「SING / シング」から考える歌うことの心理学的効果



「SING / シング」では、それぞれの思いや悩みを抱えながらもステージに立って歌いたいという夢を追い求める作品でした。

音楽のもたらす心理学的効果の研究はたくさんあるのですが、大半は、音楽を「聴くこと」の効果の研究になっています。
というのも、一般の人にとっては歌や音楽は聴く機会が圧倒的に多く、歌ったり、楽器を演奏したりするのは専門的にやっている人や趣味の人に限られているため、研究の数としては限られたものになってしまっているのです。

歌うことの効果の研究は、実は日本は世界的に見ても多く研究されている方で、その一つの要因はやはり「カラオケ」でしょうか。
日本では世代関係なく趣味や娯楽の一つとしてカラオケが定着しているので、それを研究対象とするというのも増えてきているようです。

カラオケで歌うと、ストレス発散になる、という人は多いと思うのですが、歌がうまくなかったり、恥ずかしがり屋だったりすると、その効果は得られないのではないかとも考えられます。

Sakano et al.(2014)では、44人の60歳以上の被験者を対象に、カラオケを歌う前と後でのストレスレベルに違いがあるかを調査しました。
その結果、気分がリフレッシュした、快適な気分、嬉しい気分、リラックスしたといった項目への回答が高まっていることが示されたとともに、ストレスホルモンとも呼ばれるコルチゾールが減少していることが示されました。
これは心理的にも生理的にも歌うことの効果があったということを示しています。

さらには、事前に歌うことが嫌いだと言っていた人においても同様の効果が見られたことからも、いかに効果が大きいかが分かります。

ということで、ストレスがたまっている人は、Let's sing a song!

[引用]
Sakano, K., Koufuchi, R., Tamaki, Y., Nakayama, R., Hasaka, A., Takahashi, A., Ebihara, S., Tozuka, K., & Saito, I.(2014). Possible benefits of singing to the mental and physical condition of the elderly. BioPsychoSocial Medicine, , 2014 8:11.

「SING / シング」感想。


(公式HPより引用)

[story]
コアラのバスタームーン(マシュー・マコノヒー/内村光良)は、潰れかけの劇場の支配人をしていた。彼はかつての賑わいを取り戻そうと歌のオーディションを企画する。しかし、秘書のミスで賞金額が2ケタ多くなってしまったせいで、応募者が殺到するハメに。内気なゾウのミーナ(トリー・ケリー/MISIA)、ヤマアラシの少女、アッシュ(スカーレット・ヨハンソン/長澤まさみ)、ギャングの息子でゴリラのジョニー(タロン・エジャトン/大橋卓弥)など、様々な事情を抱えた参加者たちがオーディションに挑むのだが・・・。

「怪盗グルー」シリーズや「ミニオンズ」のイルミネーション・エンターテインメントによるアニメ映画。
監督は本作が自身初のアニメ作品となる「銀河ヒッチハイク・ガイド」「リトル・ランボーズ」のガース・ジェニングス。

イルミネーション・エンターテインメントは、実は「怪盗グルー」シリーズ本編を見たことがないので、上記の「ミニオンズ」と「ペット」を見たぐらいですね。
監督の作品、特に前作の「リトル・ランボーズ」は映画少年の夢がいっぱい詰まっている作品で今も印象に残っています。
それから9年たっての本作、それもアニメということではたしてどうなのでしょう?

基本的には、潰れかけの劇場の立て直しということで、ありきたりのサクセス・ストーリーというのが骨子になっています。

ただ、そのためのバスターのアイデアが歌のオーディションを開催するというもので、劇場ならばそれぐらいの企画は珍しくもなんともないと思うので、これが起死回生のアイデアとは呼び難いという印象を最初に持ってしまいました。

その後も、賞金の記載ミスはマンガ的な要素としてあっても構いませんが、正直そこまで引っ張るネタではないと思うし、金策の手段も友だちのエディーの祖母ナナの財産を当てにするだけなので、非常に短絡的です。
そもそも主要なオーディションメンバーはお金よりも歌いたいという気持ちがあるから参加しているのだから、賞金そのものの引っ張りが不要な気がしたんですよね。

賞金1000ドルのはずが10万ドルに!→応募者殺到→賞金が1000ドルとバレる→応募者去っていく→残ったものたちで!

こんな展開にしておけばよかっただけなのになんだかテーマをぼかす役目にしかなっていませんでした。

他にも料金未払いで電気が止められたらとなりのビルから引っ張ってきたり、差し押さえで出入り禁止となって劇場にしれっと入り込んでオーディションを強行しようとしたりと、もはや法の壁を超えちゃっております。
もちろんこれもベンチャー魂みたいな感じでとらえることもできなくはないのですが、劇場の経営不振は起こるべくして起こったという印象しかありませんでした。

それでも肝心の音楽や芸術に対する耳目は肥えているのじゃないか?
そんな期待も最初のオーディションであっさりと潰えます。
キリンが背が高すぎてこちらの声が届かなかったので合格のはずが取り消しになり、なんとなく目についたジョニーの方が合格になるのです。
ビジネスセンスはおろか芸術に対する嗜好性もあまり高くないのではと思ってしまいました。

その後に、まさに文字通り、劇場は崩壊を迎えるのですが、この流れに乗れなかった自分としては、まあラストも読めるし残念ながらストーリー的に惹きつけるものはなかったということになります。

逆に、それぞれのキャラクターは非常にしっかりしていて、このオーディションに賭けるそれぞれの思いもしっかりと伝わってきます。
そして本作を彩る音楽もまた素晴らしいです。
歴代のポップシーンを湧かせた音楽が多いのですが、自分が見た日本語版でもMISIAや大橋卓弥など本業歌手の人の歌はもちろん、長澤まさみやトレンディエンジェルの斉藤さんもうまくて、そのシーンだけでも一見の価値ありです。

それだけに、ストーリーさえもっとしっかりしていれば傑作になったかもしれないと思うと残念ですね。
ディズニーが傑作を連発し続けているだけにまだまだ及ばずといったところでしょうか。

「暗黒女子」から考える自己愛性パーソナリティ障害



注!本記事には、「暗黒女子」のネタバレがうっすらと含まれております。



「暗黒女子」では、ミッション系の女子校を舞台に、学校の経営者の娘で、学業優秀、容姿端麗で全校生徒の憧れだった白石いつみが謎の死を遂げるところから物語は始まります。

そして、彼女への餞として、彼女が作った文学サークルで、メンバーが一人一人、「いつみの死」というテーマで自作の小説を発表することになります。

その朗読会で読まれた小説は、いつみがこのサークルのメンバーの誰かに殺された内容を示唆するものでした・・・。


ということで、本作は、「誰がいつみを殺したのか」が焦点になってくるわけですが、上記のように、いつみは学校の他の生徒全てから憧れの存在で、常に周りからの注目と羨望を浴びている状況でした。
しかし、それだけでは彼女にとって不十分で、自分が主役であり続けるために、周りのすべての人たちを脇役とみなしていたのです。

自己中心的だとか、うぬぼれだとか、そういう表現は一般的な性格特性を表す言葉として用いられますが、これが病的なレベルになると、自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic personality disorder; NPD)と呼びます。

これは、Kohut(1968)により初めて精神的な病理として提唱され、1980年の精神障害の診断と統計マニュアル(DSM-Ⅲ)に掲載されると、広く認知されるようになりました。

現在のDSM-Ⅳ-TR(アメリカ精神医学会, 2014)では、以下のように定義されています。

誇大性(空想または行動における)、賛美されたい欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになるとされています。以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示されるものです。

1. 自分が重要であるという誇大な感覚
2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想への固執
3. 自分が特別で独特な存在であり、特別な対象だけがそれを理解しうるという盲信
4. 過剰な賛美への希求
5. 特権意識
6. 対人関係における相手の不当な利用
7. 共感の欠如
8. 他者への嫉妬、または他者が自分に嫉妬しているという思い込み
9. 尊大で傲慢な行動、または態度


うーん、いつみに当てはまっているような気もしますね。

もちろん、ナルシストなタイプの人間は少なからずいて、その誰もが病的なレベルというわけではありませんが、これが苦痛を伴ったり何らかの機能障害をもたらすような場合には要注意ということです。

あなたの周りにはいませんか・・・?


[引用]
アメリカ精神医学会(2014). DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル

Kohut, H.(1968). The Psychoanalytic Treatment of Narcissistic Personality Disorders: Outline of a Systematic Approach.

「暗黒女子」感想。


(公式HPより引用)

[story]
ミッション系の女子校・聖母マリア女子高等学院。学院経営者の娘で学業優秀、容姿端麗で全校生徒の憧れだった白石いつみ(飯豊まりえ)が謎の死を遂げる。彼女が会長を務めていた文学サークルでは、副会長の澄川小百合(清水富美加)が、メンバーがそれぞれ自作した小説を朗読する定例会のテーマを、「いつみの死」に決定する。それぞれのメンバーが書いた小説には、いつみの死がメンバーの誰かによるものだと示唆する内容が含まれていて・・・。

秋吉理香子の同名小説の映画化です。
監督は、「MARS~ただ、君を愛してる~ 」の耶雲哉治。

読んでイヤな気持ちになる最悪の結末だが、後味が悪ければ悪いほど"クセ"になってしまう魅惑のミステリー=イヤミスとして話題になっていたそうですが、自分は映画化されるまで知りませんでした。そんなわけで原作は未読です。

映画の予告では、衝撃のラスト24分!と大々的に謳っていたので、印象に残っている人も多いのではないでしょうか?
自分は個人的にはこういう謳い文句には散々裏切られ続けてきている印象があるので好きじゃないんですけどね。
もし仮に衝撃のラストだったとしても、その事実を知らないほうが楽しめるじゃないですか。
何かどんでん返し的な展開があるんだろうなあ、ってなっちゃいますからね。

ただ、こんな予告の云々を吹き飛ばすぐらいの衝撃のニュースが出てしまったので、だいぶこの印象は薄れたかもしれませんね。
まさかの出家騒動でしたからね・・・。

映画は、文学サークルの定例会で、メンバーの一人一人が朗読をするという形式で、この一話一話がオムニバスのような形で映し出されていくので、テンポよく進んでいる印象です。ですので当ブログでも同様の構成で記載していきたいと思います。

1年A組 二谷美礼「太陽のような人」

文学サークル唯一の1年生メンバーである二谷美礼(平祐奈)は、家は貧乏だったが成績優秀だったので、この学校に入学することはできたものの、周りの雰囲気に馴染めず孤立していました。
そんな彼女に声をかけたのがいつみで、以降、家庭教師の仕事を紹介してくれたり、文学サークルにも招待してくれたりと、特別な存在として慕っていきます。
ある時、いつみは美礼に悩みを打ち明けます。
それは、いつみの父親が文学サークルのメンバーの一人・志夜とただならぬ関係なのではないかということでした。
彼女はいつみから信頼の証として「すずらんの髪留め」をもらったが、その後、いつみは学校の屋上から転落死してしまう。
手には、すずらんが握りしめられていた・・・。

2年B組 小南あかね「マカロナージュ」

小南あかね(小島梨里杏)は家が料亭をしていたが、しきたりによって女性には後を継がせることができない。そのため、和食ではなく洋菓子作りにはまっていた彼女は、ある時、校内新聞に自分の書いた読書感想文が載ったことで、いつみに話しかけられる。彼女に文学サークルのサロンに連れてこられた彼女は、そこに素晴らしいキッチンがあると知り、サークルの集まりの際には手作りのお菓子を振る舞っていました。そんなある日、あかねはいづみから悩みを相談されます。それは美礼が家庭教師で家に来るようになってからいろいろな物がなくなっているということで、ついには祖母の形見だった「すずらんの髪留め」もなくなってしまったという。いつみは意を決して美礼と話をすると言っていたのだが、そのまま学校の屋上から転落死してしまう。
手には、すずらんが握りしめられていた・・・。

留学生 ディアナ・デチェヴァ「女神の祈り」

ブルガリア人のディアナ・デチェヴァ(玉城ティナ)は、いつみがディアナの家にホームステイしたことがきっかけで出会い、すっかり彼女に夢中になってしまった。しかし、交換留学で日本に行くのは、双子の姉妹のエマに決まっていた。ところが、エマが不慮の事故により急きょディアナが日本に来ることになる。外国人ということで戸惑いもあった彼女だったが、いつみが優しく受け入れてくれ、さらには文学サークルにも招待される。その時にあかねとも挨拶をするが、彼女の腕にすずらんのような形のやけどを発見する。あかねの家の料亭は火事で全焼してしまったことを知ると、彼女への疑惑が強まっていくディアナ。さらにはいつみとの関係にも疑問を抱くようになったが、そんなさなか、いつみが学校の屋上から転落死してしまう。
手には、すずらんが握りしめられていた・・・。

2年C組 高岡志夜「紅い花」

高岡志夜(清野菜名)は在学中に書いた小説が賞を受賞し、すでに作家として話題になっていた。それがいつみの目に止まり、文学サークルでも作品を書くことになった。いつみは志夜の小説を翻訳して海外でも出版したいと願うが、志夜は気が進まないのか頑なに断っていた。そんな中、ディアナが留学生としてやってくる。彼女の見た目が志夜の読んでいた本に出てくるヴァンパイアにそっくりで彼女は驚く。ディアナは花壇にすずらんを植え、少しでもブルガリアのことを知ってもらおうと考えたが、いつみによると、来年以降は留学生を呼ばないことになったという。志夜がディアナに疑念を抱いている中、いつみが学校の屋上から転落死してしまう。
手には、すずらんが握りしめられていた・・・。

4者4様のエピソードを小説と言うかたちで語っていますが、どのエピソードでも、いつみは文学サークルのメンバーの誰かに殺されたことを示唆しています。
そしてそれが絶妙に食い違っているのです。
このあたりは芥川龍之介の「藪の中」のように、複数の視点から1つの事件―いつみの転落死を描いていて、それぞれが殺害の動機もあるというのがミソですね。
一体彼女たちのうち、誰が本当のことを言っているのか、誰が嘘をついているのか?
そんな時に、今までは進行に徹していた小百合(清水富美加)が朗読をする番が来るのです。
しかし、彼女は自作の小説ではなく、いつみが生前に書いた小説を読み始めるのでした・・・。

ここから真実が明らかになっていく過程が描かれていくのですが、コレ以上はぜひ映画の方を見て、確かめていただきたいと思います。

1ヶ所気になる点があったのは、上記のエピソードにあるように、いつみが手に握っていたすずらんがいわゆるダイイング・メッセージとして用いられており、それぞれにすずらんにまつわる何かがあるのですが、1人だけ、すずらんネタが2つあるんですよね。
そして真実が明らかになった時も1人1人の行動の辻褄が合わなくなってしまう部分が出てくるんですよ。

ネットで調べたところ、この文学サークルにはもう1人いたらしいのですが、映画化にあたりその1人の存在をまるまるカットしているようですね。そのせいで、文字通り辻褄が合わなくなってしまうところがでてきたみたいです。これはぜひ原作をチェックしたいところですね。

映画全体としての雰囲気は非常に素晴らしいです。
ミッション系の女子校が舞台というと、湊かなえ原作の「少女」もそうでしたが、男子禁制、お嬢様、しかも本作では文学サークルというごくごく限られた人たちの集まりということで、その雰囲気だけでも見る価値があります。

キャストも素晴らしいですが、圧倒的な存在感を放っているのは小百合役の清水富美加ですね。
彼女は本作の語り部であり、いつみ亡き後の文学サークルの部長でもあり、そして唯一の真実を知る者というキャラクターなので、他のメンバーと一線を画した存在です。
他のメンバーが動揺しても眉一つ動かさない冷静さを持っていて、それが映画の世界にマッチしています。
今後は一般の映画では見られないのがつくづく残念です。
ぜひその姿を目に焼き付けておきましょう。

「哭声 コクソン」から考える健康統制所在



「哭声 コクソン」では、のどかな村で家族惨殺事件が連続して発生します。犯人はいずれも現場に留まっていて、放心状態となっており、また体に湿疹が現れているというのが共通していました。

そこでこの事件の捜査が始まるのですが、警察官のジョングは、いつしか村の山奥に住みだした日本人が怪しいと睨むのですが、他の可能性について一切考えることはありません。
事件解明の手がかりとなりそうな犯人の湿疹については別段調べることはありませんでした。
なぜ、その症状の原因を調べずに、この日本人の仕業だと思いこんでしまったのでしょうか?

人が健康でいられるかどうか、病気を克服できるかどうかについて、何を根拠としているかの信念のことを、健康統制所在(health locus of control)と言います。
Wallston, Wallston & Develis(1978)は、この健康統制所在を尺度化しています。また、堀毛(1991)によって日本語版も作成されています。
これによると、人が健康の拠り所と考えるのは、「自分自身」「他者」「運」「家族」そして「超自然的信念体系」5つの因子に分類されるということだそうです。

「自分自身」というのは、自分の普段の行いや心がけ、習慣などによって左右されるということです。
「他者」は、重要な他者の存在を指し、腕の良い医者がいれば大丈夫というような考え方です。
「運」は、そのまま運が良いか悪いかで健康でいられるかが決まるというものです。
「家族」は、家族のサポートや気遣いによって健康でいられるというものです。
そして最後の「超自然的信念体系」は、神仏への祈りや信仰によって健康でいられる、病気になるのはたたりが原因であるといったものが分類されています。

本作では湿疹が現れている原因が明確にはされませんが、ジョングをはじめ村の人々が超自然的信念体系に則った判断をしてしまったことが原因かもしれませんね。

どうしても大きな病気をしてしまうと、それを認めることが出来ずに、神や仏にすがりたいという気持ちが出てくるということがあるかもしれませんし、それを悪用して高額な壺を売りつけるなんて霊感商法もあったりします。

たとえ自分ではどうしようもないような自体においても冷静に判断したいものですね。


[引用]
堀毛裕子(1991). Health Locus of Control尺度の作成,健康心理学研究, 4, 1−7.

Wallston, K. A., Wallston, B. A., & Develis, R.(1978). Development of the multidimensional Health Locus of control(MHLC)scale, Health Education Monographs, 6, 160−170.
プロフィール

すぷーとにく0107

Author:すぷーとにく0107
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中の人は、北海道は札幌市在住です。
映画館で年間200本は映画を観ます。
当ブログでは、映画のレビューをしつつ、勉強している心理学ネタでも書いていけたらいいなと思っています。

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