「一週間フレンズ。」感想。


(公式HPより引用)

[story]
高校2年の長谷祐樹(山崎賢人)は、図書館で偶然見かけた藤宮香織(川口春奈)に「友達になって下さい」と声をかけるも、拒否されてしまう。実は彼女には、“友達のことを一週間で忘れてしまう”という記憶障害があった。それでも香織のそばにいたいと願い、毎週月曜日、記憶がリセットされるたびに、香織に会いに行く祐樹。二人は交換日記を始めて、少しずつ距離を縮めていく。そんなある日、香織の過去を知る転入生・九条(上杉柊平)が現れてー。

葉月抹茶の同名人気コミックスを実写映画化した青春ラブストーリー。監督は「電車男」「赤い糸」の村上正典。

原作は全く知らなかったんですが、アニメ化、舞台化もされているということで人気作品だったんですね。

本作のキモとなるのが、香織が「友だちのことを一週間で忘れてしまう」という記憶障害を持っていて、友だちをすぐに忘れてしまい相手を傷つけるぐらいなら最初から友だちを作らない方が良い、という殻に閉じこもっています。

記憶障害や記憶喪失というのは映画的には非常に都合の良い設定で、なんでも記憶がないから、という理由で説明がついてしまうのがズルいというか、何でもあり感が強くなり、個人的には納得いかない部分も多いんですよね。
本作でもそれなりに根拠を示そうとはしているものの、なぜ友だちの記憶だけが失われるのか?なぜ1週間でリセットされてしまうのか、あたりの部分が、そういう設定です、でぼかされている印象です。

記憶障害で言うとまず思い起こされるのは「メメント」でしょうか。
今をときめくクリストファー・ノーラン監督が、10分しか記憶を保持できない主人公がポラロイドカメラで撮った写真と自らに刻んだタトゥーの情報を頼りに妻を殺した犯人を追うという設定も構成も極めて斬新だった作品です。
「メメント」では主人公が記憶障害になった理由として、妻が殺されたショックが原因という説明がついており、まあ、それなりに納得出来ないこともないですね。

また記憶障害+青春ラブストーリーという視点で言うと、「忘れないと誓ったぼくがいた」では、時間が経つとヒロインのことをほかの人が完全に忘れてしまうという思いっきりファンタジーに振り切った作品もありました。

メジャーどころでは「ボーン・アイデンティティー」に始まるボーン・シリーズの主人公ジェイソン・ボーンも最初は自分が誰なのかの記憶すらありません。
それからドリュー・バリモア、アダム・サンドラー主演の「50回目のファーストキス」もヒロインは事故の後遺症によって記憶が1日しか保持できず、寝て朝起きると前日の記憶を失ってしまいます。

本作は全体が現実的な設定の割には、症状がファンタジーというどっちつかずといったところですが、まあコミック原作だし、そこまで細かいこと気にせずに見るしかないですね。

細かいことを置いておくと主人公の2人は魅力的に映ります。
山崎賢人は、女子高生向けスイーツ映画にどれだけ出るんだ???ってぐらいに主演をしていますが、本作はこれまでの作品と比べてちょっとパッとしないところもありながら友だち思いで前向きなところがあって、一番等身大な役どころだったかもしれません。

そして、川口春奈ですね。
屈託のない微笑みを見せたかと思えば憂いのある表情になったりと影のある人物を魅力的に演じています。

物語は、記憶障害が理由で周囲に壁を作っている香織に、祐樹がしつこくアタック!という形になっており、香織は記憶障害の話をして拒絶するのですが、それならばと交換日記を提案する祐樹・・・ととにかくめげない姿勢は一歩間違えばストーカーですが、※ただしイケメンに限る案件に分類されますので、NO訴訟です!(憤慨)

ついには心を開き始める香織でしたが、彼らの前にかつての香織の知り合いだった九条が転校してきて・・・という展開になっていきます。

九条のキャラクターは正直不満でしたね。
祐樹の恋敵となるわけですが、嫌な奴感が強すぎるんですよね。
途中で香織が九条になびいていくのですが、それが罪悪感ぐらいしか感じられないんですよ。
それでいて終盤にはちょっと良いやつ風になるのもご都合主義すぎるところがありますしね。
あ、これもイケメン案件だったか!(不条理)

あれ?見たときはそこそこ良かったと思っていたんですが、文章化しているうちによくわからなくなってきたぞ???

終盤は九条のことが一週間たっても記憶に残っていることが分かり、祐樹はフェードアウトしていき、結局香織と祐樹はどうなるの?
と思わせラストシーンにつながるのですが、このラストシーンがなかなか良いんですよ。
これは原作にもアニメ版にもない映画オリジナルだそうです(いろいろネットで感想見てると、ラストに限らずだいぶ映画オリジナルみたいです・・・)
むしろこのラストシーンが作りたくて映画化したような、そんな印象すらありましたね。
他にも桜満開の通学路とか、映像的な見どころはたくさんあるので、そのあたりは素直に楽しめると思います。

「幸せなひとりぼっち」から考える独居老人の心理学



「幸せなひとりぼっち」ではオーヴェが最愛の妻を亡くし、さらには仕事もクビになってしまったことで生きる意味を見いだせなくなり、妻の元へ行くために自殺を図るというのが物語の発端となっています。

本作の舞台はスウェーデンですが、日本も北欧諸国以上に高齢化社会となっており、独居老人の割合も多くなっているという現状で、老人の孤独感については大きな問題となっています。

桂・星野・渡部(1998)では、独居老人の孤独感を軽減する要因について調査しています。その結果、社会的ネットワークからの手段的支援が得られていることが1つの要因となっていました。
これはつまり周囲の他者から何らかの支援を受けることなどによりコミュニティやネットワークとのつながりが保持されていることが重要だということになります。
オーヴェも巻き込まれる形だったとはいえ、隣人のパルヴァネ一家や妻の元教え子、そして長年の親友というか犬猿の仲になっている知人などと関わりを持ったことが大きいかもしれませんね。

もう一つの要因は自尊心でした。自尊心を高く持っている、つまりは自分の生き方や存在意義に自信を持っていることで、孤独感をあまり感じなくなるということです。
オーヴェが妻を失ってからも地域の規律を守るためにパトロールをしたり、妻のような犠牲を出さないためにバス会社に改善要求をしたりしていたのは自尊心の現れだったのでしょうね。
これが会社をクビになったことでその矜持が失われてしまったのかもしれません。

一方、廣瀬・杉山・武内・馬場崎(2009)では、独居老人の生きがいについて面接調査を行ったところ、昔から持っていた趣味を生きがいと感じたり、一人で生活することに気楽さを見出したりする人が少ないことも示されています。

ただこのように現状をポジティブに捉えられるのも家族や地域の人々といった周囲のサポートが不可欠なわけで、そこに希望があるような環境があるということが何よりも大切ですね。

オーヴェも全てにおいて恵まれていたわけではなかったでしょうが、多くの人に見送られたことは1つの生きてきた証となったことでしょう。

廣瀬春次・杉山沙耶花・武内あや・馬場崎未絵(2009). 独居高齢者の生きがいに関する研究. 山口県立大学学術情報[看護栄養学部紀要], 2, 26-31.

桂敏樹・星野明子・渡部由美(1998). 独居老人の孤独感を軽減する要因. 日農医誌, 47, 11-15.

「幸せなひとりぼっち」感想。


(公式HPより引用)

[story]
最愛の妻ソーニャ(イーダ・エングヴォル)を亡くし一人で暮らすオーヴェ(ロルフ・ラッスゴード)。頑固者の彼は地域の見回りを日課とし、ルールを守らない人に厳しく注意をしていた。ある日、長年務めてきた鉄道会社をクビになってしまう。失意の彼はそのままソーニャの元へ行こうと自殺を図るのだが、向かいに引っ越してきたパルヴァネ(バハール・パルス)とその家族の騒々しさに自殺どころじゃなくなってしまい・・・。

フレドリック・バックマンの同名ベストセラーを映画化したスウェーデン発の人間ドラマ。
今年のアカデミー賞外国語映画賞にもスウェーデン代表としてノミネートされています。
ちなみにメイクアップ&ヘアスタイリング賞にもノミネートされていましたね。

北欧の映画、人間ドラマというと、その地域性もあるのか、どこか寒々しさを感じる哀愁漂う作品が多い印象があります。
これは北欧が日本以上の福祉大国で、それゆえの高齢化社会であることも関連しているようで、実際に、高齢単身者の割合も非常に高いそうです。

本作も「幸せなひとりぼっち」という邦題がつけられているので、そういう悲哀系の映画を想像してしまうかもしれませんが、実際はそんんなことありません。

確かに主人公のオーヴェは、妻に先立たれ、仕事もクビになり、地域のルールや規律にうるさい頑固者です。
妻がいないことに寂しさは感じているでしょうが、他の近所の人とはむしろ自分の方から距離を置いているような印象です。

この設定や全体の雰囲気として最初に思い浮かんだのが、クリント・イーストウッド監督の「グラン・トリノ」でした。
こちらの映画もデトロイトで孤独に暮らす老人と隣に越してきた移民家族との交流を描いており、クリント・イーストウッド扮するウォルトもかなりの頑固者で、性別、年齢、人種を問わず怒鳴り散らし悪態を突き、説教しまくる姿はもはや爽快感すらありました。

本作も「グラン・トリノ」も主人公が意図せず周囲に巻き込まれていくという人間模様を描いています。
本作では、思い残すことも未練も何もないオーヴェが自殺をしようとする→隣人たちに邪魔される、を繰り返しています。

オーヴェが自殺をしようとする時、意識が遠のいていく過程で昔の妻との思い出が走馬灯のように・・・という形で回想に入っていきます。
オーヴェが良心を失い、ついには住むところもなくなってしまうというつらい境遇、そんな中での妻との運命的な出会い、幸せな結婚生活、やがて訪れる悲しい事件・・・。

この展開でオーヴェがなぜ今のように無骨で頑固な性格になってしまったのかが明らかになっていきます。

オーヴェの誠実さ

オーヴェは父親から正直でいることの難しさを教わります。
かつて父親の手伝いで電車の中を掃除していた時にサイフが落ちているのを見つけます。
父親からは「好きにして良い」と言われ、最初はオーヴェは自分のものにしようと思うのですが、結局落とし物として届けることにします。
その行為をして、父親に「正直でいるのは一番だが、正直でいるためには後押しが必要だ」と教えられます。

以来、オーヴェはバカがつくほど正直で、ソーニャとデートの時も「15分遅刻だよ。」とか言ってしまうし、結果として曲がったことが大嫌いな人間になるわけです。

オーヴェの優しさ


そんなオーヴェですがなんだかんだ言って優しいのです。
パルヴァネ一家が引っ越してきた時に車を駐車場に停めてあげたり、パルヴァネの夫が怪我をして病院に運ばれたときには病院まで送ってあげたり、その後車の運転を教えてあげたりもしています。
さらには、ソーニャの元教え子の友だちがゲイだといじめられ行く場所がないときには家に泊めてあげたり、寒さに凍えていた野良猫を保護してあげたりします。

オーヴェの厳しさ

オーヴェはとにかく決まりごとにうるさいです。
オーヴェの住む住宅エリアは自動車の乗り入れ禁止となっていて、オーヴェは看板で警告をするだけではなく毎朝パトロールも欠かしていません。
序盤はルール違反をみつけては怒鳴り散らすというのをひたすら見せられるので、辟易してしまうのですが、ここまで厳格になってしまったのは1つの悲しい事件があるのです。
ソーニャとの新婚旅行で乗ったバスが崖下へと転落事故を起こしてしまい、ソーニャは子どもを流産してしまい、自らも下半身不随となってしまったのです。
このバスの事故も規律が守られていないことが原因でした。だからこそ彼は人一倍ルールにこだわる人間になっていたのでした。

オーヴェの行動力

オーヴェはソーニャと初めて会ったときは不器用で連絡先を聞くこともできなかったのですが、彼女に会いたい一心で何度も電車に乗って彼女を探します。
めでたくデートすることになったときは、お金はないけどソーニャに美味しいものを食べてもらいたいからと、自分はお金をかけず先に食事を済ませておいて、彼女に好きなものをオーダーさせたりもしています。
そして、極めつけは学校の先生になりたいと思っているソーニャが学校の設備的な問題(バリアフリーになっておらず車いすではいることができない)で断念せざるをえなかったのに憤慨し、1日にしてスロープを作り上げてしまうところですね。

とまあ最初はオーヴェの頑固さばかりが目につくのですが、気がついたら彼の周りに人が寄り添ってくるのもうなずけるキャラクターでした。

本作ではキャストの魅力も素晴らしいです。

妻ソーニャは、単に美人というだけではなく非常に前向きでポジティブなキャラクターです。
オーヴェの不器用ながらも優しいところをしっかり理解し、オーヴェのプロポーズには大はしゃぎで快諾し、そして事故によって下半身不随となっても教師の夢を諦めない、といったところが描かれています。

おせっかいおばさんパルヴァネもまた魅力的です。
無骨はオーヴェに対して、喜怒哀楽の感情が激しく、声も大きい。
これはオーヴェでなくとも完全にペースに巻き込まれてしまいますね。
それでいて、オーヴェの家のキッチンの作り(ソーニャのために低く作られている)などからオーヴェのソーニャへの思いに気がつくという敏感なところもあわせ持っています。

他にもパルヴァネの子どもたちの可愛さも半端ないし、ネコも可愛いし、彼らを見るだけでもなんだか幸せな気分にさせてくれます。

最後に、本作ではオーヴェが自殺を図ることをはじめ、死にまつわるシーンが多いのですが、どのシーンをとっても悲劇的に描いておらず、むしろ笑えるシーンにしているのが印象的でした。
終盤にオーヴェが倒れた時も、救急車で搬送されようとしているときに、

「ここは自動車は進入禁止だぞ!」

と叫んでいます。

いかにもな演出で感動をさらうのではなく、作品そのものの、そして登場人物たちの魅力で感動を呼び起こしてくれるのが本作の魅力ではないでしょうか?

「本能寺ホテル」から考える本能寺の変はいかにして起こったか?



本編の方では、結局本能寺の変の謎についてたいして教えてくれなかったので、こちらで考えてみたいと思います。

歴史的には、秀吉が暗躍した、だとか、実は朝廷が裏で糸を引いていた、などの諸説もありますが、今回は、シンプルに謀反を企てた前提で、明智光秀がなぜそのような決断をしたのかに迫ってみたいと思います。

田中(2005)は、レイオフやダウンサイジングを行った企業で、特にその状況下で会社に残った社員(レイオフ・サバイバー)の心理状況についてまとめています。
そこでは、自分自身こそは解雇されたり左遷されたりすることがなかったとしても、いずれはそうなるのではないかという不安が増大し、会社や自分自身に対して非常にネガティブになるということが示されています。

信長は1580年に、織田家に長く仕えていた佐久間信盛、林通勝を追放しています。今でいうリストラです。
この事例からも信長は能力主義的なところがあると言われていますが、このことで明智光秀もいつかは自分が追放されてしまうと不安を抱いたのではないでしょうか。

また、本能寺の変が起こらんとしている直前に、明智光秀は先に四国平定のために出兵していた羽柴秀吉の援軍に行くよう要請されています。
秀吉は光秀よりも早く信長の家臣となってはいましたが、年齢は光秀の方が9歳上ですし、しかも秀吉が農民出身ということもあって、秀吉が信長に重用されることを快くは思っていなかったのではないでしょうか。

人が自分で自分の評価をするというのは難しく、多くの場合は他者との比較によって相対的な評価をしています。
Festinger(19540は、このことを社会的比較と呼び、特に自分よりも優れている他者との比較(上方比較)をしてしまうと、その能力や地位、立場の違いを実感してしまうこととなり、劣等感や嫉妬心が芽生えるものだと主張しています。

光秀は繊細でプライドが高い性格だったとも言われ、よりそのプライドを傷つけられたという印象が強かったのかもしれません。

リストラ不安、劣等感、嫉妬心が光秀を本能寺の変へと突き動かしたのかもしれないですね。

とまあこのあたりにつながるエピソードも「本能寺ホテル」でやってくれれば良かったんですけどね・・・(;・∀・)

[引用]
Festinger, L. (1954). A theory of social comparison processes. Human relations, 7, 117-140.

田中 堅一郎(2005). リストラは職場に何をもたらしたか: 心理学の視点からダウンサイジングを考える. 日本大学大学院総合社会情報研究科紀要, 6, 173-184.

「本能寺ホテル」感想。


(公式HPより引用)

[story]
倉本繭子(綾瀬はるか)は、婚約した吉岡(平山浩行)の父親に会うために京都にきたが、ホテルの予約の日程を間違えており、途方にくれていた。そんな時、目に入ったレトロなホテル"本能寺ホテル"に泊まることに。吉岡との約束の時間まで京都の街を見て回っていた繭子だったが、ホテルのエレベーターに乗ったところ、見知らぬ場所に運ばれてしまう。そこで出会ったのはちょんまげ姿の森蘭丸(濱田岳)や天下統一を目前に控えた織田信長(堤真一)で、1582年の本能寺へとワープしてしまったのだが・・・。

「プリンセス・トヨトミ」の鈴木雅之監督、綾瀬はるか、堤真一主演で贈る歴史エンタテインメント。

本作について語る前に、脚本の騒動が起こったことにちょっと触れたいと思います。
「本能寺ホテル」の予告編はかなり早い段階から劇場でも流れていて、自分も映画館で何度も目にしていたのですが、キャストや作品の設定、雰囲気からして、原作者はあの人だろうなあ・・・と思っていました。

ところが公開間近になって主要なキャスト、スタッフが発表になっても一切その名前はなく、おかしいと思っていたところにこのトラブルというわけです。

トラブルの詳細については、こちらのブログが詳しいので、興味のある方はどうぞ。


まあ、とかくいろいろトラブルがあった上での製作、公開となったわけですが、脚本の段階で一悶着あった作品は例外なく駄作・珍作になっていると個人的には思っていて、本作も変に期待せずに、いや変な期待をしてといった方が正しいか、そんな悶々とした状態で見に行ったのですが、下げに下げていたはずのハードルを思いっきり下回ってきたので、以下、その問題点について書いていきたいと思います。

ネタバレをふんだんに含みますので、映画鑑賞後に読まれることをオススメします。


「本能寺の変」の謎に挑んでいない。

本作で題材になっているのは、織田信長が明智光秀に暗殺された本能寺の変。歴史的に大きな事件ながら謎が多いということで、公式HPによれば、

1.信長の死体が見つかっていない
2.なぜ忠臣であった光秀が信長を裏切ったのか?
3.なぜ中国地方にいた秀吉がいち早く京都に駆けつけ光秀を討つことができたのか?

の3つだそうですが、映画的にそれなりに説明があるのが3ぐらいです。これは繭子が信長に明智光秀が裏切って本能寺に攻め入ってくることを伝えてしまったために、信長が秀吉に向けて書状を送ることができたのが要因と解釈できます。
ただ、1と2は全く説明されていないし、結果的に本能寺の変が起こってしまうので、「信長は実は生きていた?」という展開にすらなりません。
予告では日本史史上もっとも謎に包まれた事件「本能寺の変」!みたいな煽り文句をつけてまでアピールしているのに、そこに何ら帰結がないのは残念でした。

信長のキャラクターがブレブレ

織田信長といえば、「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」などと歌われたように、短気で残酷な一面を持っていたとも言われています。
本作でも繭子が蘭丸に会ったときに、蘭丸は「鬼より怖い冷酷非道なお館様」と信長のことを評しています。
繭子も信長にぶしつけな態度で接したら切られそうになったり、商人が持ってきた高価な茶器、楢柴肩衝を奪い取ったりしています。
それが、後半になると突然良い人物に変わっています。繭子に着物を買ってあげたり、当時の京都の街を案内したりと、一体どうしたんでしょう?

信長と婚約者の父・征次郎の構図

本作は繭子の成長物語というのが基本的な骨子になっていて、自分のできることがわからない、なんとなくOLをしていたけどその会社が倒産してしまい、そのときにプロポーズしてくれた恭一と結婚することに・・・という主体性のない自信もないといった性格の繭子の変化を描いているのですが、それに影響をあたえるのが信長と婚約者の父・征次郎です。
信長が第一に求めているのは世の中の平和であり、自分が天下を取るというのはその実現のための手段にすぎないのです。
誰かがやらなければいけないことだから、自分がやる、というのがスタンスになっています。
対して征次郎は、できることではなくやりたいことをやった方が良い、何歳からでも挑戦できる、というのが信条でそれを繭子にも伝えています。事実、征次郎はこれまでやってきた高級な料亭をやめ、安くても美味しいものを提供できる食堂をやることを宣言します。

信長は、誰かがやらなければいけないことがあると言っているのに対し、征次郎は、やりたいことをやるべきと言っていて、どちらも説得力があるにはあるのですが、どうも別のスタンスと思えてしまって宙ぶらりんになってしまうんですよね。

そして肝心の繭子は、最終的に婚約を解消し、教員を目指そうとするのですが、確かに会社が倒産してハローワークで取り柄を聞かれたときには「教職免許を持っている」とは言っていましたが、それがやりたいことだったみたいな描写が全く無かったんですよね。
百歩譲ってそれがやりたいことだったとすると、征次郎に感化されて夢を目指すのはともかく、信長の影響がないことになっちゃいませんか?


とまあ結構否定的に書いてきましたが、ちょっとすれば良くなったのにという部分もあるんですよ。
信長はかねてより先見の明がある人物で新しいものでも良いものだと思えたら進んで取り入れるところがあったと言われていますが、だからこそ繭子の持っていた街コンイベントのチラシみたいなものから、繭子が未来からやってきたことを察知し、さらにはそのチラシから未来が平和になっていることを知った信長は、自分が天下を取る手前で本能寺で命を落としたとしても、平和な世の中がやってくるということを理解し、あえてその運命に従ったということになるのです。

これもっと強調しようよ!
チラシ見つけるのも序盤すぎるしもっともったいぶってよかったのに。
このあたりが脚本騒動で消えた部分だったとしたら悲しいですね。


本作の一番良かった点は・・・。
うーん・・・。

そうだね!綾瀬はるかのおっp(以下、自主規制)
このあたりについては安定のアサヒ芸能さんにおまかせで!(;・∀・)
プロフィール

すぷーとにく0107

Author:すぷーとにく0107
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中の人は、北海道は札幌市在住です。
映画館で年間200本は映画を観ます。
当ブログでは、映画のレビューをしつつ、勉強している心理学ネタでも書いていけたらいいなと思っています。

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