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「哭声 コクソン」感想。


(公式HPより引用)

[story]
韓国、のどかな村谷城(コクソン)で、村人が自分の家族を惨殺する事件が連続して発生する。いずれの事件も犯人は体中を湿疹に覆われ、正気を失った状態で発見された。警察官のジョング(クァク・ドウォン)は、いつの頃からか村の山奥に住みついた日本人(國村隼)が怪しいとにらみ、捜査を進めていく。ある日、ジョングの娘ヒョジン(キム・ファニ)にも、事件の犯人と同じ湿疹が出始め、理解不能な行動をするようになる。ジョングの家族は娘を救おうと、祈祷師のイルグァン(ファン・ジョンミン)を呼び寄せるのだが・・・。

「チェイサー」「哀しき獣」のナ・ホンジン監督が、韓国の田舎の村を舞台に、不可解な殺人事件を機に巻き起こる戦慄のサスペンス・スリラー。

ナ・ホンジン監督作は、上記の2本しか知らないな~、「チェイサー」しか見てないな~、と思っていたら、なんと本作は長編3本目だったということで、そりゃ知らないはずですよね。
ただ、そのデビュー作「チェイサー」から韓国映画界のサスペンス作品としては不動の評価を得ているのだからたいしたものです。

冒頭、上記のstoryにも書いたように、のどかな村で凄惨な殺人事件が発生するというサスペンスの様相で物語はスタートします。
実行犯はいずれもその家族で、不仲だったなどの動機もなく、また逃亡するでもなく同じ現場で放心状態になっているのを発見されています。そしていずれも体中に謎の湿疹が浮かんでいる状態でした。

この異常な事件が起こりだした頃と時を同じくして、この村の山奥に謎の日本人が住みついたということを聞いた警察官のジョングは、この日本人が関わっていると考え捜査を開始する・・・。

このようなサスペンスタッチの物語は中盤以降、よりオカルトな内容へとシフトチェンジしていきます。
ジョングの娘も、くだんの連続惨殺事件の容疑者と同様に、湿疹が出るようになったのです。
人智を超えたものの仕業ではないのか、それは果たして神か悪魔か、そんな疑惑がジョングや村の人々の間に広まっていくさまは、まさに集団パニックといった状況です。

という極めて異色な作品なのですが、本作はその後の解釈が明示されていないこともあり、観終わった後でも様々な意見がやりとりされている作品でもあります。
自分も(「トリプルX」とか「ひるなかの流星」とかも好きだけど)こういう色々考えさせられる系の映画も大好きなので、以下、自分なりの解釈を書いていきたいと思います。
ネタバレも含まれますので、ぜひ映画をご鑑賞後にお読みください。


「謎の日本人=神、白衣の女性=神の使い、祈祷師=扇動者」説

國村隼扮する謎の日本人は一体何者なのか?というのがまず本作を読み解く上で重要になってきます。
本作は、監督のナ・ホンジンがクリスチャンでもありますし、冒頭にルカの福音の一節「わたしの手と足に触れてみなさい」という引用が出てくるところからも、キリスト教的世界観で描かれていることが分かります。
この日本人も、終盤にジョングの運転する車に轢かれて死亡したような描写がありながら、その後でまた蘇っているというのは、まさにキリストの復活を表現していますし、体には聖痕のようなものもあります。
そして何より、上記の福音の一節を話すシーンもあるのです。

ただ、そうすると終盤に目が赤く光ったり、この村で連続惨殺事件が起こっているのはなぜでしょうか?
それは、神はその存在を信じ、信仰するものにとっては救いとなりますが、それを信じない、疎んじるものからすれば、まさに悪魔ともなる存在なのでしょう。
ジョングをはじめ、村の人々は、この事件の原因をすべてこの日本人であると決めつけ、排除しようとするのは、まさにユダヤ人がキリストを信じることができずに処刑したのと同じ構図になっています。

彼と唯一話ができるのが、神父見習いのイサムであることも、彼が神であることを示しているようで、言葉がわからない=理解できないという表現として、日本人を配したというのも実に巧妙です。
最後の最後でイサムがこの日本人を信じられなかったからこそ、彼の目にもその存在が悪魔として映ってしまったのでしょう。

そして、白い服の女性は序盤の連続惨殺事件の現場にいたり、日本人が車に轢かれた後で蘇った姿を目撃したりと、ちらほら姿を見せていたのですが、最後の最後にジョングの前に現れます。そして、娘を救いたくば「ニワトリが3度なくまで戻ってはならない」とジョングに告げます。
これは「鶏が鳴く前に私を三回知らないと言うだろう」と弟子のペドロに言っていたのと同様で、そう考えるとこの女性もやはり神のサイドということになります。
日本人が蘇るところを目撃していることから、マグダラのマリアのような存在として描かれているのかもしれません。
ジョングは彼女の言いつけを守らずに、ニワトリが3度鳴く前に家に戻ってしまったことで悲劇的な結末を迎えることになるのですが、このことからも彼女が神かその使いであると考えるのは妥当でしょう。

最後に、本作で一番インパクトを残してくれる(!)祈祷師イルグァンですが、彼は基本的には謎の日本人と同じ側にいるようです。
日本人が祭壇に飾っていた死者の写真と同様のものをこの祈祷師も持っていましたしね。
ただ純粋に神の使いというポジションにいるかというとそうではなくて、むしろそれを利用して金儲けするといった俗世間的なところを多分に有している狡猾な人間なのではないでしょうか?
扇動者と書きましたが「PK」のビジネス化した宗教家たちのようなタイプですね。
ジョングの娘のお祓いをお願いしたときには、家にあった壺の中からカラスの死骸が出てきますが、このあたりの演出っぽさが、まさに恐怖を煽って信仰を強要する扇動者のような雰囲気を感じました。

祈祷のシーンでは、日本人が同じく祈祷をしているのとオーバーラップして描かれているのですが、ここがミスリードを導く要因となっていて、あたかも2人が対決しているかのように見えるのです。

ただ純粋に日本人と一緒なのかというと、終盤にこの村から逃げ出そうとしてたり、白い服の女性との対峙で鼻血を流したりゲロを吐いたりするところから考えてもそうではないということでしょう。

この説では、悪魔は不在で、人々の信仰によっては神は悪魔ともなりうるという教訓を描いているとも言えるでしょう。


「謎の日本人=悪魔、白衣の女性=神の使い、祈祷師=日本人の仲間」説

今度は謎の日本人が悪魔であるという説で考えてみます。
この平和な村に災禍をもたらした張本人でもあり、ジョングの娘の靴が彼の家にあったことや、死者の写真を祭壇に祀り、怪しげな儀式をしていたのも、死者を蘇らせるという魔術を執り行っていたとも言えます。
極めつけはラストにイサムがやってくるところで、赤い目が怪しく光っている姿はまさに悪魔そのものです。

ルカの福音書からの引用や聖痕についてはどうなのか?とも思いますが、このあたりは悪魔がフェイクとしてやっている可能性も十分考えられます。
悪魔が登場する映画においても、神の御業を嘲笑するかのような行為は見て取れますし、本作でも同様なのかもしれません。

ジョングの娘がそれまでは嫌いだった魚をむしゃむしゃ食べる描写があるのですが、魚はキリスト教のシンボルともされている存在なので、それを貪るように食べるということは、悪魔に憑依されてしまったかのように受け取ることもできます。

白衣の女性は、こちらの説でもやはり神の側ととらえるべきでしょう。
先程の説とは異なり、日本人とは対極になるわけですが、2人が出ているシーンでは、日本人が(復活した後に)この女性を追いかけているようなシーンがある程度で、具体的な関わりはないのですが、日本人が恐れていたような表情をしているようにもとれました。
彼女が最後のジョングに警告している内容は真実であったし、家の門のところの植物が結界のようなもので、ジョングが約束を破った時に枯れてしまっているということから、彼女は神の側ということでしょう。

祈祷師は日本人=悪魔説で行くと、もっと露骨に日本人の側の存在ということになります。
祈祷のシーンで日本人との対決のようにしているのもやはりミスリードにつながっています。
ジョングの家の植物(上記の結界代わりになっていたもの)に露骨に違和感を持っているところもその証明でしょう。
白い服の女性=聖人とすると、それに近づいたがために鼻血出したりゲロを吐いたりも頷けます。
そのせいで村から逃げ出すのですが、車を運転中に蛾の死骸のようなものが大量に降り注いできます。
それに端を発して、祈祷師は再び村へと舞い戻り、道中でジョングに「日本人も祈祷師で、あの女(白い服の女性)こそが悪魔だから絶対に言うことを聞くな!」と電話してきます。
結果的にはこの言葉は事実ではないにも関わらず、ジョングの家族が悲劇に見舞われてしまうのですが、祈祷師は最後の仕事とばかりにジョングの家族を写真に収め、再びどこかへと車を走らせるのです。


とまあ、どちらの説もそれなりに成り立つような構成になっているのが本作で、ネットのレビューを見ても、それぞれの説が展開されています。

しかし、この、「神か悪魔か」論争に熱が入りすぎて、肝心なことを忘れてしまっているのです。

映画の途中途中に挿入されるニュースでは、キノコを食べた人が幻覚を見たというものが流れているのです。
良くないものを食べる→体に湿疹が現れるなどの症状が出る。
幻覚を見る→錯乱して家族を殺してしまう。
という説明は、実は本作で一番納得のいく説明なのです。

にも関わらず、ジョングを始めとする村の人々は、謎の日本人が怪しい、と睨むや他の可能性を考えずに強引な捜査を進めてしまうのです。
それは、いつしか映画を観ている私たちにも伝染し、やはり日本人が悪魔で全ての元凶だったんだ!いや彼は神だったのに村人が信じきれなかったからこの災いは起こったんだ、という議論に終始してしまうのです。

この入れ子構造によって、絶妙に論点をずらしているのが本作の極めて技巧的な部分だと感じました。

コクソンはタイトルにもなっている哭声と、この村の名前、谷城から来ています。非常にのどかで平和な村という描かれ方がされていて、時折、村の眺望が映し出されるのですが、なんとも美しい光景になっています。そんな村で起きた家族惨殺事件で、実際のシーンでは描かれていませんが、その現場の凄惨さは、普段の村の顔とは正反対です。

警察官のジョングもまた、夫婦の営みを娘に見られてしまったり、殺人事件だと言うのにゆっくりご飯を食べたいたりと、どこかのんびりした印象のキャラですが、その彼が追い詰められ、日本人を犯人と疑い、凶暴な面を見せてくるのです。

のどかさと恐怖、科学と超科学、神と悪魔、そのような対立の構図が本作のそこかしこに描かれている作品だと思います。

本作は信仰の難しさを背景に描いた作品になっていますが、同時期公開で遠藤周作原作マーティン・スコセッシ監督による「沈黙 -サイレンス-」では、信仰とは何かを直接的に問うものでした。
タイトルが、「哭声」と「沈黙」で対になっているのも偶然ではないのかもしれません。
そして、ブラッド・ピット、モーガン・フリーマンが出演した「セブン」も彷彿とさせる作品です。

紛れもなく、今年一番の衝撃作でしょう。
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すぷーとにく0107

Author:すぷーとにく0107
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中の人は、北海道は札幌市在住です。
映画館で年間200本は映画を観ます。
当ブログでは、映画のレビューをしつつ、勉強している心理学ネタでも書いていけたらいいなと思っています。

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