります。
最初はいつもどおりのスタイリッシュな格好で陽一の家に行っていたのですが、後半には灯をママチャリの後ろに乗っけて疾走するぐらいの家庭的キャラにチェンジするのですから。
ちなみに、夜、真平が塾から帰ってくるのを迎えに行くとき、幸夫が灯と一緒にいるのを町内会パトロールのおばさんに咎められるシーンがあるのですが、この時、なんの言い訳も思いつかないのがなんとも滑稽です。
このタイトルで、しかも作家なのに。
そしてこの時の灯の機転と健気さには思わずホロリとしてしまいます。
真平と灯の描き方も対照的で、真平は塾通いをしていて中学受験を考えているということからも頭の良い子なのでしょう。それゆえ、インテリ風の幸夫に憧れのようなものを抱いている部分もある一方で、肉体労働をしている父親のぶっきらぼうさに辟易としているところもあります。
灯は最初は人見知りながらも心を開いてからは無邪気に幸夫に甘えてきます。
そして彼らは、幸夫のことを「幸夫くん」と呼ぶのです。
その名前で呼ばれることは先述のように嫌いなのですが、彼らに対してはそういった感情を抱いていません。
このあたり、当然、真平や灯は世代的に広島の鉄人・衣笠を知らないでしょうから、幸夫からしてみれば初めて衣笠幸夫として純粋に接することのできる相手だったのかもしれませんね。

6. 鏑木への言い訳

幸夫は陽一一家との幸せな疑似家族を体験しているのですが、それもやがて終わりが来てしまいます。
彼らと一緒に行った科学館で、実験のデモンストレーションをしていたお姉さん、鏑木(山田真歩)と出会います。
幸夫に気がついた鏑木は「ファンです!」と話しかけてくるのですが、幸夫は邪険に扱ってしまいます。そんな鏑木を慰めていた陽一でしたが、2人はいつしか良い雰囲気になり、幸夫はますます期限を損ねます。
灯の誕生日、幸夫は陽一の家で一緒にパーティーをしますが、そこで陽一が、「鏑木の親が保育施設をやっているので、そこで灯を預かってもらえることになった」と報告すると、幸夫は悪態を突き、家を出ていってしまいます。
幸夫にとって幸せな空間だった陽一家族とのひとときが闖入者によって失われつつあると気がついた瞬間、まさに自分からふいにしてしまうのです。

7. 永い言い訳

幸夫は再び誰からも認められることのない生活に戻っていきます。皮肉にもテレビにはかつて自分が出演したクイズ番組が映っており、そこにはかつての自分のような文化人タレントが出演していました。
一方、陽一の家でも変化は起こっていました。陽一は相変わらず仕事で不在のことが多いため、真平は塾通いも続けながら灯の面倒を見なくてはいけなくなっていたのです。真平は塾を休み、勉強もやめて、夜中にゲームをしていると、それを陽一に咎められます。その陽一に対して「母さんの代わりに、父さんが事故にあえばよかったのに!」と言い放ってしまいます。
陽一の家でもいつしか幸夫の存在は大切なものになっていき、その必要性には不在となっている幸夫が気づかないというのも皮肉です。
幸夫は、陽一たちはどうなるのか?それはぜひ映画館でお確かめください。

タイトルにもなっている永い言い訳ですが、なぜ「永い」なのか?
「永い」と「長い」の使い分けについては諸説ありますが、

「長い」:ある点からある点までの時間的、空間的隔たりが大きいこと。
「永い」:ある時点までの間隔が非常に大きいこと。

といった使い分けでしょうか。
「長い」とした時は、終点が定まっていると考えられるのに対し、「永い」だと、永遠、永久といった言葉に代表されるように、終わりがないほどはてしなく続くことを指しています。
つまり、幸夫の言い訳はこれ以降もまだまだ続くということです。
妻の事故死から陽一一家との日々を通じて、幸夫に大きな変化が見られたことは確かですが、それでもまた彼は自尊心や劣等感のあまりまわりに迷惑をかけたり、傷つけたりしていくのでしょう。
ただ、そんな言い訳じみた自分とうまく付き合っていくすべを身に着けつつあるのかもしれませんね。

そんな彼の変化も含めて、またしても巧みな人物描写が伺えるのが西川作品の真骨頂といったところでしょうか。

おまけ. わたしの言い訳


だいぶ映画公開から記事アップが遅くなっているのは、心理学ネタを挟んでいるからでして・・・そして12月に入ってから忙しかったもので・・・ゴニョゴニョ。(-.-;)

「デスノート Light up the NEW world」から考えるフール・プルーフ



前の記事で「デスノート Light up the NEW world」を散々に酷評してしまいましたが、その大きな原因としては、原作、そして10年前の実写版でも繰り広げられていた頭脳戦が皆無だったことにあります。
原作の緻密さが好きだった自分としては、それが全くないものに「デスノート」を名乗ってほしくないとすら思ってしまいました。

そんな中、唯一といってもいいぐらい慎重なところを感じたのが、竜崎の行動です。
竜崎は、自分もデスノートを所有していましたが、それが他の人に気が付かれないようにするために、外出する時に必ずデスノートの所有権を放棄し、帰ってきた時に再びデスノートに触れて記憶を取り戻し、所有権も自分の元へと戻るようにしていました。

デスノートの所有者を死神の目を持つものが見ると、他の人とは異なり残りの寿命が見えないため、結果的にそれでデスノートの所有者も見分けることができるようになるのです。
そこで竜崎は、もし仮に死神の目を持つ者に出くわしても自分がデスノートの所有者だと気が付かれないようにするために、あえて毎回デスノートの所有権を放棄していたのです。

しかし、デスノートの所有権を放棄すると、そのデスノートに関する記憶も同時に失ってしまうため、所有権はおろか、どこに閉まってあるかすら忘れてしまう可能性もあります。

記憶の欠落や操作、手順のミス、勘違いといった人為的な原因によって起こされる失敗のことをヒューマンエラーと呼びます。
JIS Z 8115 : 2000によれば、意図しない結果を生じる人間の行為と規定されています。
つまりシステムの欠陥や不具合などによるものではなく、人間の認知能力、思考能力の限界により生じるため、完全な予防が難しいということでも知られています。

ヒューマンエラーは、サイフを家に忘れたり、間違ったバスに乗ってしまったりといった日常的なレベルのものから、株式の大量誤発注や原発の事故といった大規模なものまで、実に多岐にわたります。

そのためその予防についての研究は医療、航空など多くの分野をはじめ、心理学、安全工学といった学術領域でもなされていますが、上記の理由もあり、確実に防止する方法はありません。
まして、本作の竜崎のように、デスノートの所有権を放棄すると、デスノートに関する記憶が完全に消去されてしまうため、ヒューマンエラー以前の問題です。

では、そのような場面においてもすべきことを忘れないようにするためにはどうしたら良いか?
その答えは竜崎が映画で示してくれていました。

映画では2度ほどクローズアップされますが、竜崎の部屋の電気のスイッチのところにハート型の紙片が貼り付けられていました。これが実は(映画では一切説明はされませんが)デスノートの切れ端だったのです(ハート型になっているのは彼についていた死神アーマの趣味でしょうか?)。
もちろん、竜崎は電気のスイッチを入れる瞬間まで、この紙片がデスノートの切れ端であるということを認識はしていません。映画でもスイッチを入れる瞬間に紙片の存在に気づき、一瞬躊躇しているような動きをします。それでもスイッチを入れることで、この紙片に触れ、結果としてデスノートの記憶がよみがえるということを彼は毎日繰り返していたのです。

「家に帰ったらデスノートに触れなければならない。」だと、所有権の放棄によりデスノートの記憶を失ってしまうため、この行動は覚えておけません。
しかし「暗くなったら部屋の電気をつける。」ことはデスノートと直接関係がありませんし、ほとんどのひとが当たり前にする行動です。
つまり、暗くなる→電気のスイッチを入れる→デスノートに触れる、が結びついているため、たとえデスノートの記憶がなくとも、夜になれば必然的にデスノートに触れることになり、記憶も取り戻すことになるのです。

このように忘れてはいけないことを忘れないようにするための1つの方法としては、必然的行動と結びつけることがあげられます。
これは日常生活にも応用できて、例えば、明日持っていかなければならないものをあらかじめ玄関のドアノブに引っ掛けておくなんてのがその一例です。
当日の朝に、持っていくことをすっかり忘れていたとしても、出かけるためには玄関から外に出るというのが必然的行動になるので、そのドアノブに手をかけようとした瞬間に思い出すはずです。

機器のデザインなどで、間違った使い方がそもそもできない、間違った使い方をしたとしても危険が及ばないような設計や対処法のことを、フール・プルーフと呼びます。
例えば、電子レンジは扉が完全に閉じた状態じゃないと動作しませんし、オートマ車はギアをパーキングに入れないとエンジンが指導しません。車が動いている間は操作できないカーナビなんかもそうですね。

このようにデザインのレベルでの対処は多くありますが、それがかなわないような場合は、本作の竜崎のように、必然的行動と関連付けることでうっかり忘れを防ぐことができるようになります。

ただ、前日にセッティングしておくの忘れたら元も子もないんですけどね・・・(;・∀・)

[引用]
JIS Z 8115 : 2000 デイペンダビリティ(信頼性)用語.

「デスノート Light up the NEW world」感想。


(公式HPより引用)

[story]
キラこと夜神月と世界的名探偵のLの世紀の対決より10年、世界中のネット回線がジャックされ、"キラ"からのメッセージが発信された。その内容は、「デスノートを手に入れろ」というものだった。
かつて夜神総一郎が立ち上げたデスノート対策本部は、デスノートに精通した三島(東出昌大)が対策に当たっていた。
そんな折、ロシア、ウォール街、そして渋谷でデスノートによる大量殺人が行われる。デスノート対策本部には、Lの後継者、竜崎(池松壮亮)が事件解明に加わり、地上には6冊のデスノートが存在することが判明する。6冊のデスノートを全て手にした者が地上を制する。キラ復活を望む者、それを阻止する者たちの究極の争奪戦が始まる・・・。

大場つぐみと小畑健による大人気マンガを実写映画化の続編。
10年の時を経て、再び地上に舞い降りたデスノートをめぐる闘いを描く。

「DEATH NOTE」は、週刊少年ジャンプで掲載され大人気を博したコミックで、10年前に夜神月=藤原竜也、L=松山ケンイチで実写映画化されました。
この実写版もラストはオリジナルとなっていて、それがなかなかに好評だったという印象です。

10年ぶりの正統な続編という位置づけですが、その間に、「L change the WorLd」というLを主人公にしたスピンオフ作品があって、これがまたなかなかのトンデモ映画でして、自分は1周回って楽しく見た記憶があります。

その後、夜神月=窪田正孝、L=山崎賢人でドラマ化もされましたが、こちらのデキも微妙なものでした。
そのドラマ版の最終回で告知されたのが、今回の映画化の件でした。

個人的には、原作は大好きで単行本も全巻持っていますし、実写映画版も前編はちょっとと思っていたら後編のオリジナルの展開にはあっと言わされました。
ドラマ版はちょっとないかな。

本作は興行収入初登場1位を飾り、公開以来不動のトップの位置にいた「君の名は。」を一週とはいえ追い抜いた作品となります。
その後にすぐに抜き返されたけど。
内容については、賛否両論・・・と書かれているのですが、あまり賛の意見を見た気がしません。
自分も圧倒的に否の立場となっています。
とりわけ原作ファンとしては看過しにくい点が多数見られましたので、以下に書いていきたいと思います。

注!ここから先、ネタバレを含みます。本作、および2006年の実写映画版のネタバレも入っていますので、ご注意ください。


10年前に地上に落とされたデスノートによって、多くの死者が送り込まれたことに気を良くした死神大王は、死神たちにキラの後継者を探すように言いつける。見事見つけたものには死神大王のあとを継がせると。これによって、6冊のデスノートを地上にもたらしました。

ちょいちょい!
冒頭の設定から思いっきり雑すぎる!
デスノートはリュークが死神大王を騙してもう1冊掠め取っていただけで、そんなにポンポンばらまかれるものではないはず。
しかも「人間って、おもしれー!」って思ってるのはリュークの個人的な感想で、死神全体がそんなこと思ってはいなかったはず。
というわけで、てきとうな説明でいきなり地上に6冊のデスノートが舞い降りることとなりました(先行き不安)。

渋谷。
深々とフードをかぶった少女・青井さくら(川栄李奈)は何者かに、「キラより面白いものを魅せてあげる」と言って、雑踏の人々の名前を次々とノートに書き、書かれたものは死んでいきます。
その報にかけつけたのは三島率いるデスノート対策本部。しかしデスノートの使用者に対する発砲が許可されていないところへさっそうと現れた仮面の男がこの少女に向けて発砲。彼女の凶行を止めることに成功します。
彼女が持っていたデスノートは無事に入手したものの、麻酔銃で発砲したにも関わらず彼女は心臓麻痺で死んでいました。

デスノート対策本部の面々がデスノートに触れると姿を見せたのは、ベポ(声:松坂桃李)という死神でした。このベポから、地上に6冊のデスノートがもたらされたこと、そして地上で効力を発揮できるデスノートは6冊のみで7冊目以降のデスノートは効力をなさないことを教えられます。

ということは・・・6冊全部集めて、それをどこかに封印しておけば、7冊目以降を誰かが入手しても問題ない、これで勝つる!!!

若干脳天気な考え方にも思えましたが、このルールが事実ならば仕方がないですね。

ちなみにデスノート対策本部は、デスノートによって殺されないようにするためお互いに本名は知らず、警察にも記録はなく、かつ家族などを人質にとられないようにするために、身寄りのない人で構成されています。なんか、切ない・・・。
あ、ちなみに前作から出ている松田刑事だけはなぜか本名です。

青井の事件により他にもデスノートを持っている者がいると確信した三島たちだったが、突如として、世界中のネット回線がジャックされ、あらゆるパソコン、テレビ、スマートフォンに、キラ夜神月の映像が映し出される。
首謀者はかつて夜神月の恋人で第2のキラと言われた弥海砂(戸田恵梨香)ではないかとも考えたが、デスノートを放棄してから記憶を失っている彼女にはいまだに警察がマークしているものの目立った動きはありませんでした。

海砂が仕事を終えて楽屋に入ると、どこからか夜神月の声が聞こえてきます。
その声の音源をたどると・・・

ポテチの中でした。

これは原作にもあった有名なシーンで、Lやデスノート対策本部の監視下に置かれた夜神月がその状態において犯罪者に裁きを下す手段として、勉強しているふりをしつつ、ポテチの中に隠した液晶テレビでニュースを見て、そこで報道された犯罪者の名前をノートに書く、というシーンから来ているのでしょう。ちなみにどちらかと言うと、こちらのコラ画像の方が有名になったきらいはありますけどね。
POTECHI.jpg

確かに原作ファンを楽しませるつもりで考えたんでしょうが、でもね、このシーンは夜神月とリュークしか知らないはずなので、海砂がピンとくるわけないんですよね・・・。

メッセージの送り主は紫苑(菅田将暉)という男で、世界的なサイバーテロリストで、キラに心酔しており、先のネットジャックも彼の仕業でした。海砂にプレゼントとして渡したのは、1冊のデスノートでした。そのデスノートに触れた海砂は、全ての記憶が蘇り、目の前に現れたリュークとも再会をします。紫苑はキラからメッセージを受け取っており、全てのデスノートを集めて"約束の場所"へ行くとキラに会えるのだと伝えてきます。

ちなみに警察の完全監視下にあるはずの海砂に、紫苑がなぜ簡単に接触できているのかというと、紫苑は天才ハッカーなので、監視カメラの映像を別のものにすり替えていたからなのだ!海砂との接触後に監視カメラに向けて携帯(リモコン?)ピッってやって元通り!
さすが!天才ハッカー!

竜崎は家に帰ると、そこにはアーマ(声:沢城みゆき)という死神がいました。実は竜崎もデスノートを1冊所有しており、彼女はその死神だったのです。他のデスノート所有者に知られないように、彼は家を出るたびにノートの所有権を放棄し、帰ってくると再び所有権を得るという念の入れようでした。
ちなみにリュークはリンゴが好物ですが、アーマはマスカットが好物となっています。

紫苑は、最後のデスノートを手にするべく、その持ち主だった最高裁判事の御厨(船越英一郎)の元に行き、デスノートを見せます。
「宅配便の配達員(紫苑の変装)に所有しているデスノートを渡し、代わりにナイフを受取り、デスノート対策本部を訪れ、そこでそのナイフで自殺する」と書かれていました。
デスノートに書かれたことは絶対なので、御厨は死に、こうして3冊のデスノートが紫苑の元へと渡ります。

ちなみに残り2冊のうち1冊はオープニングにも出てきていたロシアの医師が持っていて、治る見込みのない患者や自殺志願者を安楽死させるのに使っていました。もう1冊はウォール街の投資家が自分の所有している株の株価をコントロールするために使っていました。ちなみにこの投資家はダイジェスト的に出てくるだけでおしまいです。

そんな竜崎や警察の元に、紫苑から再びキラのメッセージが送られてきます。竜崎を生放送のニュース番組に出演させないと無差別殺人を行うと。竜崎はLのCG動画でその場をやり過ごし、紫苑とコンタクトを試みます。
紫苑と通信中に相手の発信源を特定できたので、三島らを現場に急行させます。しかしそこはもぬけの殻で、松田が入っていた部屋で発見したのは、「松田が笑顔で自殺する」と書かれたデスノートの切れ端でした。

松田の死の責任を取らされる形で、デスノート対策本部は解散を命じられてしまいます。デスノートで人が死んだのに、その対策本部が解散というのはなかなかスゴイ展開だと思いますが、要は警察の上層部たちが自分の本名を知られているので、デスノートで殺されるのを恐れたということでした。保身!
ちなみになんで知られているかというと、紫苑が天才ハッカーだから!
(先ほどばらまかれたキラメッセージが、それがウィルスで情報をぶっこ抜かれた模様です。)

三島は竜崎が用意したLのCG動画に何かを感じ、何らかの解析をした結果、自分(竜崎)もデスノートを持っている、という暗号メッセージが含まれていることに気がつきます。
あんたもなかなかのハッカーだよ。
そして竜崎の家に行くと、その事実を確認します。

竜崎の家を出た三島はそのまま警察に捕まってしまいます。
三島はかつて海砂を弁護した魅上という男の捜査をしていたのですが、そのときの情報を隠匿しているとの疑いでした。
そのまま牢屋に入れられた三島を助けたのは竜崎でした。
彼は、三島に警察が保管しているデスノート(青井が所有していたものでベポがついてるやつ)を持ってくるように指示します。
竜崎と紫苑はお互いの所有するデスノートを持参し、いよいよ直接対峙することとなりました。

竜崎は紫苑との集合場所にバイクで向かいます。そして対策本部のメンバーも竜崎の元へと向かいます。三島は逃亡者扱いになっているので、そのまま本部で指示を出します。
・・・っていうか三島が牢屋からいなくなっていてなぜ外部ばかり探して対策本部を探しにこないのかは謎です。

竜崎と紫苑は、まずお互いの持っているデスノートが本物かどうかを確認することを約束します。
その方法は、デスノートの切れ端を、それぞれ別々の指定場所(コインロッカーやベンチの下など)に置き、それに触れることで死神を見ることができるようになるから、本物だと分かる・・・ということなんですが・・・

切れ端!

それじゃあ本体持ってきてなくてもバレないよね?

しかも基本は死神は所有者についてるから切れ端触った途端に相手の死神は見れませんよ!
夜神月が海砂と始めたあったときは、お互いがいる場所でデスノートに触ったから見れるんですよ。

ちなみに竜崎は直接自分が現場に行っていますが、紫苑は浮浪者風の人を雇い指示通り触らせ、(おそらく死神を見て)驚いている映像から、本物と判断しています。

まあともかくてきとうなデスノート照会が終了したので、いよいよ竜崎と紫苑が対峙することに。
しかし、そこに現れたのは海砂でした。
海砂は死神の目を持っていて、それで竜崎の本名を見抜き、そのまま持っていたデスノートに名前を書いてしまいました。
倒れる竜崎、あわててその場に駆けつけた対策本部の2人でしたが、あわてすぎて顔も隠さず近づいてきたのであっさり海砂に名前を書かれてさようなら。

海砂は紫苑に"約束の場所"を伝え、自分が持っていたデスノートも渡します。こうして6冊のデスノートは全て紫苑の元に行くことになります。
状況を確認しようとする三島ですが、竜崎や他の対策本部のメンバーと突如、通信が途絶えてしまいます。

なんでだと思う?

そうだね~、せーの!

紫苑は天才ハッカーだから!

はい、正解!
天才ハッカーの手にかかれば電波の妨害なんて余裕ですからね。

海砂は持っていたデスノートの切れ端に自分の名前を書いて自殺してしまいます。この時、「夜神月の腕に抱かれながら」と書いたのはちょっとキュンとしてしまいますが、この一連の行動はちょっと不可解でしたね。
前作から推測すると、Lを一度は死神の目で見ていたので名前を書いていれば殺せていたのにそれができず、結果的にLによって夜神月=キラということが暴かれ、そのせいで死んでしまっていることになるので、Lの後継者である竜崎を憎んでいる可能性はなきにしもあらずなんですけどね。
竜崎もLの後継者なら海砂をもっとマークしてもいいのに。Lなら絶対そうしているはず。

ちなみに海砂が、「もし月が生きているならデスノートに書いて実行すれば会えるはず」と一縷の望みを持って命がけで名前を書いた、と考えられなくもないですが、デスノートは他人の行動は基本的には操れないし、物理的に不可能な事象(たとえば海外にいる人が1分後に日本で死ぬ、とか)を書いた場合は、単なる心臓麻痺となるため、これ書いても生死の確認にはならないんですよね。
もっと前に書いてたら良かったのに。

さて、紫苑は"約束の場所"へとやってきました。
そこは山の上にある廃ホテルでした。
ちなみにここは原作にも前作にも一切出てきていません。

いよいよキラと遭遇するのを目前に、紫苑はリュークに言います。
「死神の目の取引をしたい。」

夜神月が死んだことが明らかになった今、キラはもういないのだから、キラの後継者を殺すことにしたらしい。

・・・なんで?

先ほどの海砂の行動原理も不可解でしたが、紫苑はもっとブレブレですね。

そこに現れたのは、キラではなく竜崎でした。
竜崎になぜ"約束の場所"がわかったのかは不明です。
死神の目で竜崎の本名を見て、すかさずノートに書き込む紫苑。
しかし竜崎は死にませんでした。

竜崎「そのノートはニセ物だ!」
紫苑「なん・・・だと・・・?」
竜崎「いや、そのノートは本物だがオレにはきかない」
観客「?」

そもそも海砂がデスノートに書いた時点で死んでいないので、なにかあることは明白なのですが、竜崎が見え透いた嘘をついた理由はわかりませんが、ともかく!
竜崎は本物のデスノートに名前を書かれたにも関わらず死にませんでした。

なぜか?

それは、紫苑が書いたよりも、海砂が書いたよりも以前に、何者かによってデスノートに名前を書かれているから!

はい、同じ!

これ、同じ!


10年前の実写映画版の後編、「DEATH NOTE デスノート the Last name」のLと同じですね。
Lは事前に自分で自分の本名をデスノートに書いておいたことでキラに名前をかかれても死ぬことなく、夜神月がキラであることを証明して見せたのですが、まさかのモロパクリ!
もう、オマージュとかそんなレベルじゃなくモロパクリが出ましたよ!(唖然)

では、誰が竜崎の本名をデスノートに書いていたのか?

そこに現れたのは三島でした。
三島になぜ"約束の場所"がわかったのかは不明です。
三島は、海砂の裁判後、アメリカで秘密裏に誕生していたキラの子(9歳)の後見人をしていた魅上をマークしていたのですが、キラの子がデスノートになんか落書きしちゃうは、魅上もなんかおかしくなっちゃうわで混乱していたので、それを目撃した三島は魅上を銃殺し、そのままデスノートの新しい所有者となり、新生キラとなります。

そしてキラの思想を再び広めるため紫苑にコンタクトを取ります。
竜崎がデスノート対策本部に現れると、三島は竜崎の本名をデスノートに書き記し、なぜかだいぶ猶予を持って死に至らしめるようにします。
そしてそのままデスノートの所有権を放棄し、この一連の記憶を失っていたのでした。

ということを竜崎が説明してくれるのですが、なぜ竜崎がこのことを知り得たのかは一切不明です。
世界的名探偵だから?

呆然とする三島を、スキを突いて紫苑は腕時計に隠していたデスノートの切れ端に三島の本名を書こうとします(これは原作では夜神月がそのときデスノートを所有していたヨツバの火口を殺す時の方法でした。実写版ではありましたっけ?高田を殺す時に使ったかな?)。

しかし、その時!

窓の外から強烈なスポットライトが!

そして、一斉掃射!!!

SATのヘリによる一斉掃射が始まります!
紫苑はともかく、竜崎や三島も同じ場所にいるのに!
(この時点で警察は三島=新キラだと知らないはず)

続いて潜入してくるSATは死神の目でも名前をさとられないようにフェイスマスクをしていました。
ちなみに本作では何度かデスノート、死神の目の所持者と対峙するシーンがありますが、いつも顔を半分手で覆うという中途半端な防御方法を取っています。
紫苑は彼らを殺すべく、リュークにSATのマスクを外すように命令します。ちなみにこれも原作ではメロにデスノートを持たれていたシドウという死神が、デスノートを返してもらうためにメロに命令されて同じことをしています。

リュークがマスクを外したSATのメンバーを次々とノートに書いては死に追いやっていましたが、いかんせんSATの人数が多く間に合いません。
それに対して、竜崎が、

「ノートが銃に勝てるわけねえだろ!」

と、この映画史上もっともなことを言います。

結局紫苑はそのまま蜂の巣にされて死亡。

竜崎と三島はちゃっかりデスノートを全部回収して逃亡します。
秘密のトンネル的なところを逃げていると、そこに現れたのは、デスノート対策本部の生き残り、七瀬(藤井美菜)でした。
七瀬は、竜崎と三島に「ICPOはもう手を引きました。だから大丈夫です。」と本当か?と疑いたくなるようなセリフを吐いたと思ったら、突然三島に銃を向けます。

「わたしの本名は白戸彩香よ!」(注:SoftBankは無関係です)

「わたしの兄はキラに殺されたの。そりゃ確かに犯罪は犯したけれど、わたしにとっては唯一の肉親だったのに・・・」

親戚に犯罪者がいる場合警察には入れないと思うのですが、それはともかくキラに恨みを持っていたということで、三島に銃を向けます。
この時点でなぜ七瀬こと白戸が三島=キラだと知っているのかは不明です。

三島が撃たれそうになったその瞬間。
七瀬は絶命します。
なんと竜崎についていた死神アーマが七瀬の名前を自分の持っているデスノートに書いたのでした。
それにより消滅してしまうアーマ。
悲しみに暮れる竜崎。
この2人はお互いが孤独な存在と言いながらも認めあっており、2人の絆もあいまって感動的なシーンです。
本作で良かったところをあげるとこのシーンと答える人も多いのではないでしょうか?

が、しかし!

死神が死んでしまうのは、自分が好意を寄せている相手の寿命を故意に延ばす目的でデスノートを使用した時となっています。
原作では、海砂に最初に思いを寄せていた死神ジュラスが海砂をストーカーから救うためにこのストーカーの名前を書いてしまい、ジュラスはそのまま消滅してしまいます(このジュラスのノートが死神レムによって海砂に託されることとなります)。
レムもまた海砂を助けるためにノートを使用したことで消滅してしまいます。
この条件は原作でもしっかりと説明されており、レムが夜神月を助けるためにデスノートを使ったとしても、夜神月自身には特に好意を抱いていないため問題ないと言っています。

本作でも、竜崎を助けるため、なら分かるのですが、三島を助けるためにノートを使用してもアーマが消滅することにはなりません。これは原作と矛盾してしまいます。
それでは、七瀬が竜崎をも殺してしまう可能性もあったとは考えられないでしょうか?これも無理です。
なぜなら、竜崎はすでにデスノートに名前をかかれているので、いかなる手段を持ってでも寿命を延ばすことはできないし、逆にこの時点で死ぬこともないのです。
とても良いシーンではあるのですが、デスノートのルールからは逸脱したシーンなのが残念でした。

なんとか生き延びた竜崎と三島ですが、三島はそのまま投獄されます。そこに面会に来たのは竜崎。
デスノートに書かれた死の期限が迫る中、三島にデスノートの行方を告げます。

「6冊のデスノートは世界的に中立の立場と言えるワイミーズハウス(Lやニア、メロが育った施設でLの助手兼執事だったワタリが運営していた)に移送中、テロリストに襲われて、4冊は燃え、残りの2冊は奪われてしまった。」

工エエェェ(´д`)ェェエエ工

なんとも雑な展開で再び世の中に出回ってしまうこととなったデスノート。竜崎は超法規的措置により、三島と入れ替わり、自分が三島としてここで死ぬから、お前は竜崎としてデスノートを追ってくれと言い残します。

まさか、これ続編作るの???

と疑心暗鬼になった自分を含めた観客に向けて、夜神月がこう言い放ちます。

「・・・計画通りだ。」


というわけで、以上、ネタバレを大量に含んだレビューでした。

でもまだまだ言い足りないから、何が良くなかったかをまとめていくよ!

1. これまでのルールが守られていない。

デスノートは、「このノートに名前を書かれたものは死ぬ。」の基本ルールにはじまり、いくつかのルールがあります。
今回は争奪戦にするために「7冊目以降は効果がありません。」を追加したことには目を瞑るにしても、これまでのルールがないがしろにされている印象でした。

例えば、最初の青井の無差別殺人のところでは、名前を書かれた人が次々と即死しています。
紫苑がSATを倒す際も、あらかじめ「即死」とだけ大量に書き込んでいたページに次々と名前を書きます。
まず、即死が死因となるのか、という問題です。
即死というのは、事故だったり自殺だったり銃で撃たれたりナイフで刺されたり、といった何らかの外的な原因によってきわめて短い時間で死に至ることなので、それ自体が死因ではないんです。
物理的に実現不可能な死因を書くと全て心臓麻痺になります。そして死因を書くまでの猶予が40秒あるので、この40秒間は死なないのです。
原作でもこの40秒の猶予の間に数々のドラマや緊張感が生まれているのに、本作ではそれがなくなってしまっています。
他にもアーマの消滅も本作の行為では起こりえませんし、映画制作サイドがデスノートのルールを理解しきれていないような印象を受けました。
「DEATH NOTE デスノート the Last name」が好評だった要因の1つとして、このデスノートのルールに則りつつ、しかも原作にはない方法でLが夜神月=キラを証明してみせたというのがあったと思うのですが、今回はその2番煎じに甘んじてしまったのが残念です。

2. 頭脳戦が一切ない。

デスノートといえば、キラ vs Lの頭脳戦が見どころでした。
デスノートによる殺人は通常の法律で裁くことのできないいわば完全犯罪ともなるため、そこを巧みに利用していたのがキラでしたが、Lは死刑囚を犠牲にすることで、キラが人を殺すためには顔と名前がわかっていることが必要というのを突き止めます。それ以降もお互いの頭脳戦が続いていくのが魅力でした。
しかし、本作にはそれが全くありませんでした。
三島は天才設定がないのかもしれませんが、竜崎は盗聴で紫苑の居場所を突き止めると無策に対策本部のメンバーを突入させますし、紫苑との直接対決の時も自ら乗り込んでいっています。

竜崎は家を出るたびに毎回デスノートの所有権を放棄し、帰ってきてからデスノートの所有権を取り戻すということをしています。
これは死神の目を持つデスノート所有者に自分もデスノートを持っていることを悟られないようにするための工夫です。
じゃあ、デスノートの記憶なくしているんだから家に隠してあっても気が付かないんじゃ?アーマが見えないんじゃ?と思うかもしれませんが、竜崎は家の電気のスイッチのところにデスノートの切れ端を貼っているのです(ハート型っぽい紙です)。毎回、スイッチを押すときに一瞬躊躇しているのは、貼ったことを覚えていないからですが、そこを押すたびに記憶が蘇り、アーマも見えるようになっています。
ここだけは竜崎は賢い&用心深いと思いましたけどね。ただ映画ではあまりフィーチャーされてないので気がつきづらいとは思いますけど。

紫苑も竜崎をテレビに出演させようとした時に死神の目がなかったらそもそも本名かどうかは判明しませんし、その後あっさりと竜崎を呼び出すことに成功しているのだから、その時に死神の目があればすぐに殺すこともできたのになぜかそれをしません。
御厨からデスノートを奪うときは、自分が書いたデスノートを自ら宅配便を装って本人に直接届けています。
ここで、「御厨のデスノートを受取り、かわりに自分の持っていたナイフを渡す」ということをするのですが、御厨は最終的に自殺するとデスノートに書かれてしまったので助かるすべはありませんが、渡されたナイフで紫苑を刺すことはデスノートに書かれた内容を反故にするものではないので可能なのです。

3. ハッカー万能説

本作でも紫苑が天才的なサイバーテロリストとして登場してきますが、あまりにもなんでもできすぎですね。
警視庁のサーバーにあっさり侵入したのを皮切りに、全世界のネットは愚か、スマートフォンにまでキラウィルスをばらまいたり、監視カメラをリモコンピッで別映像にすり替えたり、もうやりたい放題でした。
ハッカーとかサイコパスとか出して、なんでもできるチート設定にするのはもうやめませんかね?

4. 制作サイドは原作を読んでいるのか?

上記の1~3全てに該当するともいえますが、どうも原作の映画的に映えそうな部分だけをピックアップしている印象が強いんですよね。
あのポテチのシーンもそうだし、ちょいちょい原作のオマージュ感のあることだけ盛り込んでいるように見えます。
魅上も10年前の実写映画版には登場しておらず、本作では海砂の弁護士&夜神月の隠し子の後見人ということになっています。
魅上もキラに心酔している人物なら、被告サイドに立つ弁護士になっているのには違和感がありました。まあ検事だと御厨とかぶってしまうからかもしれませんけどね。
それでいて肝心の部分が抜けている印象で、原作を流し読みした程度で映画化したのかと疑ってしまいます。
少なくとも「デスノート」のファンというのがあまりいない気がしますね。


良かった点・・・。

ん~~(ひねり出し中)


渋谷(撮影自体は神戸ですが)の無差別殺人のシーン、そして終盤のヘリの一斉掃射に始まるアクションシーンはなかなかに見応えがあります。このあたりは今年「アイアムアヒーロー」でも好評だった佐藤信介監督のおかげかもしれません。

それからアーマのキャラクターですね。
声優の沢城みゆきさんが担当しているのですが、これがなんとも魅力的なのです。
最近だと「ペット」で大活躍するギジェット役も記憶に新しいですが、あのときは元気モリモリの猪突猛進キャラだったのが今回は落ち着いた大人の女性風キャラと、タイプの違う役どころをこなしているのが素晴らしいです。

とまあなかなか酷評してしまったかもしれませんが、デスノートの大ファンからするとちょっと納得の行かないデキというのが素直な感想でした。逆に言えば、あまりデスノートに興味がなかった人が見たら案外受けの良い作品となっているかもしれません。
ただ、上記のネタバレのところで、とにかく"不明です"と書き続けたように、いろいろ説明不足な点は多いですし、自分は原作を熟知しているので流せた部分(たとえば、アーマが消滅した時に死神の死のルールについて知らないと全く理解できないけど、特に説明はない、とか)もありますので、最低限の知識はあった方がいいかもしれませんね。

10年ぶりの新作とはいえ、正直、期待より不安が大きかったのですが、それが的中した形となってしまいました。
とにかく今年は人気コミック原作モノが明暗を分けている気がします。

「何者」から考える就職進路決定の自己効力感



「何者」では5人の若者を中心に、就職活動に臨む姿を描いていましたが、ようやく不況という言葉やイメージが下火になってきたとは言え、大学生においても内定を全くもらえないという人もたくさんいる状況です。

本作でも就職活動の状況は明暗分かれることになるわけですが、それでは、就職活動における意識や姿勢がどのように影響しているのでしょうか?

自分が何かをする時、その行動が自分にできるかどうかという効力期待と、自分がそれを達成した時に生じる結果期待とによって、その行動や課題を遂行するための可能性が決定されます。この可能性についての認知のことを、自己効力感と呼んでいます。

例えば、サッカーをやっている人がメッシやクリスティアーノ・ロナウドのプレー動画を見ても自分で真似できるとは思わないかもしれませんが、ちょっと上手い先輩のプレイならば自分でも真似できると思うかもしれません。
前者は効力期待が低い場面で後者は高い場面ということになります。
そして、そのプレーが自分でもできるようになったとしても、それがチームのために役に立たないと思ってしまったら、結果期待が低くなり、その行動(のための練習)をしようとしなくなります。自分がこのプレーを身につけることで、チームにこれだけ貢献できるんだとイメージすることで、結果期待も高くなり、その行動に対する意欲が高まるのです。

この自己効力感の考え方は、就職活動においても見られ、それを調査したのが、以下の研究です。

古市(1995)では、進路決定効力感測定尺度を作成しています。
それが、以下の項目になります(*印は逆転項目)。

回答方法は、
5:よくあてはまる
4:少しあてはまる
3:どちらともいえない
2:あまりあてはまらない
1:全くあてはまらない
の5件法です。

逆転項目については、評価を逆転(5ならば1、4ならば2というように)させてください。

(自己適性評価)
1. 自分の適性や能力を正確に把握している。
2. 自分の興味にあった職業分野をいくつかあげることができる。
3. 能力や適性を活かせる職業分野をいくつかあげることができる。
4. 自分はどのような職業分野に向いているか、よくわからない。(*)
5. 職業選択の際,何を重視して職業を選びたいかが明確である。
6. 自分の理想や価値観にふさわしい職業分野が明確になっている。
7. 将来、どのような人生を送りたいかが、ほぼ明確になっている。
8. 自分の性格や興味を正確に理解している。

(計画立案)
9. 将来の職業を念頭において授業の履修計画を立てる自信がある。
10. 志望職業の実現に向けての計画立案と実行への自信がある。
11. いまの学部や専攻は将来の志望職業を踏まえ、計画的に選択した。
12. 資格・免許の取得のための計画を立て,実行する自信がある。
13. 就職活動の計画を念入りに立てる自信がある。
14. 人生の目標を明らかにし,それに従って職業計画を立てる自信がある。
15. 無計画ないきあたりばったりの職業選択をしてしまう気がする。(*)
16. 自分の学部・学科に合った就職先はどのようなものか、よく理解している。
17. 志望職業に関する情報を入手するため積極的に活動する自信がある。

(職業情報収集)
18. 志望職業に就くための計画をいかに立てたらよいかわからない。(*)
19. 職業の内容、資格・免許などについて調べる方法を知らない。(*)
20. 正直いって、職業についてはあまりよく知らない。(*)
21. 従事したい職業に関する情報の入手方法がよくわからない。(*)
22. 多様な職業の職務内容や必要な資格・免許について理解している。
23. 将来、従事したい諸職業の具体的な内容をよく理解している。
24. 現在の日本の求人動向をよく理解している。

(困難解決)
25. 仕事で困難な問題が生じても、なんとか対処していく自信がある。
26. 志望職業に親や兄弟が反対しても,説得して理解を得る自信がある。
27. 希望職業に就くためには,試験に失敗しても粘り強く頑張る自信がある。
28. 仕事に不満でも転職してうまくやる自信がないので仕事を続ける。(*)
29. 就きたい職業に就けるのであれば,少々の苦労でも我慢する自信がある。
30. 希望していた職業に就くのが困難なら,すぐに諦めて別の職業へ希望を変える。(*)
31. 親や教師が勧める職業でも自分に合わないと思えばはっきり拒否する。
32. 転職しても、その後なんとかうまくやっていく自信がある。

せっかくなので、わたしが独断で、「何者」の5人について進路決定効力感測定尺度を使って、就職活動における自己効力感を測定してみたいと思います。

その結果がこちら!

拓人(佐藤健)
自己適性評価:23
計画立案:31
職業情報収集:34
困難解決:22

拓人は、就職活動に向けての準備に怠りなく、多くの情報を集めて挑んでいるので、職業情報収集の得点は5人の中で最も高くなっています。
しかし、その能力と自身の分析的視点を過信してしまっているのか、実際に自分の適性を見抜く能力はそこまでではなく、困難な場面における対処や実行力に乏しいかもしれません。

瑞月(有村架純)
自己適性評価:33
計画立案:37
職業情報収集:27
困難解決:29

瑞月は5人の中で最もバランスが良いタイプ。
自分の将来のために何が必要かを考え、そのための努力を惜しまずに行動しています。自分の能力や適性、状況を考えた就職活動ができるでしょう。

理香(二階堂ふみ)
自己適性評価:34
計画立案:40
職業情報収集:32
困難解決:26

理香は計画重視タイプ。目標を設定しそれに向かって何をするべきかを考慮し行動に移していけます。ただ、それが自己評価を過大に高く見積もることにもつながってしまい、思うように他者からの評価が得られないとどうしてよいかわからなく思い悩んでしまうタイプとも言えます。

光太郎(菅田将暉)
自己適性評価:16
計画立案:10
職業情報収集:9
困難解決:38

光太郎は無計画行動主義タイプ。事前にしっかりと準備をしたり、必要な情報を集めたりするのが苦手で、とにかく行動があるのみです。
ただ実行力はあるし、少々の失敗ではへこたれないメンタルの持ち主で、目標が決まればそこに向かって突き進むことができるでしょう。

隆良(岡田将生)
自己適性評価:38
計画立案:32
職業情報収集:18
困難解決:28

隆良は自己陶酔タイプ。とにかく自分の能力や才能に対する評価が高く、現状のシステムや規範に則った行動の枠に縛られたくないため、独自の路線を行きたがる傾向があります。ただ、それがうまく他者から評価されないと、一転して現実逃避に走ってしまうタイプでもあり、大成するか、失脚するかの両極端な結果になりそう。

とまあ、こんな感じでしょうか?
映画を見てからの評価なので多少キャラのイメージにシフトした回答になりましたが、言い得て妙というかタイプがキレイに分かれているのが特徴ですね。

彼らの就職活動はどうなるのか?
それはぜひ劇場でご鑑賞を!(^O^)/

[引用]
古市裕一(1995). 青年の職業忌避的傾向とその関連要因についての検討. 進路指導研究 : 日本進路指導学会研究紀要, 16, 16-22.

「何者」感想。


(公式HPより引用)

[story]
大学の演劇サークルに情熱を注いでいた拓人(佐藤健)だったが、今は就職活動一本に絞り、周囲を冷静に観察、分析しながら活動を続けていた。一方、拓人のルームメイトの光太郎(菅田将暉)は就職活動そっちのけでバンド活動に勤しんでいた。そんな折、光太郎の元カノで海外留学をしていた瑞月(有村架純)も日本に帰ってきて就職活動を開始することとなる。さらには、瑞月の友人でたまたま拓人たちのマンションの別の階に住んでいた理香(二階堂ふみ)と、その彼氏の隆良(岡田将生)ととも顔見知りになり、理香の部屋を"就活対策本部"として、情報交換のために定期的に集まるようになるのだが・・・。

「桐島、部活やめるってよ」の原作朝井リョウが直木賞を受賞した同名小説の映画化。
監督は「ボーイズ・オン・ザ・ラン」「愛の渦」の三浦大輔。

本作のテーマはズバリ!就職活動!
ということで、ほとんどの人が人生に一度は経験しているであろう辛くも苦い一時の映画化ということで、自分自身がどのような就職活動をしてきたか、またはしているかによって全く見方が変わる作品なのではないかという気がします。

自分の就職活動の記憶といえば、リクナビに登録、説明会に参加、「みんなの就職活動日記」(通称:みん就)で意見交換、ってな感じでした。
リクナビと説明会は今も同様でしょうが、みんなの就職活動日記はさすがにないかと思ったら今もあるんですね!しかもいつの間にか楽天が運営している!(;・∀・)

しかし今や完全にSNSの時代になっているので、情報共有や意見交換なんかもSNSが主流になってきているのでしょう。
本作で取り上げられているのがtwitterです。
主人公たち、その中でも特に拓人はことあるごとにtwitterに投稿したり、投稿を読んだりしています。

劇中で、拓人が就職活動の面接をtwitterになぞらえるシーンがあって、面接で「あなたを1分で表現してください。」などと言われるのと、twitterが140文字という制限の中でしか表現が許されていないというところが共通していると"分析"しています。

そんな短い時間で何が分かるの?

とは、おそらく就職活動をしたことがある人で、企業からお祈りメールが送られたことのある人なら誰でも一度は思ったことでしょう。

そういえばtwitterの文字数制限が変更になるみたいなニュースもありましたがそれはどうなったんですかね?
自分もtwitterもやっていますが、個人的にはあの文字数制限があるからこそどのように表現すべきか考えたりすることにもつながっているので、制約はなくしてほしくないと思っているんですけどね。

まあ、でもそこまで常に言いたいことや考えがまとまっているかと言えばそんなことはなくて、文字数制限に収まらないときは・・・

連打しますけどね!

映画の感想ではさすがにtweet乱れ打ちしても全然収まらなくなったので、このブログ初めたんですけどね。

・・・

おっと、映画の話題を離れてしまいましたね。
就職活動の際には、内定をもらう人もいればもらえない人もいるのは当然で、不況が叫ばれ続けている昨今では、20も30もの企業を受けるというのが珍しくなく、そうなれば20も30も落とされる可能性もあるわけで、さすがにそこまで落とされ続けると、自分の存在価値を疑いたくなるという気持ちにもなってしまいます。
自分は何者なんだろう?何者になれるんだろう?そんな思いもこのタイトルからは伝わってきます。

本作に登場する5人の若者たちも、それぞれに葛藤を抱えつつ就職活動に臨むことになるのです。

拓人は、人を観察したり分析したりするのが得意で、冷静に物事を捉え、就職活動にも持ち前の分析力と冷静さを持って望んでいます。

光太郎は、拓人とは対照的に、就職活動そっちのけでバンド活動にのめり込んでいましたが、バンドの解散ライブが終わって、遅ればせながら就職活動をスタートさせます。

就職活動、企業研究などに対する姿勢が端から真逆の2人がなんとも対照的です。

瑞月は留学から帰ってきて就職活動を開始します。
彼女も最初は様々な希望を持って就職活動に望みますが、やがて家族の事情で勤務地、転勤がないといった条件で折り合いをつけるようになります。

瑞月の友人で拓人らと一緒に就活対策本部を作ることとなる美香は、もっとも就職活動に力を入れています。
彼女自身も瑞月と同じように留学経験もあり(その時の楽しかった様子をSNSにあげていた瑞月と違い、彼女はあくまで就職活動に箔をつけるために、といった印象がないでもないですが)、ボランティア活動なども積極的で、いわゆる意識高い系というやつですね。

そして、美香の彼氏で、すでにコラムを書くなどのクリエイターとしての仕事をしていて、その雰囲気をプンプン醸し出している隆良は、既存の就職活動そのものを拒絶しているかのような態度を見せています。

とそれぞれの思いを抱きながら就職活動の時期を過ごすわけですが、本作は彼らの考え方やプライドをこれでもかと打ち砕きます。
もはや滑稽さすら通り越して、痛々しいくらいのレベルです。

終盤、拓人が言っていた就職面接とSNSのより恐ろしい共通性が見えてきます。
それは、ホンネとタテマエの二重構造になっているということ。
就職活動では自分の良いところ、アピールポイントをひたすらにプレゼンするのが必定で、言ってしまえば多少盛ってでも自分をよく見せようという品評会です。
そして実はこれはSNSにも同じことが言えるのです。
いかに自分の良い一面を切り取って演出するか、これはまさに昨今のSNS疲れにもつながっていく一因でもありますが、それがありありと感じられる展開でした。
その果てに現れてくるのがSNSでしか呟けないホンネですね。

本作の終盤に向けての展開にはまさにそういった人の弱さ、カッコ悪さがこれでもかと出てきます。

ただ、それだけでは終わっていないのも素晴らしいところ。
就職活動という荒波にまきこまれて、行き場を失ったかのような人でも、さて、ここからどこ行こうか、と気持ちを切り替えさせてくれる構成にもなっています。

さらに特筆すべきは、同じ朝井リョウ原作にして個人的には邦画史に残る傑作の1つだと思っている先述の「桐島、部活やめるってよ」との共通項ですね。
「桐島~」では、タイトルにもあるように、バレーボール部のエースだったら桐島が部活をやめることに端を発して、様々な人間模様が描かれていくのですが、本作のスゴイところは、この物語のキーパーソンである桐島が一切登場しないことです。
そして本作でも一人のキーパーソンとして、かつて拓人と同じ劇団で活動していながらも、劇団も大学もやめ、一人で新しい劇団を立ち上げて切磋琢磨している烏丸ギンジです。
彼はある時を境に拓人と別の道を行くことになりますが、拓人は絶えず彼の動向を気にしています。
そこには、拓人が自分にはできなかったすべてを捨ててまで演劇にかけようという気持ちを持っていることに対する憧れにも似た嫉妬、それでいて成功してほしくないというしがらみがまとわりついているかのようです。
この烏丸ギンジも(劇団を見にいくシーンはあるのでどこかにいるのでしょうが)明確には画面上には現れません。
不在のキーパーソンを描くことで、登場人物たちを突き放しているかのような目線で捉えている感じになります。
そして、さらにさらに!映画ならではの仕掛けも用意されています。

このあたりのオチはぜひ作品を観て感じてもらいたいと思います。

本作の予告編も今年何度と映画館で観ましたが、極めて秀逸なトレイラーだと思いました。
中田ヤスタカの「NANIMONO (feat. 米津玄師)」にあわせてスピーディーな展開で主人公たちの人間模様を描きつつ、肝心なところは触れていないという。
「君の名は。」の予告編でも同じことを感じていたのですが、やはり映画の予告編はこうあるべきだと思いましたね。

今、就職活動で行き詰まっている人、以外の全ての人にオススメです!
就活中の人は終わってから観ましょうね。リアルタイムだといろいろこう突き刺さるものがありそうなので・・・(;・∀・)
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すぷーとにく0107

Author:すぷーとにく0107
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中の人は、北海道は札幌市在住です。
映画館で年間200本は映画を観ます。
当ブログでは、映画のレビューをしつつ、勉強している心理学ネタでも書いていけたらいいなと思っています。

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