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「秘密 THE TOP SECRET」感想。


(公式HPより引用)

[story]
死んだ人間の脳をスキャンして、その人物が見た映像を再生する“MRI”という新たな捜査手法で迷宮入り事件の解決を目指す特別捜査機関、通称“第九”。新たに第九にやってきた操作官・青木(岡田将生)は、第九の室長・薪(生田斗真)らとともに、MRI捜査に携わることになった。その目的は、家族3人を殺害して有罪となり、死刑が執行された露口浩一(椎名桔平)の脳をスキャンし、今も行方不明となっている長女・絹子(織田梨沙)を見つけ出すためだった。しかしそこに映っていたのは、刃物を振り回す絹子の姿という予想外の映像だった。冤罪の可能性が濃厚となる中、薪たちは当時事件を担当した刑事・眞鍋(大森南朋)を捜査に加え、事件の真相究明に乗り出すのだったが・・・。

清水玲子の同名コミックを、「るろうに剣心」「プラチナデータ」の大友啓史監督が実写映画化したのが本作です。

原作未見の状態での鑑賞だったのですが、ちょうどWebコミックで最初の方の巻は無料で閲覧できるようだったので、さくっと見てみました。

原作における貝沼事件と、露口家で起きた一家3人殺害事件をミックスして作ったのが映画の本筋にあたります。
原作では、これらは別個のストーリーとなっていましたので、映画はある意味オリジナルとも言えます。

その結果、映画全体の筋道が見えづらくなってしまった上に、いろいろと未解決というか放置のまま終わってしまった印象が強いのと、2つのエピソードをつなぎあわせたのにほころびが生じていたというか、展開の合理性を欠いてしまった印象が強いのが残念でした。

というわけで、以下、なぜそのような印象になったのかを書いていきたいと思いますが、ネタバレも含まれると思いますので、未見の方は、ぜひご鑑賞後にお読み下さい。


1. MRIによる捜査の証拠能力

原作では、第九の捜査権はかなり強く、手錠や拳銃の携帯も許可されています。配属されるのもエリート中のエリートばかりです。しかし映画では、手錠や拳銃の携帯はおろか、証拠能力としてすら認めてられない状態です。そのため、映画ではあまり他の部署からもよく思われていない雰囲気が出ていて、煙たがれている様子でした。

貝沼事件におけるMRI捜査によって、捜査官が3名も死んだという点は原作と一緒なので、そこからMRI捜査を禁止している(だけど薪はそれにこだわり続けている)といった設定ならばまだ理解できるのですが、扱いがどうも中途半端だった印象があります。

そもそもMRI調査でスキャンした脳から得られる情報が、記憶としての情報なのか、見ていたものを映像としてとらえることができるのかがわかりませんでした。これは原作でもそうなのですが、すこしぼかされている印象でした。
脳の記憶という観点で言えば、確かに記憶は変容することも考えられるので、それだけで証拠能力としては弱いというのも頷けます。
このあたりは、「スキャナー 記憶のカケラをよむ男」あたりでもそれに惑わされているシーンがありました。

最終的に、露口家の一家殺害事件を解決した(?)ことで、MRI調査が晴れて認められることになるという流れにはなっているのですが、ここに至るまでも多大な犠牲を出している上に、この事件も解決したというか事実はなんとなくわかったが煙に巻かれたという印象の方が強いので、これで正式採用というのも腑に落ちない形でした。

もっと言えば、生きている人にMRI調査をできないのかという問題ですね。倫理的な問題などはともかく、露口浩一は死刑になることが確定しているのですから、可能ならば生前にMRI調査すべきではと思ってしまいました。
原作では、脳を120%活性化する云々の説明がありますが、あくまでも記憶の部分を取り出すということであれば活性化は関係ありませんし、生死の状態も問われません。まあ、ここから突っ込んでいたら根底からひっくり返しちゃいそうなので、フィクションだし、マンガだしということで、とりあえず目を瞑っておきましょう。

2. 露口家一家殺害事件のてん末

こちらは原作と映画では基本路線は一緒で、その解明の方法も同じなのですが、一番違うのが動機というか事件の発端となる部分でしょうか。
原作では、一家殺害事件の生き残りの娘・絹子が幼少期に父親に暴行されていたことが元で、男性に対し異常なまでの嫌悪感を示すようになっていることが示唆されていますが、映画ではむしろ妖艶な雰囲気の絹子が父親すらもたぶらかしたという絵で描かれていました。
どちらの描き方でも父親が罪を被り冤罪のまま死刑となった理由にはつながるのですが、絹子が殺人を犯す理由が映画では全く出てこないことになります。とすると結局、絹子はサイコパス!で片付けているという印象しかありませんでした。
そうか、サイコパスだったのかー。なるほど(強引な納得)。

3. 露口家一家殺害事件の調査とオリジナルキャラの存在意義

そして1の問題ともかぶりますが、MRI調査は証拠能力に乏しいので、絹子の犯行だと裏付けるべく、青木と眞鍋は一家殺害事件の被害者の体内からモルヒネが検出されたことに注目し、絹子のモルヒネの入手先を当たることになります。
このあたりは原作にはないシーンで、最初は絹子と関係のあった薬学部の大学生をあたり、さらには絹子の主治医でタイ?かどっかで放蕩している斉藤(リリー・フランキー)を訪ねます。
そこで彼は、「人間は誰もが仮面をかぶっている」と意味深なことをつぶやきつつ、絹子の背後に貝沼(吉川晃司)の存在があることを匂わせます。
斉藤は絹子や貝沼の望み通りにすることを厭わないタイプなので、モルヒネを渡したのかもしれませんが、ここは定かではありません。
このリリー・フランキー扮する斉藤は映画オリジナルのキャラですが、今後全く出てきません!

結局めぼしい証拠が掴めないので、眞鍋は強行手段に出ます。
絹子に銃を突き付けて、無理やり自白させようとしたのです。
そこまで眞鍋が追い詰められていたのは、彼もMRI調査による映像を見てしまった結果、この世のものとは思えない存在がフラッシュバックしていたのです。
眞鍋を止めようとする青木とも撃ち合いになった挙句、最後は自分で脳を撃ちぬいて自殺してしまいます。
大森南朋扮するこの眞鍋も映画のオリジナルキャラですが、もう少し活躍する姿を見たかったですね。
一家殺害事件の露口を逮捕したのは彼なので、それが冤罪だったと知ってしまったから真犯人である絹子をどうしても捕まえたいという執念を持っているという形が出ていればよかったんですが・・・。
そもそも捜査に携わっているのも、露口からネコババした腕時計のことを指摘されて仕方なく、といった感じでしたしね。

4. 貝沼事件

第九に衝撃が走った事件ともなったのが、貝沼による少年28人殺害事件です。事の発端は薪と貝沼の出会いで、原作では新米警官だった薪が貝沼の万引きを見つけながら罪には問わなかったというシーン、映画では薪がなぜか教会でホームレスの人に炊き出しボランティアをしている時に、財布を盗もうとした貝沼を見逃したというシーンになっています。
貝沼にとって薪の存在が衝撃であり、愛とも憎しみともつかない感情にとらわれて、以降、サイコパスとしての道を着々と歩んでいくことになるのですが、獄中で自殺した貝沼の脳を見た捜査官が3人も自殺してしまうという事態を招いてしまいます。
その一人、鈴木(松坂桃李)は薪の親友だったのですが、彼は薪に貝沼の脳を見せまいとして貝沼の脳を破壊するとともに、自分も自殺しようとします。しかしそれができずに薪に銃を向け、自分の脳を撃たせます。

あれ?でも薪は結局貝沼の脳見ちゃってるよね?
映画では見てないんだっけ?(困惑)
なんだか鈴木の行為がだいぶ無駄になった感もありますが、それは置いておくとして、この見ると自殺したくなるっていう点も違和感あるんですよね。原作通りならMRIでスキャンできるのは視覚的な映像+イメージなので、その人の思念とかそういったところまで流れこんでしまうという設定であればもう少し納得できたんですけどね。
「幽遊白書」の室田がタッピングの能力で仙水の心を読んだ時のような感覚ならば理解できる・・・ってちょっと例えはわかりづらいかもしれませんが・・・(;・∀・)。
凄惨な殺害映像だったとしても、それは警察ならば大丈夫であってほしい、せいぜいゲロ吐くぐらいにしてほしいと思いますね。

5. 絹子と貝沼の接点

これも貝沼の脳内映像から、貝沼が主宰していたカルト教団的なものの集まりに絹子がいたことが分かりますが、それだけで終わってしまっています。
同じサイコパスとして興味を持ち、何らかの手ほどきをしたのかもしれませんが、その時点で貝沼はすでに死亡しているし、その接点を見つけたところであの映像のように具体性のないものでは、それこそ絹子がサイコパスで一家殺害事件の真犯人であるということには到底つながらない気がしました。

6. BL的要素はあるの?

原作では、といっても2巻までしか読んでいませんが、やはり少女漫画ということもあってイケメンたちのBL的雰囲気が醸しだされている気がしました。
映画でも岡田将生、生田斗真、松坂桃李ときってのイケメンを取り揃えていますので、それに期待する腐女子の皆さまもいらっしゃるかと思いますが、あまり映画では露骨には描いていません。絹子の方は鈴木にガンガン迫ってきていますけどね。
ただ、それぞれが十二分に魅力を振りまいてくれていますので、それ見ただけでご飯何杯でも行けるってなるかもしれません(ただしグロい部分もあるので、そのご飯、戻さないでくださいね)。


とまあちょっと本作に関しては乗りきれなかったというのが正直な感想です。
原作の2つのエピソードをうまく統合できていないために、2時間半もありながら消化不良という印象が否めませんでした。
原作者も当初、「話を盛り込み過ぎなのでは?」と危惧していたようで、自分もそのように感じました。
これは監督の「プラチナ・データ」を見た時にも同じような印象だったんですよね。
大友監督はこの後「ミュージアム」「3月のライオン」と話題作が控えているのですが、どうなりますかねえ・・・。

ちょっと否定的な意見が続いたので映画としてよかった部分も書いていきたいと思います。

1. 貝沼のキャラ

映画では吉川晃司が演じているので、悪役とはいえカリスマ性を感じさせる存在なため、少年院で講演をしたり、カルト教団的なのの教祖をしていたりしてもなんとなく頷けるようになっています。
原作はハゲのおっさんなので、キャラそのものにあまり惹かれないというのがあります。
原作では、ジョン・ゲイシーをイメージしたキャラクターだと書いていましたが、アンドレイ・チカチーロの方が近いような・・・。
また、映画では、薪が貝沼の罪を見逃す時に「善と悪とは紙一重」だと言って励ますところがあるのですが、これは薪が善だと思ってした行為が貝沼という悪を生んでしまったというところにつながっていくセリフなので印象的でした。原作には確かなかったと思うので、このあたりは良かったですね。

2. 9人同時自殺事件のトリガー

貝沼が少年院で催眠をかけていた少年たちが同時に自殺するという事件が発生するのですが、このトリガーとなるのが、映画では、皆既日食となっています。「なかなか起こらないことで皆が思わず見てしまうもの」という条件でいて、昼間なのに暗闇に包まれる瞬間というのがまさに死が訪れる瞬間のメタファーという雰囲気もあって効果的でした。
この皆既日食の瞬間に鈴木は父親の介護をしているシーンで、思いつめたように父親を見つめているのですが、鈴木の家族もまた何者かに殺されており、父親が唯一の生き証人となっています。父親が死ねばその脳をスキャンすることでこの事件も解決できるかも、そのためには・・・と鈴木が一瞬恐ろしい考えに囚われたと考えるとこのシーンはとても印象的でした。
この鈴木の家族の事件も(少なくとも2巻までの範囲で)原作にはない映画オリジナルだと思うのですが、これをもっと描いていれば、絹子の事件に鈴木が固執することにつながるんですよね。

ちなみに原作では、皇太子かだれかの結婚パレードを見るというのがトリガーでした・・・。そりゃ見るかもしれないけど興味ない人もいそうだよね。しかも数分見た程度ではダメという条件なのでもしかしたら誰も自殺しない可能性もあったんではないでしょうか?
映画ではこのトリガーとなる絵を見る時間については特に描かれていませんが、皆既日食の瞬間なのかもしれません。

とまあ、映画には映画の良いところもありますので、多少のグロ耐性は必要かもしれませんが、興味のある方はぜひ。
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すぷーとにく0107

Author:すぷーとにく0107
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映画館で年間200本は映画を観ます。
当ブログでは、映画のレビューをしつつ、勉強している心理学ネタでも書いていけたらいいなと思っています。

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