「暗黒女子」感想。


(公式HPより引用)

[story]
ミッション系の女子校・聖母マリア女子高等学院。学院経営者の娘で学業優秀、容姿端麗で全校生徒の憧れだった白石いつみ(飯豊まりえ)が謎の死を遂げる。彼女が会長を務めていた文学サークルでは、副会長の澄川小百合(清水富美加)が、メンバーがそれぞれ自作した小説を朗読する定例会のテーマを、「いつみの死」に決定する。それぞれのメンバーが書いた小説には、いつみの死がメンバーの誰かによるものだと示唆する内容が含まれていて・・・。

秋吉理香子の同名小説の映画化です。
監督は、「MARS~ただ、君を愛してる~ 」の耶雲哉治。

読んでイヤな気持ちになる最悪の結末だが、後味が悪ければ悪いほど"クセ"になってしまう魅惑のミステリー=イヤミスとして話題になっていたそうですが、自分は映画化されるまで知りませんでした。そんなわけで原作は未読です。

映画の予告では、衝撃のラスト24分!と大々的に謳っていたので、印象に残っている人も多いのではないでしょうか?
自分は個人的にはこういう謳い文句には散々裏切られ続けてきている印象があるので好きじゃないんですけどね。
もし仮に衝撃のラストだったとしても、その事実を知らないほうが楽しめるじゃないですか。
何かどんでん返し的な展開があるんだろうなあ、ってなっちゃいますからね。

ただ、こんな予告の云々を吹き飛ばすぐらいの衝撃のニュースが出てしまったので、だいぶこの印象は薄れたかもしれませんね。
まさかの出家騒動でしたからね・・・。

映画は、文学サークルの定例会で、メンバーの一人一人が朗読をするという形式で、この一話一話がオムニバスのような形で映し出されていくので、テンポよく進んでいる印象です。ですので当ブログでも同様の構成で記載していきたいと思います。

1年A組 二谷美礼「太陽のような人」

文学サークル唯一の1年生メンバーである二谷美礼(平祐奈)は、家は貧乏だったが成績優秀だったので、この学校に入学することはできたものの、周りの雰囲気に馴染めず孤立していました。
そんな彼女に声をかけたのがいつみで、以降、家庭教師の仕事を紹介してくれたり、文学サークルにも招待してくれたりと、特別な存在として慕っていきます。
ある時、いつみは美礼に悩みを打ち明けます。
それは、いつみの父親が文学サークルのメンバーの一人・志夜とただならぬ関係なのではないかということでした。
彼女はいつみから信頼の証として「すずらんの髪留め」をもらったが、その後、いつみは学校の屋上から転落死してしまう。
手には、すずらんが握りしめられていた・・・。

2年B組 小南あかね「マカロナージュ」

小南あかね(小島梨里杏)は家が料亭をしていたが、しきたりによって女性には後を継がせることができない。そのため、和食ではなく洋菓子作りにはまっていた彼女は、ある時、校内新聞に自分の書いた読書感想文が載ったことで、いつみに話しかけられる。彼女に文学サークルのサロンに連れてこられた彼女は、そこに素晴らしいキッチンがあると知り、サークルの集まりの際には手作りのお菓子を振る舞っていました。そんなある日、あかねはいづみから悩みを相談されます。それは美礼が家庭教師で家に来るようになってからいろいろな物がなくなっているということで、ついには祖母の形見だった「すずらんの髪留め」もなくなってしまったという。いつみは意を決して美礼と話をすると言っていたのだが、そのまま学校の屋上から転落死してしまう。
手には、すずらんが握りしめられていた・・・。

留学生 ディアナ・デチェヴァ「女神の祈り」

ブルガリア人のディアナ・デチェヴァ(玉城ティナ)は、いつみがディアナの家にホームステイしたことがきっかけで出会い、すっかり彼女に夢中になってしまった。しかし、交換留学で日本に行くのは、双子の姉妹のエマに決まっていた。ところが、エマが不慮の事故により急きょディアナが日本に来ることになる。外国人ということで戸惑いもあった彼女だったが、いつみが優しく受け入れてくれ、さらには文学サークルにも招待される。その時にあかねとも挨拶をするが、彼女の腕にすずらんのような形のやけどを発見する。あかねの家の料亭は火事で全焼してしまったことを知ると、彼女への疑惑が強まっていくディアナ。さらにはいつみとの関係にも疑問を抱くようになったが、そんなさなか、いつみが学校の屋上から転落死してしまう。
手には、すずらんが握りしめられていた・・・。

2年C組 高岡志夜「紅い花」

高岡志夜(清野菜名)は在学中に書いた小説が賞を受賞し、すでに作家として話題になっていた。それがいつみの目に止まり、文学サークルでも作品を書くことになった。いつみは志夜の小説を翻訳して海外でも出版したいと願うが、志夜は気が進まないのか頑なに断っていた。そんな中、ディアナが留学生としてやってくる。彼女の見た目が志夜の読んでいた本に出てくるヴァンパイアにそっくりで彼女は驚く。ディアナは花壇にすずらんを植え、少しでもブルガリアのことを知ってもらおうと考えたが、いつみによると、来年以降は留学生を呼ばないことになったという。志夜がディアナに疑念を抱いている中、いつみが学校の屋上から転落死してしまう。
手には、すずらんが握りしめられていた・・・。

4者4様のエピソードを小説と言うかたちで語っていますが、どのエピソードでも、いつみは文学サークルのメンバーの誰かに殺されたことを示唆しています。
そしてそれが絶妙に食い違っているのです。
このあたりは芥川龍之介の「藪の中」のように、複数の視点から1つの事件―いつみの転落死を描いていて、それぞれが殺害の動機もあるというのがミソですね。
一体彼女たちのうち、誰が本当のことを言っているのか、誰が嘘をついているのか?
そんな時に、今までは進行に徹していた小百合(清水富美加)が朗読をする番が来るのです。
しかし、彼女は自作の小説ではなく、いつみが生前に書いた小説を読み始めるのでした・・・。

ここから真実が明らかになっていく過程が描かれていくのですが、コレ以上はぜひ映画の方を見て、確かめていただきたいと思います。

1ヶ所気になる点があったのは、上記のエピソードにあるように、いつみが手に握っていたすずらんがいわゆるダイイング・メッセージとして用いられており、それぞれにすずらんにまつわる何かがあるのですが、1人だけ、すずらんネタが2つあるんですよね。
そして真実が明らかになった時も1人1人の行動の辻褄が合わなくなってしまう部分が出てくるんですよ。

ネットで調べたところ、この文学サークルにはもう1人いたらしいのですが、映画化にあたりその1人の存在をまるまるカットしているようですね。そのせいで、文字通り辻褄が合わなくなってしまうところがでてきたみたいです。これはぜひ原作をチェックしたいところですね。

映画全体としての雰囲気は非常に素晴らしいです。
ミッション系の女子校が舞台というと、湊かなえ原作の「少女」もそうでしたが、男子禁制、お嬢様、しかも本作では文学サークルというごくごく限られた人たちの集まりということで、その雰囲気だけでも見る価値があります。

キャストも素晴らしいですが、圧倒的な存在感を放っているのは小百合役の清水富美加ですね。
彼女は本作の語り部であり、いつみ亡き後の文学サークルの部長でもあり、そして唯一の真実を知る者というキャラクターなので、他のメンバーと一線を画した存在です。
他のメンバーが動揺しても眉一つ動かさない冷静さを持っていて、それが映画の世界にマッチしています。
今後は一般の映画では見られないのがつくづく残念です。
ぜひその姿を目に焼き付けておきましょう。

「哭声 コクソン」から考える健康統制所在



「哭声 コクソン」では、のどかな村で家族惨殺事件が連続して発生します。犯人はいずれも現場に留まっていて、放心状態となっており、また体に湿疹が現れているというのが共通していました。

そこでこの事件の捜査が始まるのですが、警察官のジョングは、いつしか村の山奥に住みだした日本人が怪しいと睨むのですが、他の可能性について一切考えることはありません。
事件解明の手がかりとなりそうな犯人の湿疹については別段調べることはありませんでした。
なぜ、その症状の原因を調べずに、この日本人の仕業だと思いこんでしまったのでしょうか?

人が健康でいられるかどうか、病気を克服できるかどうかについて、何を根拠としているかの信念のことを、健康統制所在(health locus of control)と言います。
Wallston, Wallston & Develis(1978)は、この健康統制所在を尺度化しています。また、堀毛(1991)によって日本語版も作成されています。
これによると、人が健康の拠り所と考えるのは、「自分自身」「他者」「運」「家族」そして「超自然的信念体系」5つの因子に分類されるということだそうです。

「自分自身」というのは、自分の普段の行いや心がけ、習慣などによって左右されるということです。
「他者」は、重要な他者の存在を指し、腕の良い医者がいれば大丈夫というような考え方です。
「運」は、そのまま運が良いか悪いかで健康でいられるかが決まるというものです。
「家族」は、家族のサポートや気遣いによって健康でいられるというものです。
そして最後の「超自然的信念体系」は、神仏への祈りや信仰によって健康でいられる、病気になるのはたたりが原因であるといったものが分類されています。

本作では湿疹が現れている原因が明確にはされませんが、ジョングをはじめ村の人々が超自然的信念体系に則った判断をしてしまったことが原因かもしれませんね。

どうしても大きな病気をしてしまうと、それを認めることが出来ずに、神や仏にすがりたいという気持ちが出てくるということがあるかもしれませんし、それを悪用して高額な壺を売りつけるなんて霊感商法もあったりします。

たとえ自分ではどうしようもないような自体においても冷静に判断したいものですね。


[引用]
堀毛裕子(1991). Health Locus of Control尺度の作成,健康心理学研究, 4, 1−7.

Wallston, K. A., Wallston, B. A., & Develis, R.(1978). Development of the multidimensional Health Locus of control(MHLC)scale, Health Education Monographs, 6, 160−170.

「哭声 コクソン」感想。


(公式HPより引用)

[story]
韓国、のどかな村谷城(コクソン)で、村人が自分の家族を惨殺する事件が連続して発生する。いずれの事件も犯人は体中を湿疹に覆われ、正気を失った状態で発見された。警察官のジョング(クァク・ドウォン)は、いつの頃からか村の山奥に住みついた日本人(國村隼)が怪しいとにらみ、捜査を進めていく。ある日、ジョングの娘ヒョジン(キム・ファニ)にも、事件の犯人と同じ湿疹が出始め、理解不能な行動をするようになる。ジョングの家族は娘を救おうと、祈祷師のイルグァン(ファン・ジョンミン)を呼び寄せるのだが・・・。

「チェイサー」「哀しき獣」のナ・ホンジン監督が、韓国の田舎の村を舞台に、不可解な殺人事件を機に巻き起こる戦慄のサスペンス・スリラー。

ナ・ホンジン監督作は、上記の2本しか知らないな~、「チェイサー」しか見てないな~、と思っていたら、なんと本作は長編3本目だったということで、そりゃ知らないはずですよね。
ただ、そのデビュー作「チェイサー」から韓国映画界のサスペンス作品としては不動の評価を得ているのだからたいしたものです。

冒頭、上記のstoryにも書いたように、のどかな村で凄惨な殺人事件が発生するというサスペンスの様相で物語はスタートします。
実行犯はいずれもその家族で、不仲だったなどの動機もなく、また逃亡するでもなく同じ現場で放心状態になっているのを発見されています。そしていずれも体中に謎の湿疹が浮かんでいる状態でした。

この異常な事件が起こりだした頃と時を同じくして、この村の山奥に謎の日本人が住みついたということを聞いた警察官のジョングは、この日本人が関わっていると考え捜査を開始する・・・。

このようなサスペンスタッチの物語は中盤以降、よりオカルトな内容へとシフトチェンジしていきます。
ジョングの娘も、くだんの連続惨殺事件の容疑者と同様に、湿疹が出るようになったのです。
人智を超えたものの仕業ではないのか、それは果たして神か悪魔か、そんな疑惑がジョングや村の人々の間に広まっていくさまは、まさに集団パニックといった状況です。

という極めて異色な作品なのですが、本作はその後の解釈が明示されていないこともあり、観終わった後でも様々な意見がやりとりされている作品でもあります。
自分も(「トリプルX」とか「ひるなかの流星」とかも好きだけど)こういう色々考えさせられる系の映画も大好きなので、以下、自分なりの解釈を書いていきたいと思います。
ネタバレも含まれますので、ぜひ映画をご鑑賞後にお読みください。


「謎の日本人=神、白衣の女性=神の使い、祈祷師=扇動者」説

國村隼扮する謎の日本人は一体何者なのか?というのがまず本作を読み解く上で重要になってきます。
本作は、監督のナ・ホンジンがクリスチャンでもありますし、冒頭にルカの福音の一節「わたしの手と足に触れてみなさい」という引用が出てくるところからも、キリスト教的世界観で描かれていることが分かります。
この日本人も、終盤にジョングの運転する車に轢かれて死亡したような描写がありながら、その後でまた蘇っているというのは、まさにキリストの復活を表現していますし、体には聖痕のようなものもあります。
そして何より、上記の福音の一節を話すシーンもあるのです。

ただ、そうすると終盤に目が赤く光ったり、この村で連続惨殺事件が起こっているのはなぜでしょうか?
それは、神はその存在を信じ、信仰するものにとっては救いとなりますが、それを信じない、疎んじるものからすれば、まさに悪魔ともなる存在なのでしょう。
ジョングをはじめ、村の人々は、この事件の原因をすべてこの日本人であると決めつけ、排除しようとするのは、まさにユダヤ人がキリストを信じることができずに処刑したのと同じ構図になっています。

彼と唯一話ができるのが、神父見習いのイサムであることも、彼が神であることを示しているようで、言葉がわからない=理解できないという表現として、日本人を配したというのも実に巧妙です。
最後の最後でイサムがこの日本人を信じられなかったからこそ、彼の目にもその存在が悪魔として映ってしまったのでしょう。

そして、白い服の女性は序盤の連続惨殺事件の現場にいたり、日本人が車に轢かれた後で蘇った姿を目撃したりと、ちらほら姿を見せていたのですが、最後の最後にジョングの前に現れます。そして、娘を救いたくば「ニワトリが3度なくまで戻ってはならない」とジョングに告げます。
これは「鶏が鳴く前に私を三回知らないと言うだろう」と弟子のペドロに言っていたのと同様で、そう考えるとこの女性もやはり神のサイドということになります。
日本人が蘇るところを目撃していることから、マグダラのマリアのような存在として描かれているのかもしれません。
ジョングは彼女の言いつけを守らずに、ニワトリが3度鳴く前に家に戻ってしまったことで悲劇的な結末を迎えることになるのですが、このことからも彼女が神かその使いであると考えるのは妥当でしょう。

最後に、本作で一番インパクトを残してくれる(!)祈祷師イルグァンですが、彼は基本的には謎の日本人と同じ側にいるようです。
日本人が祭壇に飾っていた死者の写真と同様のものをこの祈祷師も持っていましたしね。
ただ純粋に神の使いというポジションにいるかというとそうではなくて、むしろそれを利用して金儲けするといった俗世間的なところを多分に有している狡猾な人間なのではないでしょうか?
扇動者と書きましたが「PK」のビジネス化した宗教家たちのようなタイプですね。
ジョングの娘のお祓いをお願いしたときには、家にあった壺の中からカラスの死骸が出てきますが、このあたりの演出っぽさが、まさに恐怖を煽って信仰を強要する扇動者のような雰囲気を感じました。

祈祷のシーンでは、日本人が同じく祈祷をしているのとオーバーラップして描かれているのですが、ここがミスリードを導く要因となっていて、あたかも2人が対決しているかのように見えるのです。

ただ純粋に日本人と一緒なのかというと、終盤にこの村から逃げ出そうとしてたり、白い服の女性との対峙で鼻血を流したりゲロを吐いたりするところから考えてもそうではないということでしょう。

この説では、悪魔は不在で、人々の信仰によっては神は悪魔ともなりうるという教訓を描いているとも言えるでしょう。


「謎の日本人=悪魔、白衣の女性=神の使い、祈祷師=日本人の仲間」説

今度は謎の日本人が悪魔であるという説で考えてみます。
この平和な村に災禍をもたらした張本人でもあり、ジョングの娘の靴が彼の家にあったことや、死者の写真を祭壇に祀り、怪しげな儀式をしていたのも、死者を蘇らせるという魔術を執り行っていたとも言えます。
極めつけはラストにイサムがやってくるところで、赤い目が怪しく光っている姿はまさに悪魔そのものです。

ルカの福音書からの引用や聖痕についてはどうなのか?とも思いますが、このあたりは悪魔がフェイクとしてやっている可能性も十分考えられます。
悪魔が登場する映画においても、神の御業を嘲笑するかのような行為は見て取れますし、本作でも同様なのかもしれません。

ジョングの娘がそれまでは嫌いだった魚をむしゃむしゃ食べる描写があるのですが、魚はキリスト教のシンボルともされている存在なので、それを貪るように食べるということは、悪魔に憑依されてしまったかのように受け取ることもできます。

白衣の女性は、こちらの説でもやはり神の側ととらえるべきでしょう。
先程の説とは異なり、日本人とは対極になるわけですが、2人が出ているシーンでは、日本人が(復活した後に)この女性を追いかけているようなシーンがある程度で、具体的な関わりはないのですが、日本人が恐れていたような表情をしているようにもとれました。
彼女が最後のジョングに警告している内容は真実であったし、家の門のところの植物が結界のようなもので、ジョングが約束を破った時に枯れてしまっているということから、彼女は神の側ということでしょう。

祈祷師は日本人=悪魔説で行くと、もっと露骨に日本人の側の存在ということになります。
祈祷のシーンで日本人との対決のようにしているのもやはりミスリードにつながっています。
ジョングの家の植物(上記の結界代わりになっていたもの)に露骨に違和感を持っているところもその証明でしょう。
白い服の女性=聖人とすると、それに近づいたがために鼻血出したりゲロを吐いたりも頷けます。
そのせいで村から逃げ出すのですが、車を運転中に蛾の死骸のようなものが大量に降り注いできます。
それに端を発して、祈祷師は再び村へと舞い戻り、道中でジョングに「日本人も祈祷師で、あの女(白い服の女性)こそが悪魔だから絶対に言うことを聞くな!」と電話してきます。
結果的にはこの言葉は事実ではないにも関わらず、ジョングの家族が悲劇に見舞われてしまうのですが、祈祷師は最後の仕事とばかりにジョングの家族を写真に収め、再びどこかへと車を走らせるのです。


とまあ、どちらの説もそれなりに成り立つような構成になっているのが本作で、ネットのレビューを見ても、それぞれの説が展開されています。

しかし、この、「神か悪魔か」論争に熱が入りすぎて、肝心なことを忘れてしまっているのです。

映画の途中途中に挿入されるニュースでは、キノコを食べた人が幻覚を見たというものが流れているのです。
良くないものを食べる→体に湿疹が現れるなどの症状が出る。
幻覚を見る→錯乱して家族を殺してしまう。
という説明は、実は本作で一番納得のいく説明なのです。

にも関わらず、ジョングを始めとする村の人々は、謎の日本人が怪しい、と睨むや他の可能性を考えずに強引な捜査を進めてしまうのです。
それは、いつしか映画を観ている私たちにも伝染し、やはり日本人が悪魔で全ての元凶だったんだ!いや彼は神だったのに村人が信じきれなかったからこの災いは起こったんだ、という議論に終始してしまうのです。

この入れ子構造によって、絶妙に論点をずらしているのが本作の極めて技巧的な部分だと感じました。

コクソンはタイトルにもなっている哭声と、この村の名前、谷城から来ています。非常にのどかで平和な村という描かれ方がされていて、時折、村の眺望が映し出されるのですが、なんとも美しい光景になっています。そんな村で起きた家族惨殺事件で、実際のシーンでは描かれていませんが、その現場の凄惨さは、普段の村の顔とは正反対です。

警察官のジョングもまた、夫婦の営みを娘に見られてしまったり、殺人事件だと言うのにゆっくりご飯を食べたいたりと、どこかのんびりした印象のキャラですが、その彼が追い詰められ、日本人を犯人と疑い、凶暴な面を見せてくるのです。

のどかさと恐怖、科学と超科学、神と悪魔、そのような対立の構図が本作のそこかしこに描かれている作品だと思います。

本作は信仰の難しさを背景に描いた作品になっていますが、同時期公開で遠藤周作原作マーティン・スコセッシ監督による「沈黙 -サイレンス-」では、信仰とは何かを直接的に問うものでした。
タイトルが、「哭声」と「沈黙」で対になっているのも偶然ではないのかもしれません。
そして、ブラッド・ピット、モーガン・フリーマンが出演した「セブン」も彷彿とさせる作品です。

紛れもなく、今年一番の衝撃作でしょう。

「PとJK」から考える高校生の恋愛観



「PとJK」では、女子高生のカコが警察官の功太と結婚し、ヒミツの夫婦生活を送るのですが、男女の恋愛観において一番性差が見られるのは、高校生のときではないでしょうか?
思春期や第二次性徴を迎え、見た目も考え方も女子は大人びてくるのに対して、男子は子どもの延長というかそんなイメージがありました。
まあ、自分、男子校だったんですけどね・・・(;・∀・)

深谷(2004)では、首都圏の大学生561名に対し、高校生の時の恋愛事情を振り返って回答してもらったところ、高校生が付き合う相手は、男子の場合は70.7%が同じ高校の人であるのに対し、女子の場合は57.0%となっていました。一方、付き合う相手が社会人の割合は、男子は0%だったのに対し、女子では12.1%となっていました。

高校生の頃では、女子からすれば男子は幼いために恋愛対象とはならず、それよりも上の世代、それも自分で働いて稼いでいる社会人が対象となっているということでしょうね。

ただしこのデータは10年近く前のものになっていますので、現在の高校生の恋愛事情とは必ずしも一致しないかもしれませんが、大人びている高校生が多い印象もありますので、もしかしたら割合はもっと大きくなっているかもしれませんね。

本作のように結婚までしてしまうというのはレアなケースでしょうが、ただでさえ年上の社会人というだけでも恋愛対象として見られるのに、自分を守ってくれた功太にカコが強い愛情を抱くというのも頷けますね。

[引用]
深谷昌志(2004). 高校生の「つきあい」事情-大学生に対する振り返り調査から-. モノグラフ・高校生, 74, 1-28.

「PとJK」感想。


(公式HPより引用)

[story]
女子高生"JK"で恋愛初心者のカコ(土屋太鳳)は、人数合わせで呼ばれた合コンで警察官"P"の功太(亀梨和也)と出会う。不良に絡まれたところを功太に救われたカコは恋に落ちるが、功太はカコが女子高生とわかると付き合うことはできないと言う。そこで2人は秘密で結婚し、誰にも内緒で夫婦生活をスタートさせるのだった。そんな中、2人を巻き込む事件が発生して・・・。

三次マキの同名コミックの実写映画化。
監督は「ストロボ・エッジ」「オオカミ少女と黒王子」の廣木隆一。

原作は全く知らなかったのですが、当ブログは名作も傑作も珍作スウィーツ映画も美味しくいただくというのがモットーですので、迷わず見に行きましたよ~。

例によってだいぶネタバレが含まれますので、これから観る予定の方は、ぜひご鑑賞後にご再読いただければと思います。


年の差、それも許されない恋というシチュエーションで、当ブログでも紹介した「ひるなかの流星」でも同級生と先生との間で揺れる乙女心を描いていていましたが、こちらではあまり許されざる感がなかったような気がします。

他にも江國香織原作の「東京タワー」や山崎ナオコーラ原作の「人のセックスを笑うな」も年の差恋愛が題材となっています。
海外の作品では「17歳の肖像」なんかもありましたね。

高校生の頃だと、年上の落ち着いた大人の人というのが憧れの対象となるのでしょうか、本作ではさらに亀梨和也が演じている上に、自分のピンチを助けてくれたということで、恋愛要素がバリバリ全開でしたね。

功太からすれば警察官である自分が女子高生と付き合うことはできない、と最初ははっきり拒絶するのですが、自分のせいでカコを傷つけてしまったこともあり、急に「結婚しよう!」と言ってきます。
唐突すぎる展開ではありますが、まあこのあたりはマンガ原作ということで目を瞑るしかないですかね。

その後、2人の秘密の夫婦生活がスタートし、周りにバレないかヒヤヒヤ・・・みたいな展開になるはずなんですが、全くそうはなりません。

最初にカコが怪我をしてしまうときにそのきっかけとなった不良、大神(高杉真宙)が、実は同級生(出席が足りてないからか留年しているので本来は1年上という設定)で、クラスでも浮いた存在なのですが、カコは放っておけずに積極的に話しかけ、文化祭の準備に強引に借りだしたりもします。
カコの親友ミカド(玉城ティナ)や友人の二郎(西畑大吾)らも大神と自然に話すようになります。ただ、大神は、家庭環境にも問題があり、母親が連れ込んだDV男のせいで、大神もバイトをしてはお金をむしり取られる日々でした。

そんな大神を気にしていたのが功太でした。
功太は自分も元は不良で、警察官だった父親が自分をかばって犯人に刺されて命を落としたことで、自分も警察官になる決意をしたのでした。
似たような境遇の大神を放ってはおけなかったのです。

・・・

主役、大神じゃね???

カコたちと大神のストーリー、大神と功太のストーリーという2つが軸になっていて、合間にカコが慣れない家事に奮闘する姿があるという構成で、何を描きたいのかわからなくなってしまいます。

終盤、不良仲間から足を洗おうとした大神に、仲間たちが焼きを入れにやってきます。

学校の文化祭に!

これ恋愛マンガやドラマでも結構あるんですけど、ゴリゴリの不良が文化祭に乗り込んでくるというのが違和感ありすぎなんですよね。
だけど大神を見つけられなかったので、かわりにカコを拉致します。

このことに気づいた大神と功太はカコを助けに行きます。
そこでの乱闘騒ぎで功太とカコが結婚していることがバレますが、特にストーリーに支障はありません。
しかし、不良たちとの取っ組み合いで功太はナイフで刺されてしまいます。

病院で看病するカコ。
自分のことを助けてくれた功太の愛を改めて確認したんやね・・・

と、思ったら!

「重すぎる・・・」

と言い残し、結婚指輪を置いて去っていきます。

・・・

カコが功太が危険な仕事をしなければならないことで常に不安でいる、というのは分からないでもないんですが、自分を助けに来て、しかもそのために怪我をした相手にこのタイミングで言うのかと!

そんなこんなで離れ離れになってしまう2人ですが、カコの学校で警察代表として功太が防犯の講演会に出た時に、ミカドが「なぜ危険な警察官という仕事を続けるのか?」という質問に、功太は「大事な人から、命を守ることの大切さを学んだ。」と答えます。

感動したカコは再び功太とヨリを戻します。

ハッピーエンド!
この感情の高ぶりを示すには、これしかない!

そう、フラッシュモブ!

ということで登場人物たちが軽やかにダンスをキメて、終了です。

あ、陰の主役の大神くんは母親がDV男と別れ、別の町に引っ越していきましたよ。


というのが大まかな流れなんですが、いくら少女マンガがベースとは言え、看過できないレベルのストーリーや設定の酷さを感じてしまいました。

1. 禁断の恋・・・なのか?

女子高生と警察官の恋愛、そして結婚ということですが、そもそもなぜ結婚することになったのかが突然過ぎます。
カコを守るため、というのは分からないではないですが、今回のきっかけとなった事件はカコが不良の溜まり場みたいなところに行っちゃっただけなので、守る守らないって話に結びつけるのは無理があります。
カコの方はともかく、功太がカコに惹かれるエピソードが何かないとここの展開に納得がいきませんでした。

その後、2人は秘密の結婚生活をスタートするのですが、法的には可能とはいえ周りには知られないようにしないとという状況になるはずですが、これがバレるかも、といった緊張感が皆無です。
そもそも、カコの両親が知っているのはともかく、ミカド、功太の上司の山本(田口トモロヲ)、後半では大神も知ることとなります。
もはや主要登場人物がだいたい知ってる状態ですし、最後の乱闘騒ぎで不良たちにも知られますが、これがストーリーになんら寄与していない!
となるともはやこの設定である必要すらなくなってしまいます。

2. 恋のライバル不在

恋愛モノといえば、恋のライバルがつきものなんですが、本作には不在です。強いて言えば大神で、カコが着ぐるみバイトをしている大神と会い、しゃべっているところに功太がやってきて、「人を見る目がない!」と怒るシーンがあります。ここでは功太の嫉妬心も多少は含まれているでしょうし、大神からしても学校でしつこく話しかけられるうちに心を開いているようなシーンがあります。ただ、ライバルというレベルでもないし、なにしろカコと功太はすでに結婚しているので、そういう発想すら出てこないというのが恋愛モノとしての面白みに欠ける作りになっています。

とまあ致命的にストーリーに問題点があると言わざるを得ないのですが、良い点もいくつかあるんですよ。
まずはキャストですね。
土屋太鳳はさすがに女子高生役はなかなか厳しい気もしますが、それでも文化祭でカッパに扮したりと体当たり演技を見せてくれています。
特筆すべきは大神役の高杉真宙ですね。
本作では不良役で強がっている部分と繊細な部分を巧みに演じ分けていましたし、同じく今年公開の「ReLIFE リライフ」では主人公の友人で頭脳明晰スポーツ万能ながらどこか抜けているキャラを演じています(役名は偶然にも本作と同じ大神です!)。

そして舞台となった函館ですね。
金森赤レンガ倉庫や味のある市電、そしてカコたちの通うレトロな雰囲気のある学校(遺愛女子高校がモデルみたいですね)と、函館の雰囲気をこれでもかと映してくれます。


原作の方はまだ続いているようで、もしかしたら2人の結婚の事実がバレてなにか問題になるといった展開もあるのかもしれませんが、本作に関しては設定を活かすようなストーリーではなかったのが残念でした。

ところで文化祭ってあんなレベルで作られているものなのかね?
自分の高校の時はもっとレベルが低かった気が・・・。
プロフィール

すぷーとにく0107

Author:すぷーとにく0107
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中の人は、北海道は札幌市在住です。
映画館で年間200本は映画を観ます。
当ブログでは、映画のレビューをしつつ、勉強している心理学ネタでも書いていけたらいいなと思っています。

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